●西の小京都
自分が以前住んでいた中国地方には、「西の小京都」と呼ばれるところが多い。
山間にたたずむ昔ながらの町並み、歴史と雅な文化を感じさせる、千年の都・京都に似た雰囲気を醸す「小京都」と呼ばれる街は全国に散在するが、「西の小京都」と呼ばれている街は、島根県で松江・津和野、岡山県で津山、広島県で尾道・三次・竹原、山口県で山口・萩の、合計8ヶ所である。
この全ての街には行ったことがあるが、立ち寄った数の多い順でいうと、山口→萩→津和野→尾道→竹原となる。あとの、松江、津山、三次は一度しか訪れたことがない。
何度も行けたのは、広島県や山口県に住んでいたせいだ。山口、萩は仕事が営業だったので、1週間に一度は訪問していた。
8ヶ所というのは、ちょっと乱立気味ではないかと思っている。私見では、この津和野が一番「小京都」らしい雰囲気だったように思う。
軒並みのお堀や川に泳いでいる色鮮やかな鯉(写真左)、明治の文豪・森鴎外旧宅、哲学者・西周(にしあまね)旧宅(写真右)、キリシタン殉教の地乙女峠など、見どころが多いところだ。(http://tsuwano-kanko.net/観光パンフレット/)
●全国京都会議
加盟の条件は次の3つのうち、1つ以上に当てはまること。
(1)京都に似た自然景観、町並み
(2)京都と歴史的なつながり
(3)伝統的な産業・芸能
しかし、「京都市出身の日本画家竹内栖鳳のアトリエがあった」(神奈川県・湯河原町)といった縁でも入れるように、かなり緩い。「古い町並みがある」といった理由で入ったとみられる市町は結構多いという。
昭和の初め、この地を訪れた林学博士の本多静六氏が渓谷を見て「京都の嵐山に似ている」と言ったことが広まり、その後、町制の施行時に嵐山を町名に採用した。
秋田県仙北市の角館町や山口県・山口市は三方が山に囲まれた盆地が京都の地形に似ているとして、大名が京都に模した町づくりをした。碁盤目状の区画を造った町は福井県・大野市や三重県伊賀市の伊賀上野などがある。
平安時代に賀茂神社の社領となり、鎮守社の青海神社の鎮座地に上賀茂神社と下鴨神社の祭神が分霊されたことから、加茂と呼ばれるようになった。川は加茂川と名付けられた。
宮城県大崎市の岩出山地区は江戸時代に岩出山伊達家の3代目と4代目に京都公家の冷泉家から御輿入れがなされ、学問所「有備館」や回遊式池泉庭園などが造られて京文化が伝わった。高知県四万十市の中村地区は、室町時代の応仁の乱の戦火を避けるために前関白の一條氏が移り住み、京に模した町を造った。祇園、鴨川、東山などの地名がある。
町の中央を清流が流れ、1300年の歴史を誇る小川和紙をはじめ、酒造、建具、裏絹など伝統産業で古くから栄えた。
富山県南砺市の城端(じょうはな)地区では絹織物の伝統産業がはぐくまれ、曳山祭は国の重要無形民俗文化財に指定された文化芸術の結晶だ。(全国の小京都、加盟基準は3つ (2015年、日経新聞)参照)
国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が始まった70年代から旅行雑誌で盛んに特集され、1993年からスタートしたJR東海の「そうだ 京都、行こう。」という観光キャンペーンで起きた京都ブームのせいだろうか、その後も入会が続き、99年度は56市町と倍増した。(映像は、2018年の勧修寺のCM、写真は1993年の清水寺のポスター)
国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が始まった70年代から旅行雑誌で盛んに特集され、1993年からスタートしたJR東海の「そうだ 京都、行こう。」という観光キャンペーンで起きた京都ブームのせいだろうか、その後も入会が続き、99年度は56市町と倍増した。(映像は、2018年の勧修寺のCM、写真は1993年の清水寺のポスター)
なお、ネットを見ると、資料により上記の数は前後しているので、ここでは全国の小京都、加盟基準は3つ (2015年、日経新聞)のデータを元にしている。
全国京都会議には小京都のほか、「本家」である京都市も参加し、事務局を同市観光協会内に置き、「小京都と京都ゆかりのまち」というHPを作り、年会費は5万円。主な活動はパンフレットやポスター、FB、HPでの情報発信だ。かつては物産展などイベントも開いたが、現在は年1回の総会さえ欠席し続ける市町がちらほらという。
東の江戸(東京)に対する西の京都。明治に起きた戊辰戦争では土肥薩長を始め、大方が皇軍(新政府軍)に付くなど、主に西日本の方が京都に対する愛着心があるのだろうか。
朝日新聞の7月21日号に、(be report)小京都から独立する観光地 違いを意識、自らブランド化という記事があった。その内容の一部を紹介したい。
近年、「小京都」の呼び名を自ら外すところが増えてきた。聞けば、十二単のごとき色とりどり、折り重なった理由がある模様。
入会していなくても小京都と名乗ることは差し支えないが、退会した市町はむしろ「小京都」と呼ばれるのを避けようとしている。
代表例は08年度退会の金沢市だ。市観光政策課は「加賀前田家の城下町で公家文化の京都とは違う。市民感情では、『小京都』と言われると腹立たしい」。
同様の声は市民からも聞かれる。04年度に退会した長野県・松本市も「アルプスの城下町とは呼ばれても、小京都はない」。あたかも、小京都の団体にいたことが黒歴史のようだ。
盛岡市は「役割は果たした」と10年度に退会。町家の風情を生かした宣伝に方向転換している。平安京の120年以上前に都(大津宮)が置かれた「先輩」大津市は、隣接する京都市の誘いを受け3年だけ在籍した。
「メリットがない」とはっきり言う場合も。福井県・大野市は観光協会が04年度に退会、3年後に市が入会したが、16年度に再び辞めた。市商工観光振興課は「目立った事業もなく、誘客につながらなかった」と断じる。
近ごろ参入した市町も。福島県・棚倉町は町長の意向で15年度に入会した。「東北の小京都」と名乗っても観光客は増えず、入るだけではダメだと現在は町並み整備を計画中だ。静岡県・森町は新東名高速森掛川インターチェンジが開業した12年度に入会。地域活性化に期待する。「遠州の小京都」の名は「入会で箔が付き、公に認められる」と考える。高知県安芸市は財政が悪化した05年度に退会したが、議会で批判され、09年度に再び加盟した。
遠い京都に行くのが大変だった時代ならともかく、交通機関の発達で、本家の京都が近くなり、すぐにでも行けるようになった現在では「小京都」は、不要な存在になってしまったのではという声も聞こえる。
●京都
その本家本元の京都は、猛暑により7月24日に予定されていた八坂神社(東山区)の花傘巡行(写真)を中止したものの、相変わらず多くの外国人が訪れ、観光客数は右肩上がりの傾向が続いているようだ。(上図のグラフ)
次の映像は、女ひとり(1965年)、京都慕情(1970年)、京のにわか雨(1972年)、祇園小唄(1928年)、千年の古都(1990年)
渚ゆう子/京都の恋(1970年)
●小江戸
「小京都」と同じような表現で「小江戸」がある。江戸に似た町並みに風情がある観光地に使われる名称だ。小京都と同じく、「江戸との関わりが深い町」であったり、「江戸の風情を残す古い町並み」が、「小江戸」と呼ばれている。
埼玉県・川越市(写真)が代表的であり、栃木県・栃木市、千葉県・香取市、神奈川県・厚木市、滋賀県・彦根市などがある。
前3市(川越、栃木、香取)の「小江戸」は、正式な組織はないものの、1996年から「小江戸サミット」という会議を開き、PR方法などを話し合っている。
いま、江戸時代の生活が注目され、町並みや食文化に興味を持つ人が増えている。ところが、本家の江戸は消滅して江戸を体験するには、「小江戸」に行くしかない。
安易に乱発された「小京都」と違い、「小江戸」は今後ますます、観光地としての人気が高まると見られている。