朝日新聞土曜版beの「悩みのるつぼ」7月7日号でこんな相談が載っていた。
●ある政治家の顔を見るのもいや
題して「ある政治家のせいで情報に疎い」
■相談の内容は以下の通り。
■相談の内容は以下の通り。
私は、ある有力政治家のことを、生理的に拒否反応を示すほど受け入れられません。
彼の打ち出す政策が相いれないという理由はあるのですが、何というか、学生時代の「全く話の合わないクラスメート」のような感じがしています。
そういうクラスメートに対しては、自分の気分が悪くならないよう、できるだけ近くに寄らないようにしたり、話さなくていいよう距離を保つ位置取りをしたりして、自分のペースを乱されないよう生きてきました。
今、私はいい年をした社会人ですが、こういった考え方は、世間を生き抜くための人生の知恵のようにも思います。
具体的には、彼が画面に映ると、私は瞬時にテレビを消します。新聞で彼の何らかのコメントが掲載されたり、写真を目にしたりすると、その他の記事も読む気が失せます。こういった時、自分はひどいしかめっ面をしていると思います。
ただ、ニュースや新聞に遠ざかってきたせいで、世の中の情報に疎くなってきているのは間違いありません。家族に「お父さん、こんな大きなニュースなのに知らないの?」と言われることが度々あります。あの政治家が、私に必要な情報をブロックしているのです。
一方、「彼がどうあろうと、世の中のことには関心を持って生きていくべきだ」という自分もいて、どうすべきか悩んでいます。
■美輪明宏氏のアドバイスは「嫌いでもニュースを追うこと」
まず第一に申し上げておきたいのは、「その政治家」に対して、そういった感情をお持ちになるのは、何もあなたばかりじゃありません、ということです。
そのうえで付け加えますが、「顔も見たくない」「生理的に受け付けない」とはいえ、政治や社会、国際問題について、「取るに足らない毒人間」のために知識を深めるのを邪魔されるというのはもったいないと思いませんか? そんな政治家のせいで、家族にまで馬鹿にされるというのは損ですし、情けないことです。
それよりも、冷静に世の中を見つめた方が得策です。多くの人が嫌う政治家だって、支持者がいるからこそ選挙に通り、政治家たりえるのです。それはなぜか。多くの場合は、組織票です。企業や団体の便宜を図ることで支えられているのです。つまり、利害関係ですよね。「投票はしたけれど、本当は嫌い」という人も結構いると思います。
毒蛇や毒を持つ植物など、自然界は毒だらけ。不気味な動植物はたくさん存在するんです。人間も同じで猛毒の人はいます。しかも、毒のある人間が支持されて、権力を持つということだって、歴史上珍しくはありません。ですから繰り返しますが、相談者の方が抱く嫌悪感というのは正常だと思います。
しかし、ご自身の人生のためにも、報道はご覧になった方がいいです。アメリカでもトランプ大統領に対して、ものすごく憎しみを抱いている人と、猛烈に支持をする人に二極化していて、現在の世界情勢は、色んな国で似通っているのかもしれません。ただ、嫌いであっても自分の国に影響を与える人のことは直視するべきなのです。
ニュースを見ないと分析もできません。しっかりと見て、分析をすれば、その嫌いな政治家のことを「哀れな人だな」とさえ思えることだってあるでしょう。
相手がまともな人間で、ある程度の品位を持っているという前提で考えるから腹が立つのかもしれませんが、ニュースをしっかり追えば「政治家以前に、人としてもダメな人」と痛感することだってあります。そうすれば、「彼」を突き放して見られるのではないですか。
どんな政治家であれ、支持している国民に責任があるということは忘れてはなりませんが、うそやパフォーマンスなどの言動を見逃さず覚えておくためにも、科学者的なクールな目線で「毒人間」の生態系を観察すべきでしょう。
ここで政治家の実名は出ていない。もっとも、実名を出した相談では紙面に取り上げられなかったと思う。しかし、何度もテレビに出てくるような人であれば自ずから焦点は絞られる。実は「意外な人物」だったということは無いはずだ。
自分は相談者の気持ちがとてもよく分かる。いろんな人を見て歳をとったせいか、ある程度は、本音や、人間としてのレベルが透けて見えると思っている。
総理大臣という立場に登り詰めたのだから、人格的にも優れているだろうという先入観は無くした方がいい。多くの例が示すように、「トップ≠人格的に優れている」はよくあることだ。
■ウソをつく政治
まずは、平気でウソをつく。それでも、「内心ではウソをつくのは恥ずかしい」と悩んでいるだろうと良心的に理解するのはとんでもない間違いのようだ。
だから、「反省」がない。考えの違う意見を謙虚に聞かない。「傾聴」という言葉は彼の辞書にはないようだ。それどころか、自分を攻撃をされると、問題をはぐらかすか、関係ないことで反論する。
いつも彼の口について出るのが、過去の「民主党政権」のことをやり玉に挙げることだ。何かにつけて民主党政権の東日本大震災への対応を批判してきたが、今度の西日本豪雨へのお粗末な対応は、民主党を批判できるようなレベルではない。
2006年の第一次安倍内閣は「お友達内閣」「少年官邸団」「私の内閣」などと揶揄され、スキャンダルが続出、1年と持たなかったが、2012年12月26日にスタートした第二次安倍内閣も「お友達内閣」ではあったが、知恵者が側近にいたようで、民主党政権の崩壊からいくつかの学習をした。
一つは「決められない政治」が国民から嫌われるのを知ったことだ。もう一つは「官僚の統制」だ。
前者について、安倍首相は以前、政治学者の御厨貴・東京大学名誉教授に対し、「『やってる感』なんだから、成功とか不成功とかは関係ない」と語ったことがあるという。(『政治が危ない』御厨貴、芹川洋一・著/日本経済新聞出版社)
しかし、国論を二分するようなテーマについては、最大限の議論を尽くすべきだ。問題の多い法案をどさくさにまぎれて矢継ぎ早に成立したことは禍根を残すだろうが、基本的に「やってしまえばこっちのもの」という、強引な政治手法だ。
多分、「仕事改革」「参議院6増」「カジノ」法案には隠された意図があって、これが運用されると、「こんなはずではなかった」と国民は悔やむことになるが、そのときはもう手遅れだろう。