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行進曲はクラシックなのか

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 前作、クラシックのような音楽で、ポップスとクラシックの境界線について問題提起をしたつもりだが、現代でもクラシックとポップスの作曲家に別れていて、その作曲家もクラシックとポップスに「相互乗り入れ」をしている。

 余計なお世話だが、どの曲がクラシックでどの曲がポップスなのか、果たしてはっきりと区分けが出来ているのだろうか。

 曖昧さが顕著なのが、「行進曲」ではないかと思う。
 「初めてのクラシック」を参考に、クラシックの音楽年表を作ってみた。
 
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 これも時代の区分けが曖昧なことが改めて良く分かったが、この表では、1890年頃からのクラシックでは「近代音楽」1920年頃から「現代音楽」というカテゴリーになるという。

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 ポピュラー音楽(ポップス)は1880年ごろからアメリカで始まったそうだが、ワルツ王・ヨハンシュトラウス2世(1825年~1899年、写真)の曲など、本当だったらポップスのジャンルに入るのではないかと思う。

クラシックの行進曲

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彼の父であるワルツの父・
ヨハン・シュトラウス1世(1804年~1849年、写真)の代表曲であるラデツキー行進曲(1848年)もポップスの部類だ。
 
ヨハン・シュトラウス1世/ラデツキー行進曲(1848年)


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イギリス近代音楽に偉大な功績を残したイングランドの作曲家、指揮者のエルガー(1857年~1934年、写真)の作曲した管弦楽のための行進曲集「威風堂々」(Pomp and Circumstance)作品39は、彼の死後、21世紀初頭に未完の第6番が補筆完成されて新たに加えられた。

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 一般的に知られているのは、第1番あるいはその中間部の旋律「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory、
画像)で、現在、イングランドの国歌は、連合王国の国歌『女王陛下万歳』がしばしば使用される。しかし、これを変更したいと要望があり、イギリス第2の国歌」「イギリス愛国歌」と称されるほど愛されている曲である。

エドワード・エルガー/「威風堂々」第1(1901)



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「双頭の鷲の旗の下に」(Under the Double Eagle)作品159は、オーストリアの軍楽隊長・作曲家の、ヨーゼフ・フランツ・ワーグナー(1856年~1908年、写真)が1902年に作曲した行進曲。「双頭の鷲の下に」と呼ばれることもある。同世代のジョン・フィリップ・スーザにちなんで、オーストリアのマーチ王」とも呼ばれる。リヒャルト・ワーグナーと区別するため、J.F.ワーグナーと表記される。ワーグナー一族とは関係ない。

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 題名にある「双頭の鷲」(写真)とは、オーストリア=ハンガリー二重帝国の象徴である。現在ではオーストリア陸軍第2師団の公式な行進曲に採用されている。日本では運動会などの行進曲としてよく用いられる。


J.F.ワーグナー/双頭の鷲の旗の下に(1902)


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ジョン・フィリップ・スーザ(1932年、77歳で没、写真) は、アメリカの作曲家、指揮者。100曲を越える行進曲を作曲したことから、「マーチ王」と呼ばれる。

 次の曲は誰もが一度は聴いたことのある有名な曲ばかり。これはクラシックのようだ。

1.剣闘士(1886年)2.忠誠(1888年)3.ワシントン・ポスト(1889年)4.士官候補生(1890年)5.自由の鐘(1893年)6.マンハッタン・ビーチ(1893年)7.キング・コットン(1895年)8.エル・カピタン(1896年)9.星条旗よ永遠なれ(1896年)10.無敵の鷲(1901年)11.美中の美(1908)

ジョン・フィリップ・スーザ/雷神(1889年)


 ここでは載せられなかったが、その他、ヴェルディ:歌劇 「アイーダ」より”凱旋行進曲”、ワーグナー:タンホイザー大行進曲、チャイコフスキー:スラヴ行進曲、メンデルスゾーン:結婚行進曲、モーツァルト:トルコ行進曲、ベートーヴェン:トルコ行進曲、シュランメル:ウィーンはいつもウィーン、チャイコフスキー:「くるみ割り人形」より“行進曲”、 ショパン:ピアノ・ソナタ第2番より第3楽章「葬送行進曲」、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」第2楽章“葬送行進曲”、ベルリオーズ:ラーコッツィ行進曲(ハンガリー行進曲)、ケネス・アルフォード:行進曲「ボギー大佐」、シューベルト:軍隊行進曲、タイケ:行進曲「旧友」など、たくさんのクラシックの行進曲がある。

芸術音楽=クラシック、大衆音楽=ポピュラー音楽(?)

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 ところで、拙ブログ大衆音楽とはで紹介した、輪島裕介「踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽(2015年、NHK出版新書、写真)によると、音楽には「芸術音楽」ないし「真面目な音楽」と、「大衆音楽」に別れ、前者は「聴くだけで、踊ってはいけない音楽」だというのだ。

 西欧の大都市では19世紀を通じて、真面目で厳粛な公開演奏会を行うコンサートホール
娯楽的な音楽施設が明確に区分されてゆく。

 娯楽的な音楽施設は、ウィーンなら舞踏場、ロンドンならミュージックホール、フランスならキャバレー、ニューヨークならミンストレルというように、それぞれの都市で異なる形態をとった。

 そこで演奏される音楽は、前者が「高級・真面目な(≒クラシック)音楽」、後者が「低級・娯楽的な(≒ポピュラー)音楽」で、前者が古く、後者が新しいというわけではない。

 それでは、行進曲は、「芸術音楽」なのか、「大衆音楽」なのか。
ポップス(?)の行進曲

スーザ「マーチ王」で、J・F・ワーグナーオーストリアのマーチ王」ならば、日本にも「和製スーザ」がいる。

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 「とんがり帽子」(1947年)、「長崎の鐘」(1949年)、「イヨマンテの夜」(1949年)、「君の名は」(1953年)など、数々のヒットで有名な古関裕而(1989年、80歳で没、写真)である。

 彼の「オリンピック行進曲」は、数ある行進曲の中でも最も好きな曲だ。

 我々団塊世代にとって、東京オリンピック(1964年)以上に感動したオリンピック大会はなかったし、第2次東京オリンピック(2020年)も含めて、もう2度とこんな興奮を経験することは無いだろう。自分が当時15歳中学3年生のとき東京オリンピックは行われた。

 しかし、私にとって東京オリンピックの最大の思い出は、バレーボール「東洋の魔女」でも、柔道のアントン・ヘーシンクでもない、和製スーザこと、古関裕而作曲のオリンピック行進曲である。(拙ブログ、東京オリンピック(1964年)参照)

ファンファーレとオリンピック行進曲(1964年)


「栄冠は君に輝く」は、加賀大介が作詞、古関裕而が作曲した歌・行進曲で、1948年に発表された。副題は「夏の全国高等学校野球選手権大会の歌」

 この曲は、1948年の学制の改定に伴い、それまでの「全国中等学校優勝野球大会」が「全国高等学校野球選手権大会」に改称する事になったことにあわせ、更にこの年の大会が第1回大会から数えて30回目の節目の大会であったことから主催者である朝日新聞社が新しい大会歌として全国から詞の応募を募り、応募総数5,252編中から、最優秀作品に選ばれたのが加賀の詞であった。

 夏の全国高等学校野球選手権大会」の大会歌として大会の開会式、閉会式で演奏され奉唱される。更に、現在では大会の主催新聞社である朝日新聞社の告知CMや、大会中の5回裏終了時から6回表攻撃開始前のグラウンド整備時の球場内BGMとして、知名度は非常に高い。 

全国高等学校野球大会の歌 「栄冠は君に輝く」(1948)


 <ここからは余談>

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 夏の高校野球も、もう大詰め。わがふるさと、広島県の広陵高校が決勝に進出した。今日は休みだったせいもあり、珍しくテレビで野球観戦。お目当てはもちろん、中村奨成選手(画像)だ。

 今日も期待通りの活躍。甲子園史上最大のスーパースター誕生だ!もう2度と超える男は出てこないだろう!先制2ラン、同点ソロ。この日も2本のホームランを放ち名実ともに清原和博の大会記録を超える一大会6本目のホームランを記録した。そして今日だけで7打点を稼ぎ、通算17打点も2008年大阪桐蔭の萩原圭吾の15を超える大会新記録である。満足満足。大満足。


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オリンピックと言えば、「スター・ウォーズ」のテーマ曲などで知られる、ジョン・タウナー・ウィリアムズ(現在85歳、写真)のオリンピック テーマ曲。1984年のロサンゼルスオリンピック以降計3回行われているアメリカでのオリンピックで、楽曲を提供している。

・1984年
ロサンゼルスオリンピック『オリンピックファンファーレとテーマ』(Olympic Fanfare and Theme)=グラミー賞受賞。

・1996年アトランタオリンピック『サモン・ザ・ヒーロー』(Summon the Heroes)

・2002年 ソルトレイクシティオリンピック『コール・オブ・チャンピオン』(Call of the Champions)

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ロサンゼルス大会(1984年、写真)は、1980年に行われたモスクワ大会に、その前年に行われた「ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する」という理由で、アメリカが西側諸国にボイコットを呼びかけた結果、日本や西ドイツ、韓国など多数の西側諸国が参加しなかった。その報復として東側諸国は本大会をボイコットした(表向きの理由は1983年のアメリカ軍によるグレナダ侵攻に対する抗議)少し寂しいオリンピックだった。
 
ジョン・ウィリアムズ/オリンピック・ファンファーレとテーマ(1984年)


日本の戦後の行進曲

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現在も石丸幹二の司会で続いている日曜日朝9時放映中の長寿番組・テレビ朝日「題名のない音楽会」の初代司会者(1964年~1997年)の黛敏郎(1929年~1997年、写真)は、戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人として知られる。

 1997年4月10日、肺を原発巣とする転移性肝腫瘍による肝不全のため逝去した。68歳没。その二日後の「題名のない音楽会」で追悼放送。司会と懇談は岩城宏之永六輔ほか。彼が作曲した『涅槃交響曲』の抜粋ビデオが紹介され、チェロ独奏曲『BUNRAKU』が演奏された。なお、その後番組は、半年の永六輔の代理司会を経て10月にリニューアルした。

黛敏朗/スポーツ行進曲(1953年):日本テレビ


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「祝典行進曲」は、1959年に、日本を代表するクラシック音楽の作曲家の一人である團伊玖磨(1924年~2001年、写真)によって作曲された行進曲である。1959年、当時皇太子であった明仁親王(今上天皇)及び美智子妃(現皇后)の成婚を祝して作曲された。

 戦後日本を代表する行進曲であり、海外の軍楽隊等が日本において演奏会を行う場合には、瀬戸口藤吉「軍艦行進曲」とともに、必ずといって良いほど演奏される。現在は入学式や体育祭、卒業式などに使われることが多い。

團伊玖磨/祝典行進曲(1959年)


古関裕而も、前出の黛敏郎日本テレビのように、NHKのスポーツ番組のテーマソング、スポーツショー行進曲(1949年)を作曲、なお、レイモンド服部TBSのスポーツ番組のテーマソング、コバルトの(1951年)を作曲している。

古関裕而/スポーツショー行進曲(1949年):NHK


 実はこんなこと、音楽の世界では多いので、大してこだわっていないけどね。(Wikipedia参照)



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