しかし、アメリカ合衆国やカナダにもフランス語やスペイン語を使用する住民(特に近年はヒスパニック系アメリカ人が増加)が多数存在しており、逆にラテンアメリカにも英語やオランダ語を使用する地域があることから、厳密な区別とはなっていない。
今日、ラテンアメリカと称した場合は「メキシコ以南の北米大陸、カリブ海地域全域、南アメリカ大陸全域、の3地域とその周辺の島々」を指す。
その面積は約2000万平方キロメートルで、日本の国土の50倍余り、33カ国が属する。
そのラテンアメリカと言えば真っ先に音楽が思い浮ぶ。
そのラテンアメリカと言えば真っ先に音楽が思い浮ぶ。
エドムンド・ロス、コマンド・オールスターズのインストゥルメンタルから、トリオ・ロス・パンチョスのコーラスまで、ラテン音楽が大流行していた時代が確かにあった。
そして、南米ではフォルクローレやクンビア、タンゴ、サンバにボサノバ。カリブ海ではレゲエやカリプソ、サルサにメレンゲ。中米ではマリアッチ。ー正に音楽の宝庫である。
中村とうよう著「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書)(写真)には、次の様な記述がある。 ![イメージ 14]()
「ポピュラー音楽というものはジャズとともにスタートした、と見られがちだ。だがポピュラー音楽の世界化の始動は、ジャズに先だってすでに19世紀に始まっていた。それはニューオリンズのすぐ南側、カリブ海で起こった。
しかもぼくの見方では、カリブの島々で19世紀後半に起きた新しい音楽の動きは、世界の音楽の根本を変える、ジャズの誕生よりももっと重要な革新であり、これこそが20世紀ポピュラー音楽への道を開く決定的な出発点だったのである」
そのカリブ海(Caribbean Sea)は、メキシコ湾の南、大西洋に隣接する水域で、全体は西インド諸島と呼ばれ、バハマ諸島(バハマ)と、キューバ島(キューバ)、イスパニョーラ島(ハイチ、ドミニカ共和国)、ジャマイカ島(ジャマイカ)、プエルトリコ島(プエトリコ)の大アンティル諸島および、ドミニカ諸島(ドミニカ)、トリニダード・トバコなどの小アンティル諸島で構成されている。
今回は「イージーリスニングで聴くラテン音楽」と題して、癒し系の音楽で綴ってみた。
クレバノフ・ストリングス/ベサメ・ムーチョ
ロス・インディオス・タバハラス/ソラメンテ・ウナ・ベス
メキシコ・グスマン市出身のコンスエロ・ベラスケス(写真)(2005年、88歳で没)という美貌の作曲家・ピアニストによって、23歳の時に作られた。
彼女の女ともだちの夫の入院先を見舞ったとき、容態が思わしくなく、自分の最後が近いことを悟っていた夫が妻に『たくさんキスして』とせがんだのを聞いて作った歌だという。
レス・リード・オーケストラ/グァンタナメラ(原曲は1929年)
フランク・プウルセル楽団/恋のベネズエラ
○「グァンタナメラ」(Guantanamera)は、世界的に有名なキューバ音楽。「グァンタナモの娘」のことをいう。グアンタナモはキューバ南東部の都市。米軍基地がおかれている。
なお、ホセイート・フェルナンデス(1979年、71歳で没)は、20世紀のキューバ音楽を代表するシンガーソングライター。
ロス・インカス/コンドルは飛んでいく(1963年)
クスコ/アンデス(1991年)
○「コンドルは飛んでいく」は、アンデスのフォルクローレの代表的な曲だが、日本ではサイモン&ガーファンクルのカバーにより有名になった。
実はこの演奏は、現地人ではなくドイツ人2名によるもので、しかもパン・フルートの音色のシンセサイザーがフィーチャーされ、ケーナやチャランゴ、アルパなど、中南米の楽器は使われていない。
しかし、インカの神秘的な世界を見事に表現したクスコの最高傑作で、日本人とインカ人とのDNAの繋がりを切々と感じる、郷愁を誘う名曲の数々、「アンデス」はその曲の一つである。
ウニャ・ラモス/花祭り
アルフレッド・ハウゼ楽団/ラ・クンパルシータ
○「花祭り」の原題は「エル・ウマウアケーニョ」で、2003年、世界遺産に登録された、ウマウアカ渓谷があるウマウアカという町のことを言う。
花祭りは、「ウマウアカの町にカーニバルがやってきた。さあ踊りましょう、歌いましょう」といった内容の楽しい曲である。
作曲や誕生地はウルグアイであり、第二の国歌とされるほど親しまれているが、アルゼンチン・タンゴの代表曲でもあり、最も普及した歌詞もアルゼンチン人によるものであるため、しばしば双方によって自国の音楽であると主張されている。
カーメンキャバレロ/映画「黒いオルフェ」よりカーニバルの朝(1959年)
エドムンド・ロス楽団/ブラジル
最初はサンバ(Samba)の曲として作られたが、映画音楽およびボサノヴァの曲として、世界中の様々なアーティストによってカヴァーされている。
次もラテン音楽の特集を。