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イージーリスニングで聴くラテン音楽

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イメージ 1 ラテンアメリカLatin America(画像)とは、アングロアメリカに対する概念で、アメリカ大陸の中で、主として英語が話されるアメリカ合衆国カナダなどに対して、スペイン語ポルトガル語が話される中南米諸国のことを指す
 
 しかし、アメリカ合衆国やカナダにもランス語スペイン語を使用する住民(特に近年はヒスパニック系アメリカ人が増加)が多数存在しており、逆にラテンアメリカにも英語オランダ語を使用する地域があることから、厳密な区別とはなっていない。
 
 今日、ラテンアメリと称した場合は「メキシコ以南の北米大陸、カリブ海地域全域、南アメリカ大陸全域、の3地域とその周辺の島々」を指す。
 
 その面積は約2000万平方キロメートルで、日本の国土の50余り、33カ国が属する。


 そのラテンアメリカと言えば真っ先に音楽が思い浮ぶ。
 
イメージ 8イメージ 7イメージ 2 団塊の世代であれば誰でも知っている、マンボの王様ベレス・ブラード 1989年、72歳で没)(写真左)ルンバの王様ザビア・グガート 1990年、90歳で没)写真中、そして、チャチャチャの王様エンリケ・ホルン (1987年、60歳で没)(写真右
 
 エドムンド・ロスコマンド・オールスターズのインストゥルメンタルから、トリオ・ロス・パンチョスのコーラスまで、ラテン音楽が大流行していた時代が確かにあった。
 
 そして、南米ではフォルクローレクンビアタンゴサンバボサノバ。カリブ海ではレゲエカリプソサルサメレンゲ。中米ではマリアッチ。ー正に音楽の宝庫である。
イメージ 10 中村とうよう「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)写真には、次の様な記述がある。
 
 「ポピュラー音楽というものはジャズとともにスタートした、と見られがちだ。だがポピュラー音楽の世界化の始動は、ジャズに先だってすでに19世紀に始まっていた。それはニューオリンズのすぐ南側、カリブ海で起こった。
 

 しかもぼくの見方では、カリブの島々で19世紀後半に起きた新しい音楽の動きは、世界の音楽の根本を変える、ジャズの誕生よりももっと重要な革新であり、これこそが20世紀ポピュラー音楽への道を開く決定的な出発点だったのである」

 

 そのカリブ海(Caribbean Sea)は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域で、全体は西インド諸島と呼ばれ、バハマ諸島(バハマ)と、キューバ島(キューバ)、イスパニョーラ島(ハイチ、ドミニカ共和国)、ジャマイカ島(ジャマイカ)、プエルトリコ島(プエトリコ)の大アンティル諸島および、ドミニカ諸島(ドミニカ)、トリニダード・トバコなどの小アンティル諸島で構成されている。

 

イメージ 14

 今回は「イージーリスニングで聴くラテン音楽」と題して、癒し系の音楽で綴ってみた。
 
イメージ 6

クレバノフ・ストリングス/ベサメ・ムーチョ
ロス・インディオス・タバハラス/ソラメンテ・ウナ・ベス
 
イメージ 9不滅の名曲「ベサメ・ムーチョ」Bésame mucho)はスペイン語の歌で、英語の副題はKiss me muchといい、日本語で言うと「私にたくさんキスをして」という意味の曲である。
 
 メキシコ・グスマン市出身のコンスエロ・ベラスケス写真)2005年、88歳で没)という美貌の作曲家・ピアニストによって、23歳の時に作られた。
 
 彼女の女ともだちの夫の入院先を見舞ったとき、容態が思わしくなく、自分の最後が近いことを悟っていた夫が妻に『たくさんキスして』とせがんだのを聞いて作った歌だという。
 
 
レス・リード・オーケストラ/グァンタナメラ(原曲は1929年)
フランク・プウルセル楽団/恋のベネズエラ
 
「グァンタナメラGuantanamera)は、世界的に有名なキューバ音楽。「グァンタナモの娘」のことをいう。グアンタナモはキューバ南東部の都市。米軍基地がおかれている。
 
イメージ 13 アレホ・カルペンティエルの著書『キューバの音楽』によると、「グァンタナメラ」のルーツは作者不詳の8音節4行詩の農民歌謡(民謡)で、ホセイート・フェルナンデス写真)の歌声により1920年代に広まったとされている。
 
 なお、ホセイート・フェルナンデス(1979年、71歳で没)は、20世紀のキューバ音楽を代表するシンガーソングライター。
 


ロス・インカス/コンドルは飛んでいく(1963年)
クスコ/アンデス(1991年)
 
「コンドルは飛んでいく」は、アンデスのフォルクローレの代表的な曲だが、日本ではサイモン&ガーファンクルのカバーにより有名になった。
 
イメージ 5 自分にとっては、アルゼンチン出身でフランスで活動していたグループ、ロス・インカスの演奏になじみが深く、実際、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」はこのロス・インカスの音源に彼らの歌をミックスしたものになっている。
 
イメージ 4「過去、一番聴いたアルバムは?」と聞かれると、すぐにこれが思い浮かぶ、クスコ:インカ伝説(英名:アプリマック)。
 
 実はこの演奏は、現地人ではなくドイツ人2名によるもので、しかもパン・フルートの音色のシンセサイザーがフィーチャーされ、ケーナやチャランゴ、アルパなど、中南米の楽器は使われていない。
 
 しかし、インカの神秘的な世界を見事に表現したクスコの最高傑作で、日本人とインカ人とのDNAの繋がりを切々と感じる、郷愁を誘う名曲の数々、「アンデス」はその曲の一つである。
 


ウニャ・ラモス/花祭り
アルフレッド・ハウゼ楽団/ラ・クンパルシータ
 
「花祭り」の原題は「エル・ウマウアケーニョ」で、2003年、世界遺産に登録された、ウマウアカ渓谷があるウマウアカという町のことを言う。
 
イメージ 12 ウマウアカは、アルゼンチンにあり、ボリビア国境に近く5000m級の山々に囲まれ、伝統的なアンデス音楽が伝承されている地域として有名であり、ケーナの名手ウニャ・ラモス(現在80歳写真の生まれ育った町としても知られている。
 
 花祭りは、「ウマウアカの町にカーニバルがやってきた。さあ踊りましょう、歌いましょう」といった内容の楽しい曲である。
 
イメージ 3ラ・クンパルシータ」La Cumparsita)は、ウルグァイヘラルド・エルナン・マトス・ロドリゲス1948年、51歳で没)(写真)17歳のとき作曲した、アルゼンチン・タンゴを代表する曲。
 
 作曲や誕生地はウルグアイであり、第二の国歌とされるほど親しまれているが、アルゼンチン・タンゴの代表曲でもあり、最も普及した歌詞もアルゼンチン人によるものであるため、しばしば双方によって自国の音楽であると主張されている。
 


カーメンキャバレロ/映画「黒いオルフェ」よりカーニバルの朝(1959)
エドムンド・ロス楽団/ブラジル
 
イメージ 11カーニバルの朝Manhã de Carnaval)は、ルイス・ボンファ(2001年、79歳で没写真作曲の、映画黒いオルフェ(1959年)主題歌。
 
 最初はサンバSamba)の曲として作られたが、映画音楽およびボサノヴァの曲として、世界中の様々なアーティストによってカヴァーされている。
 


 次もラテン音楽の特集を。

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