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ボブ・ディランの音楽

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 ノーベル文学賞については、いつも村上春樹が候補に挙がるが、今年も落選した。

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 特に今年は、米シンガー・ソングライターのボブ・ディラン(現在75歳、写真)に決まり、世界中に衝撃が広がっている。歌手の受賞は初めて。そして、彼はまだ現役で活躍している。

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 文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーは反米・反ポップで知られているそうで、米国人の受賞も1993年に黒人女性のトニ・モリスン(現在85歳、写真)以来23年ぶり。

 音楽家に文学賞を授与することについて、同アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は、「偉大なアメリカの歌の伝統の上に新たな詩的表現を作り出した」とし、「ディランの詩は耳で楽しむもの、ホメーロスやサッフォーの時代から詩はもともと楽器と共に聞かれるものだった」と語っている。

 しかしその選択に、文学者などからは批判の声が上がっている。

 フランスの作家ピエール・アスリーヌ氏は「ディランは好きだが、どこに文学作品があるのか。スウェーデン・アカデミーは失態をさらした」と切り捨てた。また米紙ニューヨーク・タイムズは、ディランは素晴らしい歌詞を書いたが、ミュージシャンとして素晴らしいのであって、文学者としてではない。ミュージシャンに文学賞を与えては、文学者を称賛する機会がなくなってしまうと、アカデミーを批判したという。
 ノーベル文学賞受賞についていまだ沈黙を続けるボブ・ディランをめぐり、海外メディアでこんな臆測が飛び交っている。

 ディランは現在ツアー中で、受賞発表後のコンサートでもノーベル賞については一切触れず、代理人は「彼が即座にコメントすることはない」と説明。文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーはマネジャーとコンタクトしたが、「本人は寝ている」と言われ、直接話すことができないまま、連絡を断念した。

 友人で歌手のボブ・ニューワース(現在77歳)は米紙ワシントン・ポストの取材に対し、「彼は賞を受けないかも。ノーベル賞受賞を認めたくないのでは」と答えている。

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 また英国の小説家ウィル・セルフ(現在55歳)は英紙ガーディアンで、唯一、1964年に自ら文学賞を辞退した哲学者サルトル(1980年、74歳で没、写真)を引き合いに出し、「おそらくサルトルのように辞退するだろう」とのタイトルで、「爆弾や武器で得た財産で設立された賞を受け入れることは自分の価値を下げることになる」と指摘している。

 とはいえ、ディランはこれまでグラミー賞、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ピュリツァー賞など数々の賞を受賞している。「ボブ・ディランは何を歌ってきたのか」の著者で、音楽評論家の萩原健太氏が「これまでは授賞式に出席していますし、辞退はないと思う」とこう続ける。

 「ディランは常に『オレは何も言っていないのに、おまえらが勝手に騒いでいるだけだろう』という姿勢です。そんなこと歌詞に書いていないのに、周りが深読みして拡大解釈している。それと同じように、今回もメディアが深読みし過ぎではないかと思っています。ディランにしてみればメディアが騒ぐのを楽しんでいるのかもしれません。とにかく何を考えているか分からない人。本人が何か発言したわけではないですし、コンサートの様子を見ても受賞を喜んでいるようにしか思えません」

 返事を先延ばしすれば承諾するにせよ、辞退するにせよ、また臆測を呼ぶ。それがボブ・ディランの流儀なのかもしれない。 (日刊ゲンダイ10月18日、19日号参照)
 そして、直近の記事(朝日新聞・10月21日号)

 彼の公式ウェブサイトから、「ノーベル文学賞受賞者」の文言が削除されたことが21日、分かった。

 写真は、「ノーベル文学賞受賞者」と記されていた以前のページ

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  各国メディアによると、ディランさんの公式サイト「bobdylan.com」の書籍紹介ページでは、17日付で掲載されたとみられる歌詞集の紹介文で「ノーベル文学賞受賞者」と記されていた。ディランさん側が受賞を歓迎したものと思われたが、21日までに削除された。文学賞を選考するアカデミーがあるスウェーデンのメディアは、関係筋の情報として「削除はディラン自身の指示だ」と報じた。

 ディランさんは13日の受賞発表から、受賞について一切コメントしていない。

 授賞式は12月10日。果たして彼は出席するだろうか。
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 ボブ・ディランが日本で広く知られる切っ掛けとなったのは、彼の影響を強く受けた吉田拓郎(現在70歳、写真)が1970年代初頭にラジオの深夜放送や音楽誌のインタビューなどで熱心に語ったことが大きいといわれる。

 それまでボブ・ディランは日本ではあまり知られていなかったが、この影響でCBSソニーから出ていた彼のレコードが、以前の5倍以上売れたといわれる。1973年には吉田拓郎の選曲でソニーからボブ・ディランのベスト盤『BOB DYLAN; Gift Pack Series10』が発売された。

 みうらじゅん浦沢直樹は、吉田拓郎を通してボブ・ディランを知ったと話しており、「"フォークロックの神様""『風に吹かれて』のプロテストソングのヒーロー" "ビートルズにドラッグを教えた反逆者" といったボブ・ディランのイメージは、吉田拓郎が深夜放送でボブ・ディランの凄さを語り、曲を流したことで日本人に植えつけられたもの」と中森明夫は論じている。

 この曲の歌い方は正にボブ・ディランの影響を受けている。

吉田拓郎/春だったね


吉田拓郎/風に吹かれて



という記事があった。

 ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に対し、吉田拓郎「ボブ・ディランがいたから今日があるような気もする。多くのことがそこから始まったと僕は思うのだ」とコメントした。

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 03年の肺がん摘出手術から、更年期障害、うつ病と体調不良が続き、ファンを心配させていたが、現在は2年ぶりのコンサートツアーを行い、4カ所5公演ものステージに上がっている。


 このカムバックについて、拓郎は「嫌な事を全部やめて、健康を取り戻した」と語っている。妻で女優の森下愛子(現在58歳)の献身的な支えもあり、体調は良好のようで、先日は肝臓がんと闘病中のミュージシャン、ムッシュかまやつ(現在77歳)が拓郎から励ましのメールを受け取ったことを明らかにしている。

 拓郎の作詞作曲でかまやつが歌い、ヒットした「我が良き友よ」を、かまやつはラジオで流し、拓郎の友情に感謝していた。

 「ツアーといっても、場所は関東首都圏のみ。拓郎さんが自宅から通えて、日帰りできることを条件に選定されているのです。全国津々浦々を飛び回っていたころと比べれば、完全復活とは言えませんし、声量も落ちていますが、嫌な事を全部やめたストレスフリー生活によって、元気を取り戻しているのは確か。ステージでは、ボブ・ディランを聴いて家出を考えた青春時代の秘話を披露して客席を爆笑させたり、和気あいあいとした雰囲気ですよ」と、音楽ライターは言う。

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 拓郎と並び、ディランから大きな影響を受けたとされる井上陽水(現在68歳、写真)も現在ツアー中である。

 こちらは全国を回っていて、先日の都内でのステージでは、ディランの「天国への扉」をカバー。

「(ディランに)影響を受けたかと言われると、なんとも答えようがないけれど、影響を受けていないかと言われると、間違いなく影響を受けている」などと語っていたらしい。

 あまり他人の楽曲をカバーしないことで知られる陽水だが、最近は拓郎の「リンゴ」をカバーしたり、拓郎との不仲説をネタに会場を沸かせているという。

 「陽水さんは熊本震災後、故郷の福岡に戻り、娘で歌手の依布サラサが育てる孫娘を溺愛。絵に描いたような好々爺ぶりだそうです」
 ボブ・ディラン1941年5月24日、ミネソタ州ダルースに生まれる。

 祖父母はロシアのオデッサ(現ウクライナ)やリトアニアからの移民であり、父エイブラハム・ジマーマンと母ビアトリス・ストーン(愛称ビーティー)は小規模だが絆の固いミネソタのアシュケナジム・ユダヤ人の一員だった。

 幼少時より家にあったピアノを独習。「ラジオを頻繁に聴いていた。レコード店に入り浸り、ギターをかき鳴らし、ピアノを弾いて、自分の周りにはない別の世界からの歌を覚え」て育つ。

 初めてのアイドルはハンク・ウィリアムズ。ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、ディランもまたエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組んで演奏活動を始める。ハイスクールの卒業アルバムには「リトル・リチャードと共演すること」が夢だと記したりもしている。

 1959年夏、ノースダコタ州ファーゴでエルストン・ガンという名でボビー・ヴィーのバンドにピアノ弾きとして入り、彼のバックでステージを数回経験する。

 1961年冬、大学を中退してニューヨークに出てきた彼は、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りをしていたが、やがてハリー・ベラフォンテのバックで初めてプロのレコーディングを経験。

 キャロリン・ヘスターのレコーディングに参加したことや、タイムズ紙で好意的に論評されたことをきっかけに、コロムビア・レコードのジョン・ハモンドにその才能を見出され、1962年3月にアルバム『ボブ・ディラン』でレコードデビューする。しかしその年の売上は5,000枚程にとどまり、コロムビアの期待していた3分の1というセールスであった。

 1963年5月、セカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』リリース。6月、ミシシッピー州グリーンウッド選挙人登録集会で演奏。7月、ピーター・ポール&マリーがカバーした「風に吹かれて」がビルボード2位のヒットを記録する。

 同月、ニューポート・フォーク・フェスティバルに出演。8月28日、ワシントン大行進で演奏。公民権運動が高まりを見せていたアメリカにおいてディランは次第に「フォークの貴公子」として大きな支持を受け、時代の代弁者とみなされるようになっていった。10月26日、カーネギー・ホールでソロ・コンサート。

 1964年1月、アルバム『時代は変る』リリース。しかし、過激化する運動や世間が抱いている大げさな自分のイメージに違和感を持ち、次第にスタイルを変化させ、次のアルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン(1964年)では、プロテストソングと呼べる曲はなくなっている。

 またこのころから、ディランの楽曲をカバーするアーティストが目立つようになってきた。中でもザ・バーズによる「ミスター・タンブリンマン」はビルボードで1位を獲得している。

 「悲しきベイブ ("It Ain't Me Babe") 」「はげしい雨が降るくよくよするなよイフ・ノット・フォー・ユー ("If Not For You") 」「はじまりの日 ("Forever Young") 」などもよくカバーされている。

 その他「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」など、多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。

 現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。(Wikipedia参考)
ボブ・ディラン ピーター・ポール&マリー/風に吹かれて(1963年)


ボブ・ディラン/時代は変わる(1964年)


ボブ・ディラン ピーター・ポール&マリー/くよくよするなよ


ボブ・ディラン ザ・バーズ/ミスター・タンブリンマン(1963年)




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