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加藤登紀子【その2】

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 今年は「明治維新から150年」という記念すべき年で、復古主義が危惧されてはいるものの、全国で様々なイベントが行われているようだ。

 ところでもう一つ、前作の加藤登紀子【その1】で記述したように、2018年は世界がベトナム反戦民主化で揺れた1968年から半世紀目年でもある。 

登紀子 1968年を語る

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 現在、加藤登紀子の著による「登紀子 1968年を語る」(情況新書、2009年、写真)を図書館で借りて読んでいる。

 彼女にとって1968年は人生の大きな節目に当たる年だった。

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 加藤登紀子(現在73歳、写真左)は、東大在学中に歌手デビュー、1968年卒業の時、卒業式をボイコットした学生たちに加わってデモに参加。

 そこで、当時の学生運動のリーダーだった藤本敏夫(1944-2002年、58歳で没、写真右)と出逢い、1972年に獄中結婚をし、2002年に肝臓がんで亡くなるまで、人生の苦楽を共にした。

 件の書で、近藤伸朗「登紀子さん自身にとっての1968年は、どういう年でしたか?」という質問にこう答えている。

 私は1968年という年によって、本当の歌手になったと思っているんです。もちろん、デビューは1965年なので、それまでも毎年いろんな人と出会い、いろんな歌をうたい、いろんな体験をしているわけだけど、歌手加藤登紀子のスタート68年だった。そのことに大きな意味があると、このごろ強く思うの。人には誰でもその人の核となるものが運命的にあると思う。私の場合は1968年だったわけね」

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そして、この著書が発売された2009年、奇しくも、慶応大学総合政策学部教授の小熊英二氏(現在55歳)により、「1968」(新曜社)という、厚さ5センチ2ミリの上下巻(写真)が発売された。(
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704113.html参照)

 彼は、1962年生まれ、もちろん1968年を知らない世代だ。

 上巻のサブタイトルは「若者たちの叛乱とその背景」団塊の世代の幼少期の時代的文化的背景から説き起こして、安保闘争から日大闘争、安田講堂攻防戦までを、高度成長期への集団的摩擦現象として描く。

 下巻は「叛乱の終焉とその遺産」新宿事件、高校闘争、内ゲバ、爆弾事件、べ平連、リブ、そして連合赤軍。「あの時代」の後半期に起きたパラダイム転換は、何を遺したのか。後世への真の影響を初めて明らかにし、現代の「私たち」の位置を逆照射する。

メッセージ曲「1968」

 前作で紹介したが、この4月に発売された、自叙伝「運命の歌のジグソーパズル」(2018/4/20、朝日新聞出版)と、2枚組CD「加藤登紀子/ゴールデン☆ベスト」は、「1968年から50年」を意識したものだ。

 「運命の歌のジグソーパズル」の中で、こんなことを述べている。

 「1968年は、パリではソルボンヌの学生たちが五月革命、チェコではプラハの春、そして日本では安保闘争と、世界中で学生運動が盛り上がった。あの時、願ったことは間違っていなかったと、いまも信じています。いま各地で戦争が起こり、日本も戦争に巻き込まれるかもしれない。そんな不安の時代に、もう一回奮起しようよという気持ちが私にはあります」

 アニメーション映画「紅の豚」でジーナとして歌った「さくらんぼの実る頃」、ベトナムの歌「美しい昔」や、韓国の「鳳仙花」、反戦歌「花はどこへ行った」など歴史的な歌の背景のエピソードは、貴重な記録でもある。

 CD「加藤登紀子/ゴールデン☆ベスト」の収録曲には、代表作「知床旅情」にも「百万本のバラ」にも、運命的な時代の熱いメッセージが込められている。収録曲はそのよく知られた曲だけでなく、フィリピンのヒットソングやベトナム戦火のなかで歌われた歌、ポーランドでナチスと戦ったパルチザンの歌など多彩だ。

 この中の曲で「1968」は2008年末の「ほろ酔いコンサート」で発表されたものである。これには、コンサートの後、たくさんの反響が寄せられたという。


*ここで、「エージェントオレンジ」とあるのは、米軍が撒いた枯葉剤のこと。ダイオキシンが含まれ、ベトナム戦争ではベトちゃん、ドクちゃんなど多くの犠牲者を生んだ。

 加藤登紀子は、1968年を挫折や敗北として思い出すのではなく、スタートだったと思うことにしているのだ。
1968年(昭和43年)の出来事

 当時自分は19歳。受験戦争から解放されて大学に入学したばかり。3億円事件(12月10日)もあった1968年は、世の中が騒然としていた。

■ベトナム戦争

 1964年にジョン・F・ケネディ大統領が凶弾に倒れたのち、それまで副大統領だったジョンソンが大統領に就任し3年が経ったが、戦況は全く好転せず、年初から「テト(旧正月)攻勢」と呼ばれる南ベトナム全土で解放勢力の大攻撃が始まった。

 その直後の3月、南ベトナムのソンミ村で米軍による無抵抗の村民504人に対する大虐殺事件が起きた。これがさらに、ベトナム反戦運動に火を注いだ。

 ジョンソン大統領は、北ベトナムへの爆撃(北爆)の部分的停止を一方的に宣言、北ベトナムに対する和平交渉を呼びかけ、次期大統領選への不出馬を表明せざるを得なくなった。

 その有力大統領候補だったロバート・ケネディ上院議員は6月5日に暗殺されてしまった。

■世界の解放運動

・公民権運動の黒人運指導者で、キング牧師の名で知られたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929-1968年4月4日、39歳)が撃たれて死亡。全米に黒人の抗議闘争が広がった。

・1月5日、チェコスロバキア共産党第一書記にドブチェク選出。「プラハの春」が始まったが、 8月ソ連を中心とするワルシャワ条約機構軍が侵攻。年初から続いた自由化の動きは封じられた。

■全世界で学生運動が勃発

 学生運動は、「スチューデント・パワー」とも呼ばれ、1960年代末世界の至るところで起きた。

・5月:フランスで5月革命。ソルボンヌ(パリ)大学で学生と警官隊が衝突、全国的なデモやゼネストに発展した。

・日本では「ゲバ」 「ゲバ棒」「大衆団交」 「ノンセクト」「ノンポリ」などの流行語を生んだ学生運動だった。

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 東大紛争の発端は、東大医学部自治会がインターン制度に代わる登録医師制度に反対したことにあるが、闘争の過激化に対する反発も次第に高まり、翌年の1969年1月18日、少数派となった全共闘の安田講堂占拠に対する警察隊突入(写真)により終息に向かった。

加藤登紀子/一人寝の子守唄(1969年)



加藤登紀子/この空を飛べたら(1978年)


加藤登紀子/難破船(1987年)


加藤登紀子/百万本のバラ(1987年)


加藤登紀子/時には昔の話を(1992年)
  

 「おときさん」コンサート、また行くからね。


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