9年前の人材紹介会社の担当者との面談の思い出のことに触れた前作を書いた後、ふとこんなことを思った。
●記憶力の低下
元々天然の「忘れんぼ」なので、老化のせいかどうかの区別がつかないのだが、それでも最近はめっきり記憶力が落ちたことを痛感する。
しかし、そう暢気なことばかりも言っておられない。
祖母や父が認知症になった現実を見ているので、自分もあのようになるのかと不安を覚える。仕事で取り返しがつかなくなるような致命的なミスを犯してはならないとも思う。
けれども、9年前の出来事を思い出したり、3日前、1年半以上ぶりの仕事上の友達と再会して昔話に花が咲いたときも、結構古いことを覚えているもんだと少し嬉しくなった。
これからが本題だ。
●「記憶にございません」
1976年、彼が59歳のときのことだったが、その際の証言が議院証言法違反に問われ、1977年に起訴され、1981年に懲役1年の実刑判決(判決言い渡し翌日には控訴)。その後被告死亡により控訴棄却。証人喚問の様子はテレビの全国放送で中継され、「記憶にございません」は流行語になった。
調べてはっきりしたのであれば、「会っていない」とか「やっていません」と断言すればいいはずなのに、やましいことがあると、言質をとられないようにする。「記憶にございません」は卑怯な言葉だ。「歴史は繰り返す」。いまだに国会ではそのときの流行が衰える気配がない。
「記憶にございません」=「会いました」「やりました」と同義語だというのが大方の見方である。
●本当に記憶にないのか
それにしても、加計学園事件に絞ってみると、古くてもたった3年前の出来事。
2015年4月2日(木)が「加計ありき」のキックオフだった。
愛媛県今治市の職員が首相官邸を訪れ、柳瀬唯夫首相秘書官(当時)(現在56歳、写真)。
県職員と加計学園の幹部も同席した場で、県と市に学園の獣医学部新設を進めるよう対応を迫った。
柳瀬氏は、安倍晋三首相が創設した国家戦略特区を担当。アベノミクスの恩恵を全国に波及させるとして、地方創生につながる特区提案を近く募ることになっていた。
市の文書には、この日の午後3時~4時半、「獣医師養成系大学の設置に関する協議」のため、市の担当者が官邸を訪問した出張記録が残る。
しかし、2017年7月、国会の閉会中審査で、官邸での面会の事実を問われた柳瀬氏は「記憶にない」を連発。かたくなに面会を否定する政府に対し、県幹部も苦言を呈する。「何で国は隠すんですか」
これが記憶にないとか、記録がないとか、現役のしかも日本では最高と言われる大学を多分優秀な成績で卒業した政権の上層部が語ることがどうしても信じられない。
彼は、東京大学法学部卒業、通商産業省入省。イェール大学大学院国際開発経済学科修了(M.A.)のエリートだ。
こんなことはとても恥ずかしいことで、自分の名誉にかかわる。まずは「調べてみよう」という意思が全く感じられないのがとても不自然だ。
そして、記憶喪失症に罹っている人物を、国の重要な業務に就かせている上司(安倍首相)には任命した責任がある。こんな記憶能力と報告怠慢、そして記録を残していない部下であれば叱責するとともに、彼をそのままにしておけないはずだ。まずは、あらゆる手立てを使ってでも調査を指示しなければならない義務がある。
自分の9年前の転職の面談の記憶や記録までも残っているのだ。
6月19日、加計孝太郎理事長(67歳、写真)は、岡山市の加計学園本部で、一連の問題発覚後、初めて取材に応じた。
前半戦が終わった今年のことを一文字で言い表すとすれば、「嘘」(画像)である。
まして、自分とは違い、バリバリの現役である。3年前だったら、万一記憶がなくても、メールなどいくらでも記録は出てくるはずだ。周りの人や関係者に聞いたっていい。
これほどウソをついているのが明白なのに、日本の検察は何をしているんだろうか。
前作『定年前後の「やってはいけない」』を読んでを書き終えて、改めてそんなことを思ったのだ。
『疑惑1年、加計氏初会見 首相と面会「記憶も記録もない」』(6月20日東京新聞)
愛媛県文書に記載された2015年2月25日の安倍晋三首相との面会について「記憶にも記録にもない」と否定したが、根拠は示さなかった。会見は開始の約二時間前に突然通告され、時間は三十分足らず。形だけ取り繕ったような会見に、「ウソ」をつかれた地元住民からは「説明責任を果たしたとは言い難い」との批判も聞こえる。
「たまたま総理と仲が良かったということでこうなったかと思う」。「加計ありき」の疑惑が浮上して一年余り、ようやく会見に現れた加計氏の説明は、どこか人ごとのようだった。
その加計氏は、首相の関与についてだけは、きっぱり否定してみせた。
「首相と獣医学部の話は…」と尋ねる記者の質問を途中でさえぎり、「ございません」と気色ばんだ。5月下旬に報道各社にファクスしたコメント文と同様、首相との面会は「担当者のうそ」との主張を繰り返し、誤情報を伝えた責任を取って自身と担当者の処分を発表した。
首相面会がうそなら、県や市をだましたことになる。うそをついたことへの処分発表の会見だったにもかかわらず、加計氏から出た言葉は「これから気を付けます」だった。
●おかしなことだらけの日本
国民を舐めたバカみたいな会見だ。バックに安倍首相がいるというオゴリだろうか。理事長といえども自費で東京に行ったのではないだろう。出張精算の書類や会計のデータは残っているはずだ。そして、秘書か事務方が彼の日程表を作って、持っているのは常識だ。
首相と会っていないなら2月25日に何をしていたのか-。「部下のうそ」を証明する根拠を問われても、「記憶にも記録にもない」と押し切った。ときの首相に会っていないのであれば「絶対に会っていません」とタンカをきるべきだ。
そして、もしそれが本当なら、自分をダシに使いコケにした加計学園に対して、首相は怒りをぶつけるべきだ。
「究極のヒラメ人間」と呼ばれている柳瀬氏だというし、教育者のトップにこんな人物がいる。特に周りにいる人たちの「モラルハザード」が怖い。
自分も過去経験したことがあるが、経営者や上司が間違ったことを犯しても「お咎め」がない場合、必ず部下は真似をする。「悪貨は良貨を駆逐する」グレシャムの法則である。同じ過ちを犯して、トップに処分が下されないのに、部下が叱られるいわれはない。
勇気のある部下が直言したところで、そんな上司は反省するどころか「逆上」するのが落ちだ。
YesManで、上司と上手にやっていく人間だけが生き残る国家や会社には未来がない。まるでどこかの国と同じではないか。
今は、『「地位はあるけど教養がない」人たちの末路 人も企業も進化するために「哲学」が必要だ』(5月26日、東洋経済オンライン)を読んでクダを巻いているしかないか。
今年が終わったとき、これが違う言葉になって欲しいものだ。