石原慎太郎氏、会見やめた 14日に宣言も一夜で撤回(スポーツ報知 2/16) が出たばかりだというのに、すぐにこんな記事だ。-正にダッチロール状態が続いている。
迷走慎太郎氏、会見やっぱり「やる」再度方向転換も来週見送り…豊洲市場移転問題 (スポーツ報知 2/17)
豊洲市場移転問題についての記者会見を見送る意向を示していた元東京都知事の石原慎太郎氏(84歳、写真左)が16日、都内の自宅前で「(会見を)します」と述べた。時期については答えなかった。
関係者によると、当初は20日以降の会見実施を予定していたが見送る方針で、27日以降についても「会見を開けるかは分からない」としている。
3月18~20日に予定される参考人招致までに事実関係の整理に時間がかかるとしている。また、事前に記者会見で話した場合、発言内容に矛盾が生じる恐れなどがあるとし「招致の時期も決まったので、事前の会見を行うのは難しい状況」とした。
特別委員会では、石原氏以外に東京ガスの用地取得の交渉に当たった浜渦武生元副知事(69歳、写真右)らも呼ぶ予定で、両氏は応じる意向を示している。石原氏は14日、「勝手なことを一方的に言われるのはかなわない。屈辱を晴らしたい。来週会見します」と宣言していた。
一方、小池百合子都知事(64歳、写真)はこの日の定例会見で、石原氏について「屈辱とか、そういう問題じゃなくて、都民の皆さんはファクト(事実)を知りたいということ。その一点で私は、以前から、いつどこで何を決めたのか、ということを明確にしたいと申し上げております」と一蹴した。
呆れてものが言えない。これを「もうろく爺」だから仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、どうやら彼は以前からこんな人間だったらしい。
強面で気に食わない発言を許さない人物ほど、実は相手を攻撃するときは強いが、守勢に回ると弱さが露呈する、「気の小さい人間」の典型のようだ。
次に紹介する佐高信氏は、彼のことを指したのではないが、それをこのように言っている。
「小心な自信家で、批判に耳を傾ける余裕がない。つまりは器が小さいのである」ーどこかの大統領や、どこかの首相のことを指しているようにも思えてくる。
「いま日本はタカ派ばかり【佐高信の政経外科15】」(2013年、佐高信著、毎日新聞社、写真)に、石原慎太郎のことが触れてある。
いくつか紹介してみよう。(原文の趣旨は曲げず、代名詞など表現を一部変えている。また、青字は筆者が追加記述した)
〇石原慎太郎は少なくとも2度逃げた「前科」がある。
一度は田中角栄が推進した日中平和友好条約(1978年、写真左)の採決の時。
今や尖閣購入宣言を行ったり、「支那」と蔑称で呼んだりして、中国に対して勇ましいことを言っている慎太郎が、驚くべきことにそれに賛成したのだ。
自民党の超タカ派集団、青嵐会(写真)の同志だった浜田幸一は「日本を救う9人の政治家とバカ一人」(2001年、双葉社、写真)の中で、あの時の慎太郎だけは許せない、と息巻いた。
(ちなみに、彼のいう日本を救う9人の政治家とは、小泉純一郎、田中真紀子、野中広務、鳩山由紀夫、小沢一郎、橋本大二郎、北川正恭、石原伸晃、石原慎太郎)*一部に、ちょっとピントがずれている感がするが。
ハマコーこと浜田幸一は、石原慎太郎はあらゆる場において「NOといえる日本になりたい」と言っているけれども、ではなぜ、血判まで求めた青嵐会の幹事長である慎太郎が、本会議に上程される前の外務委員会で、あの条約に起立賛成したのか、と詰問している。
「おまえ、人のことを『この政治家の体たらく』っていうてるけれど、誰に向かってものをいうとるんや。ワシはお前みたいに、よその女に子どもを産ませたことないぞ」
すると、慎太郎は顔面蒼白になり、しどろもどろで何を言ってるかわからない言葉を吐いた。
もう一つの卑怯は「天皇」とまで言われた参議院議長の重宗雄三(1976年、82歳で没、写真)に逆らって河野謙三(1983年、82歳で没)が立ち、自民党の一部と野党の協力によって1971年、河野議長が誕生した時だ。
慎太郎は自著の「国家なる幻影」で、自分をその立役者のように書いているが、事実は違っていた。
このとき、三木は憐憫と侮蔑に満ちた眼差しで慎太郎を見据え「君やらは謀反を起こしても権力から何もされないとでも思っているのか」と一喝したそうだ。
そのとき、目をしばしばさせてオドオドしていたことが忘れられないと國弘が述懐している。後日、三木は國弘に「あの男は腹がすわっとらんのう」と言ったとか。
〇ミッチーも仰天する「老害」の極み
そういう慎太郎は70歳どころか、82歳で衆議院議員選挙で落選するまで政界を闊歩したのだ。
東京都知事については、14年もその座に居座り続け、2011年、4期目に入ったころから国政の政権与党である民主党の混乱の中で、何と「次の首相」候補として名前が取りざたされ、2012年10月、4期目途中で知事職を辞任し、国政へ復帰した。
マスコミも本人が増長するように、甘やかせたんだね。
〇新銀行東京の破たん責任
合計で1400億円に達する東京都民の血税と11年あまりの歳月を無為に費やした「石原銀行」こと新銀行東京(写真)は、昨年(2016年)4月、東京TYフィナンシャルグループに吸収された。
今年の5月1日にはグループ傘下の東京都民銀行や八千代銀行と合併して「きらぼし銀行」となる予定で、負の遺産は“完全消滅”する。
2005年に設立し、最初は「他の銀行が逆立ちしてもできないことをやる」などと力んでいた慎太郎が、2007年には「発案は私でその責任はあるが、私の金融の専門家ではない。経営者に責任がある」と逃げ腰だった。責任転嫁が彼の得意とするところだ。
これは「豊洲移転」と全く同じ構造ではないか。
石原慎太郎の不祥事や汚点について、これまで何故かタブーのごとく大目に見てきたマスコミが、まるで魔法が解けたように追及の対象になってきた。
そして、週刊文春(写真左)と、同時に発売された週刊新潮(2月23日号)だ。
このうち、週刊文春は自分で買って内容を見た。
記事のタイトルは「石原慎太郎都政『血税豪遊』全記録」、サブタイトルは「日本のトランプ!舛添とはケタ違い」と刺激的だ。
もっと早く報道していたらとは思うが、週刊文春は、石原慎太郎が都知事の時代の贅沢三昧をこれでもかと書いてる。
▶四男事業に補助金7億円 小池が怒った親バカ陳情
▶長男伸晃と同僚国会議員の会社19万円も都の交際費
▶ワイン1本3万9千円 焼酎2万8千円 側近と会食16回329万円
▶海外出張34回5億円 ガラパゴスは豪華クルーズ宿泊52万円 ほか
そこに書かれている血税豪遊はこれで失脚した舛添要一前都知事(68歳、写真)の比ではない。
舛添氏にしてみれば、「何故自分だけがこんなにバッシングに遭うんだ!」という思いは強かっただろう。
週刊新潮は対照的だ。小池百合子の悪口を並べる石原慎太郎の70分独占インタビューを掲載している。そこには厚化粧の小池は総理の器にあらずという悪口がさんざん書かれている。
週刊新潮のレベルの低さで、ここでは文春の方に勝負ありという感じだ。
いずれにしても、遂に石原慎太郎が馬脚を現わしたといえる。
これも上述の佐高信の書にあるが、
それで三島に電話したが、こんな答えが返ってきた。
「ぼくは、いやしくも文学者です。政治屋に堕落した人間とは口もききたくないという心境です。石原君が文学者として話したいというなら、多少の余地はあるかも知れないけれど、新聞を読んだ限りでは、もう彼は別の世界の人間だ。接点がない以上、この対談は無意味ですよ。文学者としてもぼくが、石原君との同席には耐えられません」
こんな男にお国は2015年春の褒章で旭日大綬章受章を与えたのだ。
人間、晩節を汚さないよう配慮して生きる必要がある。