朝日新聞1月14日号に(ニッポンの宿題)「米軍基地のこれから」という記事があった。
「1945年の敗戦で占領軍が進駐して以来、主権を回復してからも、米軍が日本国内に駐留しなかった日は1日もありません。
戦後100年、2045年の日本にも、米軍基地は各地に残るでしょうか。この先のロードマップをどう考えればよいのでしょう」
ということで、 アメリカ合衆国の政治学者、マサチューセッツ工科大学政治学部教授・リチャード・サミュエルズさん(65歳、写真左)と日本の国際政治学者、歴史学者。中京大学教授・佐道明広さん(66歳、写真右)に聞いている。
■総意ないまま「安乗り」続く リチャード・サミュエルズさん
米軍や自衛隊の基地をどうするかは、大きな安全保障の戦略に付随します。しかし、日本は国際環境の変化に合わせた国民的なコンセンサス(総意)を見いだせていないのではないでしょうか。
日本は明治維新後に3度、安全保障の国家戦略を打ち出しています。
富国強兵、第1次世界大戦後の大東亜共栄圏をめざす方向、そして第2次大戦後の「吉田ドクトリン」です。占領中、米政権内でも基地存続の意見は分かれていました。国務省政策企画室長のケナンは、米軍を引き揚げるつもりでした。でも基地の維持を望んだ首相の吉田茂は、後に国務長官となるダレスらの主導のもと、通常の同等な国の同盟関係とは異なる体制をつくりました。
吉田ドクトリンの柱は、比較的少ない防衛予算で、安全保障は米国に依存し、経済的繁栄をめざすこと。米国の安全保障に「ただ乗り」ならぬ「安乗り」をすることといえます。日本は米国市場に輸出ができ、巨大な米国の産業用技術を利用して「国産化」を進めることもできました。米国にとっても「二重の封じ込め」の道具でした。共産主義を封じ込め、日本をソ連に支配されない地政学上の要にすると同時に、米軍基地は日本を再び軍事大国にしない「ビンのフタ」でもあったのです。
この「国家戦略」に、日本では当初、保守陣営内にも、平和主義の左派にも強い反対がありました。自主防衛を主張し、米軍基地の存続に反対していた右派は、55年体制の成立で自民党に取り込まれていきました。一方、60~70年代には反基地や原子力空母の寄港阻止の闘争が激しく盛り上がりました。ベトナム戦争に「巻き込まれる」ことへの恐怖が、広く共感を呼んだのです。
ところが、冷戦が終わり、国際環境は大きく変わりました。国内でも94年に日米安保と自衛隊に疑問を投げかけ続けていた社会党が自民党などとの連立政権に入って方針転換し、基地反対の動きは全国的には下火になっていきます。
そして、いまは中国が軍事力、経済力をつけて台頭しています。尖閣諸島などの領土問題がきっかけとなり、米国が「日本と中国の戦争に巻き込まれる」ことを警戒するようにもなっています。日本政府は、米国に見捨てられることが安全保障と経済的繁栄にとっての脅威と受けとめて、対応を続けています。
冷戦終了から30年近くがたちます。アジアの国際環境の劇的な変化を踏まえれば、もっと早くから、吉田ドクトリンに代わる国家戦略について、国民的な議論を深めるべきでした。日本が自らの生き残りのために何を選択するかが、問われているからです。
在日米軍基地は、約7割が沖縄に集中し、神奈川などの一部の地域に偏在し、吉田ドクトリンが形づくられた冷戦中からあまり変わっていません。一刻も早く分散させ、負担を軽減させるべきですが、「自分の裏庭には嫌だ」という態度に阻まれています。
実は、2011年の東日本大震災が、この現状を根本的に見直すきっかけになるのでは、と期待しました。日米が初めて演習ではなく共同作戦を実行し、災害救援や原発事故対応に活躍したトモダチ作戦は、広く好意的に受け入れられたからです。ところが、自衛隊と在日米軍の配置や役割、指揮命令系統の再編などを含め、めざましい変化をもたらしていません。
20日に米大統領に就任するトランプ氏が、昨年の選挙戦で駐留米軍経費に言及したことで、日本の安保「安乗り」の構図に改めて注目が集まりました。彼が意図したかどうかは別にして、日本に新たな国家戦略づくりを求めているのです。
■独自の戦略持ち、米に注文を 佐道明広さん
本来、外国の軍隊が自国の中に居続けるのは、占領期を除けばきわめて例外的なことです。しかし多くの日本人は当たり前に思っていて、疑問に感じていません。
これだけ状況が変わってきているのに、米軍基地について、ほとんどの日本国民は考えていない。しわ寄せは全部、沖縄に行っている。基地という宿題を解決しようとするなら、日本の安全保障はどうあるべきか、政府だけでなく、国民も考える時期に来ています。
日米安保の本質は「基地と防衛の交換」です。「基地を提供する代わりに日本を守ってください」という発想から始まっている。欧州でもドイツやイタリアなどに米軍基地がありますが、北大西洋条約機構(NATO)という枠組みで、互いに防衛の義務を負う「双務性」がかなりある。「基地と防衛の交換」ではないんです。
日本が、例外中の例外ともいえるやり方をとっているのは、やはり憲法9条の制約が大きいから。憲法問題にならない範囲内で、国を守るためのウルトラCとして、「基地と防衛の交換」という方法が発明された。もともとは、日本の防衛に米国を巻き込もうという発想だったのです。
しかし、安保体制のもとで、日本の外交・安全保障政策は、米国の戦略にいかに合わせていくか、いかに米国に見捨てられないようにするかだけを考えるようになった。日本独自の戦略というものがなくなってしまいました。
日本は、防衛や安全保障の戦略をもつことが必要です。国会で、国家安全保障問題調査会のようなものを与野党がつくり、国際情勢の調査や有識者ヒアリングを行い、徹底的に議論する。憲法についてもタブーにせず、きちんと議論していくべきでしょう。
NATO加盟国のアジア版のようになることも一つの選択肢ですが、完全に「普通の国」になる必要はありません。日本は少し違っていてもいい。平和国家として、「これはやらない」と憲法に明記することも考えられます。
自衛隊の役割は何なのかも、根本的に考え直すべきです。国防、災害救助の支援、国際協力という三つの役割をこなしていくには、自衛隊は組織的にも、予算的にもすでに限界に来ています。防衛予算を倍にできるわけがない。
むしろ、海上保安庁をもっと拡充してはどうでしょうか。海保の船なら、相手もいきなり軍艦を出してくることはできません。海上警察力を強化すると同時に、海保と自衛隊との連携のあり方も検討すべきでしょう。
中国の状況なども考えると、米軍が日本に駐留を続けることは当面必要だと思います。日本だけでできることには、どうしても限界があります。とはいえ、基地は本来、日本が提供しているものです。全部米軍の都合に合わせるのではなく、「我が国の防衛戦略はこうです。だから基地の数や場所はこうしてください」と言える関係にしていかなくてはいけない。
1950年代に比べれば、米軍基地は大きく減りました。日本から注文をつけたからです。57年には岸信介首相がアイゼンハワー米大統領に、在日米軍の地上兵力を減らすよう要望しました。70年代には、関東地方の米軍基地を整理・統合する「関東計画」が行われました。しかし、いつからか注文をつけなくなり、米国に合わせるだけになった。基地もほとんど減らなくなりました。
しかし、明確な戦略をもって米国と議論していけば、沖縄の海兵隊撤退の可能性を含めて、基地のあり方を変えていくことはできるはずです。
そして、こんな本も。矢部宏治著・日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか(2016年、集英社インターナショナル、写真)
東京を中心に北は新潟、東が群馬・栃木、西南は静岡までをすっぽり覆う1都8県をカバーする広大な空域、実はこれが米軍横田基地の管理空域であることは知られていない。
日航や全日空など民間航空機は最高7,000mに及ぶこの「横田空域」を飛行禁止にされ、毎回これを避けて急旋回・急上昇しているのだ。
都心の六本木周辺は星条旗新聞のある赤坂プレスセンターに巨大な米軍専用ヘリポートがあり、高級高層マンションのすぐそばを昼夜かまわず離発着して付近住民の迷惑にもなっている。
沖縄の基地問題は知られているが、実はいまも日本全体が米軍の支配下といっても過言ではないのである。
著者は「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていることー沖縄・米軍基地観光ガイド(書籍情報社)をヒットさせた出版社主。