朝日新聞9月7日号に、7月28日付掲載の「声」への投稿「お酒飲めない人生は損してる?」に対して、みなさんは「どう思いますか)という問いかけの記事が載っていた。
7月28日付「お酒飲めない人生は損してる?」に投稿した方は、新潟県在住の47歳の主婦。以下はその内容(要旨)である。
「お酒が飲めないなんて、人生、半分損してると思う」。最近、職場の同僚から言われた言葉だ。しみじみと力説され、下戸の私はショックを受けた。
飲めないことを公言して「残念だなあ」と言われることは何度もあった。けれども、人生論の続きにまで至ることはなく、自分を悲観的に思うことなどなかった。
だが、考えてみると思い当たることがある。夫にしたって一人で晩酌するより、娘が帰省して一緒に飲む時など、相手がいる方が量も進んでいるし、楽しそうだ。
それに対して様々な意見が。 ◇
■お酒以外に好物あり、むしろ得(宮崎県在住、46歳の女性)
投稿された方と似たようなことを言われた経験があります。「余計なお世話」です。お酒を好きでない人が飲んだところで、別に得はしないのですから。
焼き鳥などと一緒にビールを飲む人が「うまい」と言うのをテレビで見ます。私もやってみますが、「うまい」とはなりません。やはり、お酒を好きではないのだと思います。
「飲みにケーション」も良いですが、人の好みはそれぞれ。お酒が飲めなくとも麺類、スイーツ、ご飯とそれに合うおかずなど、特別な好物を通して話が盛り上がったり、仲良くなれたりします。そうした楽しみが持てる人は、むしろ得をしているのではないでしょうか。
お酒に強いと自慢げに言う人も気になります。飲み過ぎは健康に悪いだけ。お酒好きな人は「お酒基準」で考えないで下さい。私は私なりに楽しい人生です。
■「飲みにケーション」死語に近い(大阪府在住、27歳の男性)
私もまったくの下戸だが、人生を損しているなどと、まったく思わない。むしろ、得していることの方が多いと思う。私の年代だと、お酒を飲まない人がたくさんいるし、「飲みにケーション」など死語に近い。お金を浪費することがなく、健康にも良い。
投稿者は同僚に「お酒が飲めないと人生を半分損している」と言われたそうだが、そんな発言をする人の方がよっぽど可哀想だ。お酒がないと楽しむこともできないのだから。私も以前、酒の席で年上の方から「酒を飲んで本音で語り合うことも必要や」と言われたことがある。「そうですね」と返したが、心の中では「酒を飲まないと本音も言えないような人間と一緒にするな」と思った。
投稿者の方へ。私たちは、酒を飲まなくても人生の楽しみ方を知っているのです。胸を張って人生を楽しみましょう。
■酒は人生の損得と関係ない(岡山県在住、48歳の女性)
ご投稿を、小さなバーを営む夫に読んでもらいました。まずは、「人生損してるなんて同僚に言うやつはダメだな」というのが感想でした。
夫はお酒のつらさを知っているので「飲む・飲めない」は人生の損得と関係ないと断言します。私もそう思います。投稿者はストレスなどをお酒の力を借りずに解消できる方なんだろうなと思います。素晴らしいです。そういう私は、神棚に供えたお神酒を見るたび「神様も大好きだから」と毎日、晩酌しています。
■50歳で初めて知ったおいしさ(埼玉県在住、88歳の女性)
お酒の良さを50歳にして初めて知ったことを思い出しました。
父が無類の酒好きで、母の苦労を見て育ったので、お酒を目の敵にしていました。おとそさえ口にしませんでした。
それが50歳の時、女学校のクラス会で勧められ、初めて飲んだお酒のおいしかったこと。ビールや日本酒が体にしみわたるということを、実感しました。お酒で話が弾むことも知りました。
それから時々晩酌をする生活になり、やがて毎日いただくようになりました。子どもが独立し、夫にも約10年前に先立たれて、今は独り暮らし。毎晩、日本酒なら1合ほどをいただきます。ビールやワインの時もあります。身内が訪ねてくれば、もちろん杯を交わします。
もっと早くからお酒の楽しさを知っていれば良かったのにと後悔しています。何十年も損をしていたようです。
落語家で大酒飲みは、まず大成しません。しくじるか、破門になるか、早死にするか。単純に考えたって、しらふで稽古できる時間が長いほうが良いに決まってんだから。例外はいますよ。昭和の大名人の古今亭志ん生師匠なんか、酔って高座をつとめたとか半ば伝説がありますが、それは古きよき時代だね。
「笑点」の今の大喜利メンバーは、みんな飲みます。でも歴代司会者、桂歌丸師匠や先代三遊亭円楽師匠は飲めない。打ち上げでも飯だけ食って帰る。うちの若い弟子も飲まないほうが多い。それでコミュニケーションに不都合はないし、別に損してませんよ。
酒という文化の発展のため私は毎晩飲むけど、2合くらいまでだね。言うでしょ。「冷や酒とかけて、親の意見と解く。その心は? あとで効いてくる」。適度がよろしいようで。
今、こんな本を読んでいる。
「心が折れる職場」(見波利幸著、日経プレミアシリーズ、写真)。
第一章からいきなりこんなタイトルで始まる。…「飲み会が少ない職場は危ない」
「自発的な飲み会」のない職場では、メンタル不調が多発するというのだ。
2~3人の小さなグループでもいいのですが、自然と「飲みに行こう」と声を掛け合える職場は、普段から気兼ねないコミュニケーションがあります。仲間同士、気軽に誘い合える雰囲気が普段から作られている、といってもいいのかもしれません。
一方で厄介なのは、職場の空気は冷え切っているのに、上司自身は、「自分は、職場のコミュニケーションを大切にしている。積極的に部下に声をかけているし、時には食事に誘ったりして、仕事やプライベートの悩みを聞いている」と思い込んでいるケースがあることです。
ですから、自分が上司、あるいは先輩という立場であるならば、部下や後輩から気軽に声をかけられ、業務外の食事に出かけたことがあったかを思い出してみるといいと思います。これが、「自発的な飲み会」があるかどうかを判断する基準になります。
とある。
自分のお酒に関する見解は以下の通りである。
私は「現在」はお酒が好きである。ここで「現在」とカッコ書きしたのは、実は若いころはお酒が苦手であったからだ。
これは家族の影響が大である。自分の家族はお酒を飲む習慣が無かった。もちろん、正月は全員が集まってお酒を飲みかわすが、15分ぐらい経つと会話が途切れる。-みんな、酔って寝てしまうからだ。
入社三年後、本社から営業部門への異動が嫌だったのは、お酒が飲めないと営業マンをやっていけないと信じていたこともその理由の一つである。それで、松山営業所に赴任すると苦手を克服すべく、せっせとスナックに通った。
そして、そこで結婚した妻の親族が、みんな大酒飲みであることも大きな影響を及ぼした。何しろ、妻の実家に帰ると朝から酒盛りなのだ。これは辛かった。
今やこれは懐かしい昔話になって、お酒が苦手だったとは、今の私を知っている人は誰も信じてくれないだろう。
「下戸」について「下戸」というのはモンゴロイド特有の体質で、全く酒が飲めない人のことを言い、日本人の10人に1人ぐらいはいるとのことである。
私は、幸か不幸か「下戸」ではなかった。
「飲みにケーション」については、否定するわけではないが、度を過ぎるのはどうかと思う。タバコと一緒で、吸う人は休憩中のタバコ「吸いにケーション」(新語です!)を強調するが、言い訳のような気がする。
酒の席の「無礼講」も情けないと思う。
ただし、自分の経験からすると、お酒の効用はあったと思っている。
まずは健康。酒は「百薬の長」とまではいかないが、「ストレスを解消する」効果は間違いなくあった。
ストレスがたまったとき、いつものスナックに行く。いつも顔なじみの客がいて、その連中と雑談に興じる。相手の会社もその立場もあまり知らないし、興味も少ない。そこでは人間力、話のおもしろさが勝負。ややマンネリ気味だが、レパートリーを何曲か歌う。ーこれが私のストレス解消策だ。ただし、酒はあくまで紳士的で楽しく飲むのが私の信条だ。
そして、人との交流。人の輪が広がることだ。お酒を飲まなかったら間違いなく交友関係は狭まっていた。
もう一つ。食べ物の好きな範囲が広がったことだ。若いころあまり好きでなかった、おさかなや、辛いものが食べれるようになった。
もう一つ。食べ物の好きな範囲が広がったことだ。若いころあまり好きでなかった、おさかなや、辛いものが食べれるようになった。
もちろん、お酒で失敗したことは多い。こんなことは、何度も経験した。お粗末な限りである。酒で人に迷惑をかけたことがあるとすれば申し訳ない。
植木等/スーダラ節(1963年)
<歌詞>チョイト一杯の つもりで飲んで いつの間にやら ハシゴ酒 気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝 これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ 分かっちゃいるけど やめられねえ