Quantcast
Channel: ♪♪中高年の中高年による中高年のための音楽♪♪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1001

イントロが印象的な日本のフォーク【その2】

$
0
0
 前作・イントロが印象的な日本のフォークは、1回で終わるつもりだったが、積み残しがあったので追加することにした。

ハーモニカ

イメージ 3 子供の頃音楽が不得意で、学校の成績も悪かった。言い訳がましくなるが、小学校3年生のとき、田舎から町に転校したとき、田舎の授業が遅れていて、音楽の授業で先生が音階のことを説明しているが何のことかさっぱり分からなかった。
 
 以来、「おたまじゃくし」(音符、)が大の苦手となった。実は今でもよく理解していない。

イメージ 1
 ハーモニカ(写真)は、1970年代頃まで日本の小中学校で教育楽器としても用いられた。その練習の時間が大嫌いで、
いまでも思い出したくないほど苦い記憶である。
 
しかし、ハーモニカについて調べてみると、どうやら違う問題もあったようだ。教師もハーモニカの教育を受けたわけではないため、生徒に対する指導が困難だったという。

イメージ 2
 その問題を解決するため、教育楽器としてハーモニカは、鍵盤付きハーモニカ(写真)(ヤマハの「ピアニカ」、鈴木楽器製作所の「メロディオン」など)に取って代わられた。 
 
 そして、鍵盤付きハーモニカは鍵盤楽器の需要に繋がり、同じようにリコーダーは管楽器への移行に繋がったが、ハーモニカはその後が続かず、子供のおもちゃ程度に思われていた時代もあった。それが、今やいろいろなジャンルの音楽に使われている。

 ハーモニカを使いこなす日本のフォークシンガーは多い。

 写真左よりシバ(69歳)、岡林信康(72歳)、遠藤賢司(2017年、70歳で没)、井上陽水(70歳)、友部正人(68歳)など、

イメージ 9イメージ 10イメージ 11イメージ 12イメージ 13

イメージ 14
イメージ 15
 そして、
吉田拓郎(72歳、写真左)と長渕剛(62歳、写真右)。二人の代表曲の一つで、自ら演奏するハーモニカがイントロの曲を。

 なお、吉田拓郎は、『祭りのあと』や、『シンシア』などでもハーモニカを演奏している。

吉田拓郎/旅の宿(1972年)
 

イメージ 4
イメージ 5
 この曲を作詞した岡本おさみ(2015年、72歳で没、写真左)によると、名曲「旅の宿」は、彼が27歳のとき自分の新婚旅行で青森の奥入瀬渓流のそばにある温泉宿「蔦温泉旅館」(写真右)に泊まった一夜の情景をそのまま詞にしたもので、70万枚を売る大ヒット作品となった。

 そのおかげで当時、ハーモニカが爆発的に売れたという。  
 
イメージ 6

 その宿には今も年に十数組の拓郎ファンが、彼が泊まった10畳一間の和室「66号室」を指定して来るそうだ。

 「旅の宿」の後、彼は「ラジオ局と家の往復ばかりで外界を知らない。これで詩は書けないと思い」と、20日旅に出て10日自宅にいる生活を始め、それが3~4ヶ月のつもりが3~4年も続いたという。

 そして、旅先で作った詩は、あの名曲「落陽」「襟裳岬」になったという。

吉田拓郎/旅の宿(1972年)


長渕剛/巡恋歌(1978年)

 「巡恋歌」は、不遇だった長渕剛の再起をかけたファーストシングル(通算2枚目)。

 その再起の一曲は、ヤマハポピュラーミュージックコンテスト(ポプコン)の九州大会で優勝し、静岡県のつま恋で行われた本選会でも入賞し、ヤマハ側から絶賛され、やっと認められた。そして、彼のデビュー以降のライブでもほとんど欠かさず演奏されている。

 ライブではオリジナルと違い、バックバンドなし、ギターとハーモニカだけで歌う。特にエンディングへ向けてハーモニカを激しく吹きながらギターをハイスピードでかき鳴らすシーンは、長渕ライブの見どころの一つとなっている。 

長渕剛/巡恋歌(1978年


 長渕剛のヒット曲では、こんな楽器もイントロで使っている。 

ケーナ

 ケーナ(写真)は南米アンデスの音楽「フォルクローレ」で欠かすことのできない楽器

イメージ 18
左から、ケーナ、サンポーニャ、チャランゴ、ボンボ、タルカ

 「GOOD-BYE青春」は、長渕本人も出演したテレビドラマ『家族ゲーム』(1983年、TBS系列)主題歌として使用された。

長渕剛/GOOD-BYE青春(1983年)



オーボエ

イメージ 7
 オーボエ(写真)は、木管楽器の一つで、上下に組み合わされた2枚のリードによって音を出すダブルリード式の楽器(複簧管楽器)である。
 
  オーボエの魅力は、何と言ってもその独特の音色にある。ゆったりとした曲における哀愁を帯びた丸い甘美な音色、または軽快な曲における軽やかで華やかな存在感のある音色、どちらをとっても素晴らしいものがある。

 「耳をすましてごらん」は、NHKの連続テレビ小説『藍より青く』(1972年4月3日~1973年3月31日、画像)の主題歌である。脚本を担当した山田太一が作詞を、音楽を担当した湯浅譲二が作・編曲を。田路津子が歌い、21万5千枚を売り上げ、すでに『秋でもないのに』『ひとりの手』をリリースしていた彼女にとって最大のヒット曲となった。

 ここでは、オーボエの存在はそんなに大きくはない。田路津子の歌はYouTubeでは思ったのが見つからなかった。ここでは、その18年後に南野陽子がカバーした曲を。これは、原曲をあまりアレンジしていない。

イメージ 8
 『藍より青く』
は、太平洋戦争末期から敗戦後にかけての、熊本県天草が舞台。
 
 ヒロインの真木洋子(2000年、51歳で没、写真)演じる真紀は、厳格な校長である父に反対されながらも網元の息子周一大和田伸也と結婚するが、長男が生まれる前に夫は出征、そのまま帰らぬ人となる。周囲に支えられながら、真紀は戦争未亡人同士で商売を始め何事にも負けず強く明るく、中華料理店を経営するまでを描いた。 

 平均視聴率は47.3%、最高視聴率は53.3%であった。(関東地区、ビデオリサーチ調べ)

南野陽子/耳をすましてごらん(1972年)
 

口笛
 
 「口笛は楽器ではない!」と叱られそうだが、そんなこと言わずに聴いて下さい。

イメージ 17
 デビュー曲の「秋でもないのに」は、元々ラジオ番組「バイタリス・フォークビレッジ」でギタリストの石川鷹彦(75歳、写真)が歌う今月の歌だった。

 その彼が、ハルミラフォークコンテストの審査員をしていたとき、1970年に彼女がジョーン・バエズ「シルキー」を歌って優勝したのをきっかけに、この曲でプロデビューした。

本田路津子/秋でもないのに(1970年)

イメージ 16
 本田路津子(69歳、写真)は、元フォークシンガー、現ゴスペルシンガー。

 両親がキリスト教徒だったので、路津子の名前は、旧約聖書の「ルツ記」に由来する。大学在学中は聖歌隊に所属していた。

 森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。

 自分は、彼女が日本で一番美しい声の歌手だと思っている。

 人生の途中から、彼女の歌う歌は賛美歌になったが、惜しい歌手を失い、とても残念だ。

 最後に、大好きなこの曲もどうぞ。

本田路津子/一人の手



Viewing all articles
Browse latest Browse all 1001

Trending Articles