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小江戸【その1】

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 この記事の作成日付を見ると、丁度1週間前の7月29日(日)である。非公開下書き状態だったのが、今日まで続いたということだ。

 毎日が暑く、睡眠不足、疲労困憊と、集中力不足とかなかなか筆が進まなかった。言い訳ばかりであるが、ストイックにならず、「マイペース」で行こうと思っている。

 今日も早朝から追加の記述を始めたが、途中で何度もうたた寝をを繰り返し、書き終えたのはこんな時間(8月5日夜)になってしまった。

江戸時代とは 

 ところで、前作の「全国の小京都」の最後に「小江戸」のことに少し触れたが、なぜ江戸という時代は、人気が高いのか。ゆったりとして見える生活や義理人情にあふれる人間関係が、閉塞感を覚える現代人の郷愁を誘うのか。

 「小江戸」を紹介する前に、
本家本元の「江戸」についてもっと知りたいと思い、今こんな本を読んでいる。

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 お江戸日本は世界最高のワンダーランド(増田悦佐著、講談社、2013年、写真左)、江戸に学ぶ日本のかたち(山本博文著、NHK出版、2009年、写真右)だ。

江戸という都市の生い立ち

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 お江戸日本は世界最高のワンダーランド」によれば、豊臣政権の末期に遡る。徳川家康(1616年、73歳で没、画像)が相模国(神奈川県)中心に強力な領国を形成していた北条氏を倒したときのこと。天下人の豊臣秀吉は、この功績に対する褒美として、家康を関東一円を支配する大大名に転封することにした。

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 秀吉に「どこに居城を構えるつもりか」と聞かれた家康は、「今まで北条氏が根拠地としていた小田原城に住もうと思っている」と答えた。ごく常識的な答えだったろう。

 しかし、秀吉は、「いや、あそこは千葉一帯にも、南東北にも遠すぎる。太田道灌が主家に滅ぼされて以来荒れ果てているが、江戸は素晴らしい土地だ。だから、江戸に居城を構えなさい」と勧めたそうだ。

 当時の江戸は、江戸前島と呼ばれた干潟のような小さな島を中心に数百戸の漁師が住んでいるだけの寒村だった。(画像)

なぜ江戸時代に平和が続いたか

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 拙ブログ・平和について【その1】で、山折哲雄「危機と日本人」(写真)の、日本は世界にも他に例が無い、長期に渡って平和の状態が続いた時期が二度もあった「パクス・ジャポニカ」ことを紹介した。

 それは、平安時代、桓武天皇の平安遷都(794年)から保元・平治の戦乱(1156年・1159年)までのほぼ350年と、江戸時代、徳川家康の江戸開幕(1503年)から幕末維新までの250年(1867年)である。

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 「江戸に学ぶ日本のかたち」によれば、江戸時代の平和については古代ローマの「パクス・ロマーナ」に模して、「パクス・トクガワーナ」と呼ばれることがあるという。

 平和な時代が続いた要因として、一つには外国と交際しない「鎖国」体制、そしてもう一つに江戸幕府の中央主権的で強力な権力をあげることが出来る。

 鎖国については、朝鮮とは国交があり、オランダと中国とは貿易を行っていたので、鎖国ではないと主張する研究者もいるようだ。

 武家政権である幕府が、長期間戦いをしなかったのは「武威」(注:武力による威勢)という建前に縛られていたからだという。戦いに負けることが「武威」を揺るがすことになるのであれば、それを回避するには戦いをしないことが一番である。二百数十年に及ぶ平和は、平和を求める思想ではなく、「武威」という観念がもたらしたものだった。
江戸を知るための下町巡り

 何も「小江戸」に行かなくても、東京で江戸の雰囲気を味わうことが出来る。それは、下町を巡ることだ。 
 
 東京の下町とはどこを指すのだろうか。下町の定義は結構難しいようだ。
 

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 江戸時代、御府内(江戸の市域)で、高台の武家地域を「山の手」と呼び、低地にある商工業が盛んな町人の暮らす町を「下町」と呼んだ。
 
 江戸時代から使われている具体的な地名をあげると、東京では日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、根津、本所、深川、向島などの東京湾岸及び河川沿いの地域があげられる。(地図)
 
 ところが近年では、それに近接した東京23区の東側全体も通俗的には「下町」と言われる。
 
 この場合、葛飾区の柴又、亀有などの、歴史的には旧東京市の外側だった地域も下町に含まれる。23区東側の他に大田区や品川区の海や川沿いなどにも下町情緒が溢れる地域は広がっている。台東区谷中、文京区白山なども、地理上は山手に属するものの、古い街区をよく残すことから文化としての下町に含めて考えることがある。
 
 今日的な下町のイメージは、本来の下町においては繊維問屋街の多い街区や月島、人形町、浅草、入谷、門前仲町などの門前町や古風な街並みの残る地域、その外側においても中小の工場や商店の多い地域(時に荒川、江戸川、中川 (足立区)などの河川敷に近い地域や、柴又などの門前町)によってイメージされることが多い。
 
 どうやら今では、「現代の東京に江戸情緒や人情を残す町」というのが東京の下町のイメージになっているようだ。(Wikipedia 参照)

 自分が東京の下町を巡ったのは今から13年前の56歳、2005年の秋のことだった。
 
 ある会社を辞め、当時は失業の身であったが、ほぼ同時に同じ会社を辞めた友人と、何度か近場の旅行を重ねた。
 

 本当はこんなのんきなことはしていられないほど、当てもなく途方に暮れていたが、励まし合いながら再就職活動をしていた。 

 それが、会社は違うが、幸い二人とも2ヶ月で再就職出来、その束の間の小旅行であった。
今ではいい思い出だ。

 自分が行ったのはこのルートではなかったが、当時の東京メトロ「東京を歩こう」では 深川を中心として3時間程度の歩くルートが紹介されていた。

<その1>
 
 水天宮前駅 → 人形町 → 江東区芭蕉記念館 → 清澄庭園 → 深川不動尊 → 富岡八幡宮 → 明治丸 → 月島もんじゃ街 → 水天宮 → 水天宮前駅
 
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 下町情緒を残す人形町界隈から新大橋を渡り、松尾芭蕉ゆかりの地深川へ途中の清澄庭園で周囲の喧噪を忘れてみてはいかがでしょう。

 深川には江戸情緒たっぷりの深川江戸資料館(写真左)芭蕉記念館(写真右)がある。
 
 そのあとは、深川不動尊・富岡八幡宮と下町の人情あふれる門前仲町や、佃煮発祥の地佃島を通り、粋な下町情緒を楽しむコースです。

<その2> 
 
 茅場町駅 → 隅田川テラス → 永代橋 → 深川不動尊 → 富岡八幡宮 → 木場公園 → 清澄庭園 →清洲橋 → 水天宮前駅
 
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 八丁堀から隅田川テラス・永代橋を渡り、大横川沿いを歩いて門前仲町へ。
 
 深川不動尊・富岡八幡宮と参道を歩いて人情の街深川を堪能します。続いて公園内に橋の架かる木場公園へ向かいます。
 

 最後は、清洲橋を渡りふたたび隅田川テラスへ。大小さまざまな川を渡るコースです。

江戸情緒


 250年に渡った平和の時代に残した江戸の文化。やはり平和であるということはとても大切なことだ。
 続く。





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