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歌って踊れる歌手・グループ【その3】

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 「歌って踊る」といえば、まずは「ミュージカル」が思い浮かぶ。

オペレッタとミュージカル

 「ミュージカル」「オペレッタ」から派生したものだ。Wikipediaにはこのように書かれてある。

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 パリで演じられていたオペラ・コミックを発端に、『地獄のオルフェ』(1858年)を作曲したジャック・オッフェンバック(1819-1880年、61歳で没、写真左)に影響を受けたヨハン・シュトラウス2世(1825-1899年、73歳で没、写真右)がウィーンでオペレッタ(ウィンナ・オペレッタ)を発展させた。

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 フレンチカンカン(French cancan)は、ダンスの一つ。フランス本国では単にカンカン(cancan)と呼ぶ。(写真)

 カンカンが史上最初に登場したのは1830年頃のパリ・モンパルナスにあった、労働者階級の舞踏場だった。


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 「地獄のオルフェ」
の第3部「カンカン(ギャロップ)」は、日本では「天国と地獄」の曲名でも知られ、モンマルトルにあるキャバレーで、現在もパリを代表する観光スポットの1つとして人気がある、ムーラン・ルージュ(1889年に誕生、写真)のメインのショーである。


 
 それがベルリンオペレッタで近代化し、さらにハーバート、フリムル、ロンバーグらがアメリカに持ち込んでニューオーリンズで行われていたショーとなり、ミュージカルが誕生したと言われる。

 第1次世界大戦後のオペレッタ作品とミュージカルを厳密に峻別することは困難だが、前者の、オペラ発声の歌手、クラシック編成の管弦楽団、バレエダンサーによる舞踊、ドイツ語歌詞といった要素が、後者の、地声による自由な歌唱と一体化したダンス(歌手とダンスを分担しない)、打楽器を多用した自由なバンド編成、英語歌詞といった形へと置き換えられていった。ベルリンオペレッタやロンバーグのミュージカルなど、過渡的な形態のものも少なくない。

 ブロードウェイ・ミュージカルを、ヨーロッパで上演する場合、「オペレッタ南太平洋」とか「オペレッタノーノ―ナネット」のように、オペレッタと呼ぶこともあったという。

 また、オペラとミュージカルの両方を書いているレナード・バーンスタインは、歌によってドラマが進行するのがオペラで、ドラマの結果としての感情を歌に託するのがミュージカルと定義しているが、これもひとつの説にすぎない。
 日本では、現在ミュージカルは、劇団四季宝塚歌劇団Youth Theatre Japan (YTJ)ふるさときゃらばん音楽座ミュージカル/Rカンパニーイッツフォーリーズなどの劇団がある。

宝塚歌劇団

 その中で、1914年に初の公演を行って以来、今日も人気を集める未婚の女性だけで構成された宝塚歌劇団は特別な存在である。

 現在は花・月・雪・星・宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれている。「宝塚」「ヅカ」などと略して呼ばれることも多い。

 2014年、創立(初公演)から100周年を迎え、4月に宝塚大劇場にて、OG・現役スターが出演する祭典及び記念式典が行われた。100周年記念公演は月組(主演は龍真咲)がレビュー『TAKARAZUKA花詩集100!!』などを3本立てで上演。さらに『ベルサイユのばら』『エリザベート』など、人気演目の再演が行われた。(写真)

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 2015年以降も『ルパン三世』(写真)『るろうに剣心』といった知名度の高い漫画作品を舞台化することによって、新たなファン層を獲得した。


 2018年、宙組の設立より20周年を迎える。記念公演として、ミュージカル『WEST SIDE STORY』の上演や、組誕生時の上演作品『シトラスの風』の再演などが行われる予定だ。

 宝塚歌劇団のシンボルとしては「すみれの花咲く頃」を思い出される方も多いだろう。

 原曲はドイツの作曲家フランツ・デーレが1928年に発表した「Wenn der weise Flieder wiederbluht」(白いニワトコがまた花咲くとき)。作詞者はフリッツ・ロッター。ドイツ語圏での大ヒットを受けて、翌1929年、フランス語の歌詞をつけてパリの劇場で歌われたが、これがシャンソンとして知られる「Quand refleuriront les lilas blancs」(白いリラがまた花咲くとき)である。

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 このころパリに滞在していた宝塚歌劇の演出家・白井鐵造(1983年、83歳で没、写真)がこの歌を大いに気に入って、日本に持ち帰り、自ら日本語詞をつけて、1930年上演の『パリ・ゼット』の主題歌として使った。


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 「すみれの花咲く頃」としたのは、このころはまだ、リラ(英語ではライラック写真)が日本人にはあまりなじみがなかったからだという。
 
 以後、この歌は宝塚のシンボルソングとして、長く歌われることとなり、シャンソンが日本人に愛好されるようになったのは、この歌がきっかけだといわれている。
 
 宝塚歌劇団もテレビの普及・娯楽の多様化に伴い、劇場稼働率は低下し、赤字が続くようになり、一部のマスコミから「宝塚とブレーブス球団は阪急の2大お荷物」と呼ばれたこともあった。

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 その窮地を救ったのが、1974年に植田紳爾(85歳、写真)が脚色した『ベルサイユのばら』であった。社会現象を巻き起こしていた同漫画を舞台化するや否や月・花・雪・星の各組の上演により140万人の観客動員となり大ヒット。空前の宝塚ブームを巻き起こした。

 少女のファンが急増したことで、宝塚音楽学校の倍率もそれまでの5倍から20倍前後の難関となり「東の東大、西のタカラヅカ」と呼ばれるようになる。

 ベルばらシリーズで主要な役を務めた写真左より、榛名由梨汀夏子鳳蘭安奈淳・は「ベルばら四強」と呼ばれ人気を集めたものだ。

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 団員の愛称は、「ヅカガール」と呼ばれたこともあったが、ベルサイユのばらがヒットして以来、「タカラジェンヌ」とよばれる。

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 その出身者は、芸能界にキラ星の如く存在するので、ここでは書ききれない。宝塚歌劇団卒業生今年の1月24日に亡くなり女優として活躍した上月佐知子(1930-2018年、87歳で没、写真)も宝塚出身だ。

涼風真世&天海祐希/ベルサイユのばら~オスカル編~


SKD(松竹歌劇団)

 1996年をもって解散した松竹歌劇団。「Shouchiku Kageki Dan」の頭文字をとって通称SKDとよばれ、1930年代には東京一のレビュー劇団として、「西の宝塚、東のSKD」といわれ、兵庫県宝塚市を本拠とする宝塚少女歌劇(宝塚歌劇団)と人気を競った。

 しかし、1960年代ごろより徐々に低迷、1990年代にはミュージカル劇団へ転向するも定着せず、1996年をもって解散した。

 なお、レヴュー(revue)とは、元来、フランス語(revue, 発音はルヴュ)で批評・調査を意味し、その年の出来事について風刺的に描く歌や踊りなどを意味し、19世紀末頃から20世紀初頭にかけて大いに流行したが、1927年のトーキーの出現以後は、ミュージカル映画の進出で次第に衰退していき、キャバレーやナイトクラブのアトラクションとして演じられることが多くなった。

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 故・小沢昭一(2012年、83歳で没、写真)の人気ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の放送開始40周年を迎えるにあたって発売された「ラジオのこころ」(2012年8月20日、文春新書)だが、実は40周年が迎えられなかった。
 
 ここには彼が自ら傑作10編と厳選したものが掲載されているが、その一編に「西の宝塚、東のSKD」がある。

 「しかしまあ、いまどきのアイドルは移り変わりが早いのでしてね、モーニング娘をやっと覚えたら、もうAKBですよ。私ね、流行り物は面倒なんで、もう覚えないことに徹しました、はい。

 でもまあ、昔のアイドルはね、息が長かった。なにしろね、SKDなんていうのはね、戦前戦後を通じて、このアイドル集団でしたからな。SKD、松竹歌劇団ですけどもね。西の宝塚、東の松竹と呼ばれまして、浅草の国際劇場を本拠地にしたSKDは、東京を代表する少女歌劇団でしたな。

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 戦前からの大スターは水の江瀧子さん(2009年、94歳で没)から始まって、草笛光子さん(現在84歳)、淡路恵子さん(2014年、80歳で没)、真屋順子さん(2017年、75歳で没)、倍賞千恵子さん(現在76歳)、倍賞美津子さん(現在71歳)、SKDの出身者を挙げたらもうきりがないんでありますが、SKDは歌劇よりもラインダンスなどの華やかなレビューが中心でございました。(写真は左から1952年当時の草笛光子深草笙子淡路恵子

 倍賞千恵子さんと美津子さんがラインダンスで長い脚をパッと振り上げる。想像できます?えっ?劇場のお父さんたちもあんぐり口を開けて見上げておりましたよ。いまはもう口結んでみてるらしいこと。

倍賞千恵子/さよならはダンスの後で(1965年)

 

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 SKDでアトミックガールズ(写真)というラインダンスグループが選抜されました。アトミックガールズは直訳しますと原子力女性群ってことになりますか。これ、すごいネーミングですよね。1951年3月の結成ですから、朝鮮戦争の特需に沸きかえった年ですよね。


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 翌年の4月から例の『鉄腕アトム』(写真)の連載が始まっております。この時代から原子力の平和利用の期待が高まっていたんでしょうかな。まあたぶん、そんな深い意味はなくて、アトミックガールズという言葉のパンチ力でネーミングされたんでしょう。


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 といいますのはね、この四年前に『アトミックのおぼん』(写真)というね、杉浦幸雄先生のお色気マンガが登場しまして読者を集めたんですよ。

 『アトミックのおぼん』、いま考えると、これもすごいタイトルだ。主人公のアトミックのおぼんはですね、おでん屋のおかみでありましてね。でもね、真の顔はグラマーな女スリなんですね。お色気で男を手玉に取る、こんな悪女が人気キャラクターになったんですよ。

 これ、60年代になって映画化されました。おぼんを演じましたのが当時、お色気ナンバーワン女優、水谷良重さん、脇を春川ますみさんや、横山道代さんが固めておりましたな。

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 春川ますみさん(現在80歳、右写真中央が1955年当時の本人)といえば、日劇ミュージックホールですよね。春川さんはそこの踊り子さんだった。ご存知の方、まだご健在ですか。当時の人気劇場は浅草のSKDと有楽町の日劇ミュージックホール、あの上品な丸の内、有楽町でトップレスのダンスを見られるというので客を集めましたよ。このホールで深沢七郎さんがギターを弾き、トニー谷さん関敬六さんなんかがコントを担当していたんですが。

 テレビがマイナーな時代は舞台が面白かったんですね。たぶんあのAKB48もですね、秋葉原の劇場だけで公演している方が人気が長続きするんじゃないですか。たまにテレビに出る、これがちょうどいいんですよ」(2012年1月放送)
OSK(大阪少女歌劇団)

 さらにもう一つ、OSK日本歌劇団というのがある。OSKとは、以前の劇団名であった「大阪松竹歌劇団」(Osaka Shochiku Kagekidan) の略称。

 かつて、宝塚とは同じ関西でしのぎを削り、「歌の宝塚、ダンスのOSK」と並び称された。また同じ松竹が経営していたSKDは、OSKの後に東京を本拠とする劇団としてつくられ、大阪本拠のOSKとの棲み分けを図った。

 OSKは、宝塚歌劇団・松竹歌劇団(SKD)と並ぶ「三大少女歌劇」のひとつで、1922年(大正11年)4月、松竹楽劇部(前身)として創設され、2003年(平成15年)5月に一時解散した後、8月にはその伝統を引き継いで劇団員有志により「OSK日本歌劇団存続の会」として公演を再開している。

 OSK出身者には、京マチ子(93歳)、安西郷子(1934-2002年、68歳で没)、林美智子(78歳)、千賀かほる(69歳)などがいる。

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 「ブギの女王」として一世を風靡した笠置シヅ子(1914-1985年、70歳で没、写真)もOSK出身だ。

 彼女は、1927年(昭和2年)、小学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)を受験、歌・踊りは申し分ない実力をもちながら不合格となる。理由は当時のシヅ子が上背が小さい上、極度の痩せ型であったため、過酷な宝塚生活に耐えられないのではとの学校側の判断があったという。しかし同年「松竹楽劇部生徒養成所」(OSK日本歌劇団のかつての養成学校・日本歌劇学校の前身)を受験し合格、娘役・三笠静子の芸名で『日本八景おどり』で初舞台を踏んだ。

            笠置シヅ子/東京ブギウギ(1948年)


歌と踊りのミュージカルの傑作

雨に唄えば(1952年)…ハリウッド映画の変遷を織り交ぜ、俳優や女優たちの恋模様が描かれた名作ミュージカル映画。

ジーン・ケリー/雨に唄えば


メリー・ポピンズ(1964年)…50年以上経った今でも愛される、ディズニー映画のミュージカル作品!

ジュリー・アンドリュース&ディック・ヴァン・ダイク
スーパーカリフラジスティックエクスピアリドーシャス


キャバレー(1972年)…愛を求め、恋に傷つき…なお、栄光のスターを夢見て たくましく生きる女-- 魅惑の新星ライザ・ミネリが 華麗にスター誕生する 愛と感動のミュージカル・ドラマ!

ライザ・ミネリ/キャバレー



ザナドゥ(1980年)…当時大人気を誇る歌手オリビア・ニュートン=ジョンと、半ば引退状態にあった往年のミュージカル・スター、ジーン・ケリーの競演。


フットルース(1984年)…懐かしい名曲をパワープレイ。爽やか青春ストーリー

            ケニー・ロギンス/フットルース



コーラス・ライン(1985年)…さまざまな苦難を経て勝ち取った自分だけの「One」

A Chorus Line/One ( Finale)



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