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歌って踊れる歌手・グループ【その2】

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 歌って踊れる歌手・グループ【その1】は口パクの特集だったが、今回はホンマ物の紹介を。「歌って踊れるグループ歌手」といっても、ボーカルが歌うだけでなく、踊るのは少ない。踊ると息が続かないからだ。歌って踊れたら歌手として鬼に金棒だ。今回はそれを実現している人たちの特集だ。

 歌って踊れる歌手と言えば誰が真っ先に浮かぶだろうか。

 自分は、洋楽ではマイケル・ジャクソンビヨンセ。邦楽では安室奈美恵三浦大知だろうか。

マイケル・ジャクソン

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 まずは「キング・オブ・ポップ」と呼ばれた、故マイケル・ジャクソン(1958-2009年、50歳で没、写真)だが、その踊りでは、ライブなどで使用し、全世界で話題になった「ムーンウォーク」が有名だ。

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 『宇宙飛行士が月面を歩くようにゆっくりとしたモーションでの歩行』の意味で、バックスライドムーンウォークと名づけたのは、マイケルだが、初めてバックスライドをテレビで披露したのはシャラマーのシンガー兼ダンサーであるジェフリー・ダニエル(60歳、写真)である。

 マイケルはジェフリーに1000ドル払いバックスライドを教わり、5分でマスターしたというエピソードがある 。ジェフリーは「バッド」「スムーズ・クリミナル」などのPVにおいて振付を担当すると共に、自らもPVに出演した。
 
 なお、マイケルが初めてムーンウォークを披露したのは、1983年、モータウン25周年コンサートビリー・ジーンの間奏においてである。

マイケル・ジャクソン/ビリー・ジーン(1983年)


マイケル・ジャクソン/スムーズ・クリミナル(1988年)


ビヨンセ

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 ビヨンセ・ジゼル・ノウルズ、通称名ビヨンセ(36歳、写真)は、シンガーソングライター、ダンサー、音楽プロデューサー、女優という多彩な能力を有するとともに、2012年には米芸能誌ピープル恒例の「世界一美しい女性」に選ばれるほどの才色兼備ぶりを誇る

 デスティニーズ・チャイルド(1990-2005年)初期からのメンバーで、グループではリードボーカル、プロデューサーも兼ねた。しかし、ソロデビュー後、いつしか知名度はデスティニーズ・チャイルドを超え、アルバム連続5作品すべて初登場1位を獲得した史上初の女性アーティストになった。

 これまでのCDトータルセールスは全世界で1億枚以上、デスティニーズ・チャイルド時代の売上枚数6,000万枚を含めると、全世界で1億6,000万枚を超える。

 ビヨンセがマイケル・ジャクソンを目標にしていることは有名だが、デスティニー・チャイルド時代のライブで、マイケル・ジャクソンが自分たちの舞台のそでに立って見ているのを発見した時には、興奮のあまりその場で倒れそうになって歌詞をすっかり忘れてしまい、他の二人が穴埋めしたというエピソードがある。

 2009年のマイケルの急逝に際しては、「人生とは、何回呼吸をするかではなく、何度息をのむほどの瞬間があるかどうかだと思うの。彼のアートを見て、感じて、聴いた人はみんな、この時代に生きていること、マイケルのマジックを経験することができたことを、光栄に思うでしょう。愛しているわ、マイケル」という哀悼の言葉を自身のウェブサイトで発表した。ビヨンセは今、世界で最も輝いているタレントといえる。
 
シングル・レディース(プット・ア・リング・オン・イット)(2008年)



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 ビヨンセの大ファンで「クレイジー・イン・ラブ」(2003年)のダンスなどのモノマネ芸を多く披露し、「和製ビヨンセ」「ブヨンセ」「吉本のビヨンセ」などと呼ばれてブレイクしているお笑いタレント・
渡辺直美(30歳、写真)。

 これは、「笑っていいとも」に出演したビヨンセに物まねを見せている映像。(https://youtu.be/d1zcMk7z0EA


沖縄アクターズスクール

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 日本の歌って踊れる歌手やグループを輩出した功績として、沖縄アクターズスクール(写真左)の存在は大きい。

 同校は、1983年4月にマキノ正幸(現在76歳、写真右)が沖縄県に開校した、芸能養成スクールである。

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 音楽バラエティ番組『THE夜もヒッパレ』(1995-2002年、日本テレビ系列、写真)は、三宅裕司、中山秀征が総合司会、赤坂泰彦、マルシアがアシスタントを担当。安室奈美恵がレギュラーだったが、沖縄アクターズスクール出身の出演者が席巻していた。

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 上記の安室奈美恵(40歳、写真左SUPER MONKEY'S所属、1992-1996年)、三浦大知(30歳、写真右Folder所属、1997-2000年)も同校の出身だ。


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 MAX(Nana、Mina、Reina、Lina、写真左)、SPEED写真右)も沖縄アクターズスクールの出身だ。

 なお、SPEEDは、1995年11月、『THE夜もヒッパレ』内でグループ名を公募し、1996年1月にグループ名が決定。1995年に初めてテレビ出演した際は「島袋寛子(小5/11歳)今井絵理子(小6/12歳)上原多香子(中1/12歳)新垣仁絵(中2/14歳)」であった。

安室奈美恵

 沖縄アクターズスクールマキノ社長は友人のオーディション見学のために、スクールを訪れた当時、小学生だった安室を熱心にスカウトした。彼女はスクールに10~14歳まで通い、ダンスや歌の練習に励んだ。

 その後、安室のソロとMAXとしての活動にいたるまでメンバーチェンジが繰り返され、名義も「SUPER MONKEY'S」(1992-1993年)⇒「SUPER MONKEY'S4」(1993-1994年)⇒「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S」(1994-1995年)と変更されている。

 そして、現MAXメンバーのレイナとリーナが加入した1995年にはMAXとして活動開始。安室は「太陽のSEASON」で事実上のソロデビューとなった。

安室奈美恵/太陽のSEASON(1995年)


 このころ小室哲哉と出会い、東芝EMI時代はポップス調やユーロビートの楽曲を歌っていたが、avexに移籍して小室プロデュースが始まると、徐々にブラックミュージック色の強い曲が増えていった。いわゆる小室ファミリーの中でも特異な存在だった。90年代後半、安室・小室のタッグはチャート1位を連発する。

 「Don’t wanna cry」が139万枚、「You’re my sunshine」が109万枚、「a walk in the park」が106万枚のヒットとなった。

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 1996-1997年、茶髪のロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツなどといった彼女のファッションスタイルや髪型、メイクなどに憧れる若い女性たち、いわゆる"アムラー"が大量発生した「アムラー・ブーム」を巻き起こし、社会現象となった。


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 ミリオンヒット作を次々と世に送り出し、1997年1月、ドラマ『バージンロード』主題歌に「CAN YOU CELEBRATE?」が起用され、翌2月にシングルリリースされると売上初動が同年首位となる記録をみせ、7週目にはダブルミリオンを突破し、オリコン年間シングルチャート首位を獲得。同時に、邦楽女性ソロアーティスト歴代1位のシングル売上(250万枚)を記録。10代シンガーとしては日本の音楽史上初となるシングル・アルバム総売上げ2000万枚突破を果たした。

安室奈美恵/CAN YOU CELEBRATE?(1997年)


 2001年を過ぎると長年タッグを組んでいた小室の元を離れてR&B、HIPHOP志向の曲に方向転換し、活動もライブツアーを中心に回るようになる。ライブではほぼMCなしのスタイルで、2時間ぶっ続けで歌って踊り続けるなど、パワフルなパフォーマンスは未だに健在だ。

 2008年7月にリリースされたベストアルバム『BEST FICTION』で、史上初となる10代・20代・30代の3つの世代でのミリオンを達成し、一時期産休したが、再び返り咲いた。後にこの記録は、2017年11月リリースのベストアルバム『Finally』(40代)で更新された。

 2017年9月16日、デビュー25周年を迎えたが、直後の同年9月20日、「ファンの皆様へ」というタイトルで、翌2018年9月16日を以って芸能界を引退することを、所属事務所の公式Webサイト上で発表した。 

三浦大知
 
 実は最近まで彼のことを知らなかった。三浦と聞いて、三浦友和と百恵のお子さんかと思っていたほどだ。

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 1/26(金) 放送のTBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」(画像)に彼が出演したのを見て、初めてその凄さを知った次第である。
 
 三浦大知は9歳でFolderのメインボーカルとしてデビュー、12歳で変声期となりFolderを卒業し声を守るためにあえて表舞台から姿を消した。その後、再デビューするもののブレイクするまでに18年を要した。番組では再ブレイクするまでの18年間を振り返るとともに、当時の心境などを三浦が初めて語った。

 さらに三浦の母や祖父母が語る音楽ルーツを探るため、沖永良部島へも。母が初めて語る「もしかして天才かも」と思ったという幼少時のエピソードや、沖縄のローカルテレビで圧倒的歌唱力で歌うデビュー前の超貴重映像も放送した。

 そして、2017年末の『紅白歌合戦』で話題となった「無音ダンス」の続き、4分34秒の完全版も披露した。

              Folder/パラシューター(1997年)


 歌唱力とダンスが「天才」「和製マイケルジャクソン」などと評され、アッシャー、ビヨンセのコレオグラファー、ロック・ステディ・クルー、などクリエイター、ダンサーらから評価が高い。

 Wikipediaに掲載された同業者の評価を見ると驚くべき内容だ。

●KREVA「あんだけ歌って踊れるやつは世界でもそんなにいない」「歌が上手いと言っても、色々な上手いがあると思うが、その中のどれかでは確実に最高と呼べるレベルにいる」「ライブをクリエイトする力がすごい」
●藤井フミヤ「久しぶりにスーパースターの予感がする」
●宇多丸(RHYMESTER)「世界レベルのスキルで歌って踊れて、曲も作れて……なんて話が、大知基準ではもはや当たり前のことにさえ思えてくるから怖い」「ただでさえ天才なのに、頭も性格も良くてそのうえ努力し続けちゃってんだもんなー!」「日本人では珍しいタイプの360°隙なしエンターテイナー」
●坂見誠二「大知は天才だね」「あったまくるね」
橘慶太(w-inds.)「彼は歌って踊る日本のアーティストの中では間違いなく1番です。彼のパフォーマンスは世界レベルです。天才のうえに努力を怠らない。素晴らしいアーティストです。もうズルいくらいです。笑」
●日高光啓(AAA)「日本で一番踊れて、歌える男といえば。「三浦大知」以外の答えを僕は持たない。最近は、踊って歌える人も増えたけれど。歌もダンスもこの完成度で、なおかつフレッシュで熱いバイブスが身体中をまとっていて。洋邦問わず色んな音楽を聴いても、歴史を遡っても、こんなアーティストはそうはいない!」
武井壮「僕は大知くんのようなエンターテイナーに対して、最大限のリスペクトを持っています。だって自分という個体ひとつで、観ている人々に魔法をかけているんだから。大知くんは魔法使いですよ。大知くんが呪文を唱えたら、みんな泣いたり感動したり楽しんだりするんだから。」

 将来の夢や目標はグラミー賞を獲ること。また、日本語の曲で海外でヒットできたら一番いい、母国の言葉でちゃんと音楽として評価されることができた時に、「日本の音楽やったぜ!」って思える気がするとも話している。

三浦大知/EXCITE (2018年)


(Wikipedia 参照)続く。


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