前作・イントロが印象的な日本のフォークは、1回で終わるつもりだったが、積み残しがあったので追加することにした。
●ハーモニカ
以来、「おたまじゃくし」(音符、図)が大の苦手となった。実は今でもよく理解していない。
しかし、ハーモニカについて調べてみると、どうやら違う問題もあったようだ。教師もハーモニカの教育を受けたわけではないため、生徒に対する指導が困難だったという。
そして、鍵盤付きハーモニカは鍵盤楽器の需要に繋がり、同じようにリコーダーは管楽器への移行に繋がったが、ハーモニカはその後が続かず、子供のおもちゃ程度に思われていた時代もあった。それが、今やいろいろなジャンルの音楽に使われている。
ハーモニカを使いこなす日本のフォークシンガーは多い。
写真左より、シバ(69歳)、岡林信康(72歳)、遠藤賢司(2017年、70歳で没)、井上陽水(70歳)、友部正人(68歳)など、
なお、吉田拓郎は、『祭りのあと』や、『シンシア』などでもハーモニカを演奏している。
■吉田拓郎/旅の宿(1972年)
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この曲を作詞した岡本おさみ(2015年、72歳で没、写真左)によると、名曲「旅の宿」は、彼が27歳のとき自分の新婚旅行で青森の奥入瀬渓流のそばにある温泉宿「蔦温泉旅館」(写真右)に泊まった一夜の情景をそのまま詞にしたもので、70万枚を売る大ヒット作品となった。
そのおかげで当時、ハーモニカが爆発的に売れたという。
その宿には今も年に十数組の拓郎ファンが、彼が泊まった10畳一間の和室「66号室」を指定して来るそうだ。
「旅の宿」の後、彼は「ラジオ局と家の往復ばかりで外界を知らない。これで詩は書けないと思い」と、20日旅に出て10日自宅にいる生活を始め、それが3~4ヶ月のつもりが3~4年も続いたという。
そして、旅先で作った詩は、あの名曲「落陽」や「襟裳岬」になったという。
吉田拓郎/旅の宿(1972年)
■長渕剛/巡恋歌(1978年)
「巡恋歌」は、不遇だった長渕剛の再起をかけたファーストシングル(通算2枚目)。
その再起の一曲は、ヤマハポピュラーミュージックコンテスト(ポプコン)の九州大会で優勝し、静岡県のつま恋で行われた本選会でも入賞し、ヤマハ側から絶賛され、やっと認められた。そして、彼のデビュー以降のライブでもほとんど欠かさず演奏されている。
ライブではオリジナルと違い、バックバンドなし、ギターとハーモニカだけで歌う。特にエンディングへ向けてハーモニカを激しく吹きながらギターをハイスピードでかき鳴らすシーンは、長渕ライブの見どころの一つとなっている。
長渕剛/巡恋歌(1978年)
長渕剛のヒット曲では、こんな楽器もイントロで使っている。
●ケーナ
ケーナ(写真)は南米アンデスの音楽「フォルクローレ」で欠かすことのできない楽器。
左から、ケーナ、サンポーニャ、チャランゴ、ボンボ、タルカ
「GOOD-BYE青春」は、長渕本人も出演したテレビドラマ『家族ゲーム』(1983年、TBS系列)主題歌として使用された。
長渕剛/GOOD-BYE青春(1983年)
●オーボエ
オーボエの魅力は、何と言ってもその独特の音色にある。ゆったりとした曲における哀愁を帯びた丸い甘美な音色、または軽快な曲における軽やかで華やかな存在感のある音色、どちらをとっても素晴らしいものがある。
「耳をすましてごらん」は、NHKの連続テレビ小説『藍より青く』(1972年4月3日~1973年3月31日、画像)の主題歌である。脚本を担当した山田太一が作詞を、音楽を担当した湯浅譲二が作・編曲を。本田路津子が歌い、21万5千枚を売り上げ、すでに『秋でもないのに』や『ひとりの手』をリリースしていた彼女にとって最大のヒット曲となった。
ここでは、オーボエの存在はそんなに大きくはない。本田路津子の歌はYouTubeでは思ったのが見つからなかった。ここでは、その18年後に南野陽子がカバーした曲を。これは、原曲をあまりアレンジしていない。
ヒロインの真木洋子(2000年、51歳で没、写真)演じる真紀は、厳格な校長である父に反対されながらも網元の息子周一(大和田伸也)と結婚するが、長男が生まれる前に夫は出征、そのまま帰らぬ人となる。周囲に支えられながら、真紀は戦争未亡人同士で商売を始め何事にも負けず強く明るく、中華料理店を経営するまでを描いた。
平均視聴率は47.3%、最高視聴率は53.3%であった。(関東地区、ビデオリサーチ調べ)
南野陽子/耳をすましてごらん(1972年)
●口笛
「口笛は楽器ではない!」と叱られそうだが、そんなこと言わずに聴いて下さい。
デビュー曲の「秋でもないのに」は、元々ラジオ番組「バイタリス・フォークビレッジ」でギタリストの石川鷹彦(75歳、写真)が歌う今月の歌だった。
その彼が、ハルミラフォークコンテストの審査員をしていたとき、1970年に彼女がジョーン・バエズの「シルキー」を歌って優勝したのをきっかけに、この曲でプロデビューした。
本田路津子/秋でもないのに(1970年)
本田路津子(69歳、写真)は、元フォークシンガー、現ゴスペルシンガー。
両親がキリスト教徒だったので、路津子の名前は、旧約聖書の「ルツ記」に由来する。大学在学中は聖歌隊に所属していた。
森山良子と並んでカレッジフォークの第一人者として活躍した。
自分は、彼女が日本で一番美しい声の歌手だと思っている。
人生の途中から、彼女の歌う歌は賛美歌になったが、惜しい歌手を失い、とても残念だ。
最後に、大好きなこの曲もどうぞ。
本田路津子/一人の手