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過去の思い出に浸る

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 物忘れが激しい。特に最近はそれが酷くなったような気がする。1年半前に落とし物という題名のブログを作ったことがあるがそれからも落とし物は絶えない。

物忘れ常習犯

 物忘れ昔から酷かったので、これが天然なのか、はたまた認知症の前触れなのかの区別がつかない。

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 例えば写真のように、最近、間違えて別の靴の左右を履いてしまったが、40歳そこそこのときも同じ過ちを犯したことがある。

 それも、これは両方とも紐がついているが、当時は片方だけが「紐付き」だったので、症状としてはもっとひどかった。
貴重な存在の「手袋」

 物忘れの症状の一つとして、忘れ物、落とし物」というのがあるが、過去、色んなものを落として失くした。財布はもちろん、名刺入れや家のカギ…。

 財布を落として、奇特な方のおかげで戻ってきたとき、財布にお詫びをしたものだ。そのときもう返らないものと思い、新しい財布を買っていたが、今でも戻ってきた古い財布を使っている。

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 ところが、たった一つだけ長持ちをしているものがある。それが、この「手袋」である。

 しかし、今日も朝出かけるとき片方がないことに気づき、途方に暮れたものだが、玄関前に落ちしていたのが見つかり命拾いをしたという、「風前の灯」状態にある。

 同じ冬の季節だった。帰りがけ寄り道で食事して駅に着いたとき、手袋を落としたことに気がついた。もう返ってこないだろうとは思ったがあきらめず、帰り道をたどって探したら見つかったことがある。

 そのときは「持ち主がだらしなくてゴメン!」と言って、この手袋に「頬づり」をしたものだ。
ブログを始めたきっかけは「自分史」を作ること

 最近は手帳が離せない。なにしろ、思いついたことがすぐに忘れてしまうからだ。それも、その手帳さえ忘れてしまうくらいだから「笑い話」になってしまう。

 段々過去の記憶も薄らいでくる。

 今から9年前、このブログを立ち上げたときは「自分史」を語っていくつもりだったが、その2ヶ月後くらいからそれをあきらめ、いわば記録が残らなくてもいい、「音楽」の映像を中心としたブログに変えた。振り返ってみればそれが自分にとって「ブログライフ長続きの理由」。大正解だった。
 
 「自分史」はネタに限界があるし、大成功した人物だったら別だろうが、凡人の「自分史」など読んでくれる人などいるはずもない。

 それでも、自分の過去も少しはメモリーとしてブログに残しておきたい気持ちはある。それがドンドン記憶から遠ざかっていく。
被害者の気持ちは残るが、加害者の気持ちは記憶に残らない

 ときどき昔のことを懐かしむことがある。ちょっと前まではそんなことは少なかったと思う。

 思い出すのは当然、「今でも心に焼き付いている」ことだ。

 そのことに関しては、どうしても被害者のときの記憶がほとんどで、加害者のときのことは忘れがちである。もっとも、自分が知らず知らずのうちに加害者になっているかもしれないのに、その想い出はほとんどない。

 それで思い出すのは、イギリスのTV放送で、子どもの頃いじめた男性2人と、いじめられた女性が対面した番組だ。
 
 その女性は自殺したいほど思いつめ、辛い思いだったというのに、「加害者」の男性は全く身に覚えがないということだった。

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 また、ある新聞のコラムに、「加害の記憶は残らない」というサブタイトルで、第2次世界大戦が始まった1941年、ポーランドの小さな村、イェドヴァブネで起きた2,400人のユダヤ人に対する、非ユダヤ人の虐殺事件のことが書かれてあった。

 
 ほとんどのユダヤ系住民たちは、教会の納屋に押し込められて生きたまま焼き殺されたようである。ところが、なぜあんな虐殺をしたのか、「虐殺に加担したほとんどの男たちは、記憶がはっきりしていない」そうだ。(写真はその慰霊碑)

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 これはポグロムと言って、500年以上前から続いたユダヤ人に対し行なわれる集団的迫害行為(殺戮・略奪・破壊・差別)のことを指す。(1819年、ヘプヘプ・ポグロムでドイツ農婦たちに農具で虐殺されるユダヤ人たち)

 人間はおかれた環境でいつでも凶器(=狂気)になる可能性がある。先のユダヤ人にしたようなことはもちろんないし、そんな類の人間ではないと信じているが、自分も知らないうちに加害者だったことがあるかもしれない。

 最近よく思い出すことは二つある。

営業から総務人事系の仕事に代わったときの思い出

 一つは43歳のとき営業から総務・人事の仕事に代わったときのことだ。

 実は入社したときは人事部配属だった。それが3年後、営業に配属され、18年ぶりにカムバックしたことになる。多いときは千人を擁した、ある事業所の総務責任者になったが、部下とはよくぶつかった。 

 そこでひどく心が傷ついたことが忘れられない。

 入社仕立ての女性は経理の仕事を任せていた。伝票を持ってきた。承認印をもらうためだ。その伝票のひとつのハンコの上下が逆になっていた。それを指摘すると、「そんなことはどうでもいいじゃないですか」と言われた。その彼女とは今でも年賀状を交わす数少ない一人である。

 ベテランの女性が有給休暇の取得促進のためだったと思うが、突然社員向けに連絡書を作成して持ってきた。「これはまだ出さない方がいいよ」と言ったら、目の前でその紙をバリバリと破られたことがあった。

 そのメンバーのとき、ブログでも紹介したことがある、ギランバレー症候群というやっかいな病気に罹り、1ヶ月近く入院したことがある。

 当時は自分も傲慢な男だった。

 部下の若い男性は、会社から遠いのにいつも帰りがけ病院に寄って仕事の状況を報告してくれた。今から思えばいくら感謝しても、感謝し尽くせないというのに、どうしてその時はそんな気持ちが薄かったのだろうか。お礼の一言が不足していたことに今でも悔いが残っている。

 会社のことが心配でたまらなかった。一度部下が全員揃って見舞いに来てくれたことがある。
 
 前述のベテランの女性から、「ゆっくり休んでいて下さい。全然問題ありませんから」と言われた。その時はちょっとムカっとしたが、実際私がいなくても仕事に支障はなかった。むしろ私がいないことにより順調だったような気がする。

若いころの恋愛経験

 もう一つは若いころの恋愛の経験だ。

 私は広島の大学を卒業し、東京の渋谷に本社がある会社の人事部に配属された。そこに彼女がいた。今振り返ってみると、自分の人生を大きく変えたのはこの「失恋」だったのではないかと思う。

 瞬間的だったにせよ、自分の人生でこれほど好きになった人はいない。

 少しだけ年下だったが、彼女は都会的で、きらきら輝いていた。休みの日はいつもデート、田舎者で世間知らずだった自分を銀巴里や国立劇場の文楽にも連れて行ってくれた。大好きな人と一緒に居れる喜びで、毎日が夢見心地。世の中にこんな幸せなことがあるのだろうかと頬をつねりたいほど。それが突如暗転、天国から地獄に落とされた気持ちだった。

 それも同じ職場の男性に奪われた屈辱。二人は間もなく会社を去って行き、結婚したという喪失感。

 その後一度だけ手紙をもらったことがある。もう内容は忘れたが、その手紙を持ってその年の夏休み、黒部・立山アルペンルートから、能登一周と、傷心の一人旅に出かけた。

 少し前だったら、隣で寝息をかいている彼女がいたかも知れない。寂しさとむなしさで旅の宿の枕がぐっしょりと濡れた辛い思い出は今でも忘れることが出来ない。

 恋愛では知らず知らずのうち加害者になることもある。自分がこんな思いをしていたというのに、勝手なものだ。無神経で人を傷つけたこともあり、申し訳のないことをしたと一生悔いが残る経験がある。

 「加害者は被害者の気持ちが分からない」という言葉は身をもって感じている。
 「タラ話」はいけないことは分かっているが、こんなこともあった。

 大学生最後の夏休み、友人が九州の別府に住んでいたので、そこを起点に初めて一人旅をした。鹿児島県の桜島で出会った彼女も大学生の一人旅だった。

 入社して1年目の夏、その後二度目だったが熊本で再会した。彼女は学校の先生になっていた。純白の服を着てきた。熊本城、水前寺公園を見て周った。眩しい位可愛かった。

 あっという間に時間が過ぎ、帰る時が迫ってきた。明日は仕事があり、今日中に帰らなければならない。プラットホームまで来て見送ってくれた。お互いに離れがたい気持ちであることは目を見れば分かっていた。

 ここで手を握って電車を降りれば人生が変わるかもしれない。エイやっと降りてしまおうかと一瞬迷ったが、当時はそんな勇気がなかった。その後、手紙のやり取りはしたが、東京と九州の遠さを埋めることは出来なかった。
北山修&加藤和彦/あの素晴らしい愛をもう一度(1971年)
 

サディスティック・ミカ・バンド/タイムマシンにおねがい (1974年)


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 一見悔いの残る人生を送ってきたように見えるが、作家の伊集院静(67歳、写真)が以前、「二日酔い主義」(週刊文春)というコラムで西鉄バスジャックの少年犯に送った言葉が自分の心を支えている。

 「生きていれば、必ず、生きていた価値がわかる時間が訪れると、私は信じている。いかに生きるかという前に、まず生き続けることだ。出世、名誉、権力、金…、といった類いのものなど何の価値もない。肝心は生きて生き抜くことだ。それはやがて誇りや品格に繋がるとも思う。悔いのない人生はない。誰もが失敗し、あの時、ああしておけばよかったとか、無念の思いを背負って生きている。それが人の生だと思う」

吉田拓郎/人生を語らず (1974年)


吉田拓郎/今日までそして明日から (1971年)



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