学校で習った「ヨーロッパの穀倉地帯」、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故(左写真)、ウクライナの歌姫で、今は日本で活躍しているナターシャ・グジ―さん(34歳)(右写真)程度の知識だった。
ところがすわ!東西冷戦の再発かと、俄然世界の注目の的の国になったので、にわか勉強をしてみた。
「物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」
黒川祐次著「物語ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国」(2002年、中公新書)(写真)。 2004年のオレンジ革命の前に出された著書だ。
ウクライナについて、彼が赴任する前の知識も大したことがなかった。
アルヒープ・クインジ(1910年、68歳で没)作の風景画「ウクライナの夕べ」(1878年)(画像)を東京の絵画展で見て郷愁を誘われ、強く惹かれたこと以外は。
ソビエトが穀物の生産計画でミスをして小麦の生産量がガタ落ちになり、アメリカは小麦輸出を切り札にして軍縮交渉を有利に進め一定の成果を得る。
ところが時を同じくしてウクライナ解放運動のテロリストによりKGB長官が暗殺される。ソ連側はその事実を隠す。…ということから始まる壮大なスパイ・サスペンスである。
ウクライナとは
4500万人の人口、60万㎢でロシアに次ぐヨーロッパ第二の国土を持つ大国。それなのに、長い間「国がなかった」ウクライナ。
17世紀から18世紀の間にはウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国(帝政ロシア)の支配下に入った。
第一次世界大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。
東にロシア、西にハンガリー、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。
こんなに多くの国(8ヶ国)に囲まれてる国は滅多にない。(写真)
「ウクライナ」の語源については、「国」といった意味であるという説と、「辺境」といった意味であるという説がある。
気候は温暖な大陸性気候であるが、クリミア半島の南岸は地中海性気候により近い。降雨量は局所的に偏っており、北部や西部は多く、南部や東部は少ない。
冬は黒海沿岸は涼しいが、内陸に行くにしたがって寒くなる。夏はほとんどの地域で暖かいが、当然南に行くほど暑い。(Wikipedia参照)
首都キエフ
東ヨーロッパ有数の世界都市でもある首都キエフはドニプロ川の中域、北緯50度の位置で、北海道北端より更に北にある。
人口は250万人でウクライナ1、都市圏の人口は400万人もいる。
週末になると、歩行者天国になる市の中心部を通るフレシチャーティク通りや、2001年の独立10周年を記念して整備され、地下ショッピングセンターなどを備えた独立広場(マイダン・ネザレージュノスチ)などで人々が賑わっている。
市内にはキエフ大公国時代の建築物が多数残されているが、戦火や共産党政権などによって破壊されたものも少なくない。
1037年にキエフ・ルーシのヤロスラウ賢公がキエフを開発し、町の境界線に土塁を盛り、その上に城壁を作らせ、西へ向かう入り口に大門「黄金の門」を構築した。1240年にモンゴル帝国の軍勢によって破壊され、1982年に復元されるまで、一度も再建されることがなかった。
ムソルグスキー/キエフの大門(La grande porte de Kiev)
ウクライナ生まれの音楽家
ロシア帝国(1721年~1917年)のウクライナでは多くの音楽家を輩出した。
○作曲家プロコフィエフ(1953年、61歳で没)(写真)は、ロシア人ではあるが、ウクライナのボルタヴァ県ソンツォフカ生まれである。
彼は子供の頃ウクライナ民謡に触れ、それが後のバレー曲「ドニエプルの岸辺で」(1930年)、歌劇「セミョン・コトコ」(1939年)、映画音楽「ウクライナ草原のパルチザン達」(1942年)などに反映していると言われる。
彼は子供の頃ウクライナ民謡に触れ、それが後のバレー曲「ドニエプルの岸辺で」(1930年)、歌劇「セミョン・コトコ」(1939年)、映画音楽「ウクライナ草原のパルチザン達」(1942年)などに反映していると言われる。
「ピーターと狼」(1936年)は、子供のために作られた作品で、物語の登場人物(動物)はそれぞれがオーケストラの特定の楽器によって受け持たれ、オーケストラの楽器紹介の趣もある。
またそれぞれには固有の主題が割り当てられ、ライトモティーフ風に扱われている。
小鳥(フルート)、アヒル(オーボエ)、猫(クラリネット)、お祖父さん(ファゴット)、狼(3本のフレンチホルン)、猟師の撃つ鉄砲(ティンパニやバスドラム)、ピーター(弦楽合奏)
1946年にはディズニーで映画化された。
ディズニー映画/ピーターと狼(1946年)
ピアニストでは、ホロヴィッツ(1989年、85歳で没)やリヒテル(1997年、82歳で没)、ヴァイオリニストはアイザック・スターン(2001年、81歳で没)、ナタン・ミルスタイン(1992年、88歳で没)、ダヴィッド・オイストラッフ(1974年、66歳で没)など。
そして最後は、ウクライナの歌姫・ナターシャ・グジー。
ウクライナのドニエプロペトロフスク州(現ドニプロペトロウシク州)の村に生まれ、チェルノブイリ原子力発電所から3.5kmのプリピャチに転居した。
1986年のチェルノブイリ原子力発電所爆発事故によって被曝、その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。
ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳より音楽学校で学ぶ。チェルノブイリ原発事故で被災した少年少女を中心に結成された民族音楽団「チェルボナ・カリーナ」(赤いカリーナ)のメンバーとして、1996年、1998年に来日し、全国で救援コンサートを行う。
2000年からは日本語を学びながら日本での本格的な活動を開始。その透明で美しい水晶の歌声とバンドゥーラの可憐な響きは多くの聴衆のこころを惹きつけている。(Wikipedia参照)
ナターシャ・グジー/映画「千と千尋の神隠し」/いつも何度でも