ここのところ、やけに落とし物が多い。
25年ぶりの優勝が目前のカープだが、その日は負けていらいらしていた。
電車から降りて同じケースに入れていたSuicaを使おうとして、シニアパスを落としたことが分かった。
ますます落ち込む。どうしてこんなに落とし物が多いのだろう。
忘れ物と落とし物の違いについて、忘れ物とは自分がはっきりと思い出せる場所に、何か品物を置き忘れてきた状態。それに対して落とし物は、自分がどこで品物を紛失したか分からない状態だそうだ。
そういう定義にすると、忘れ物なのか落とし物か微妙なことが多い。それで、それをまとめて一般的には遺失物と呼んでいる。
今回は、神宮球場の座席の下か、銀座線外苑前駅の改札口に落としたのだろうと思っていた。それで、可能性が高い方の後者の電話番号を調べて問い合わせしたらズバリ的中だった。
駅での保管が、当日を含めて3日間と説明され、その最終日である9月5日(月)、午前中通院のため休んだので、その足で遺失物を取りに駅まで電車に乗った。
拾っていただいたのには本当に感謝感謝だが、わざわざ遠いところまで取りに行く無駄な時間。電車賃の無駄な出費。我ながら情けない。
それでも駅の中の事務所だったので、改札口を出ずUターン出来たので電車賃は助かった。元の駅に戻ればタダなのかどうかは分からないが、二つ前の駅で食事のために降り、電車賃は124円で済んだ。
それにしても、落とし物をしたとき、つくづく日本人の素晴らさに気付く。ほとんどのものが返ってくるのだ。
このことは、ニューヨークタイムズ紙にも「日本人の誠実さ」の一例として、警視庁には年間に33億円もの遺失物があるが、その72%が戻って来ることについて「ミラクル」記事が載っていたそうだ。
そして、6カ月たって持ち主が見つからない場合は拾得者に渡されるというが、ほとんどの人が受け取らないそうだ。
そしてそれは、小さいころからの道徳教育の充実と、落歳物をした人への同情や、知らない人の物を持つことを忌み嫌うという、社会への連帯意識が影響しているという。
自分の例もそうだ。最近では2回も財布を落とした。中に7千円入っていたときと、2万円のとき。無事無傷で戻ってきた。それも拾った相手はいずれも名を名乗らなかった。
携帯電話を新幹線に置き忘れたときは、新大阪駅まで来てくれということだったので、遠いので取りに行かず、機種を変換して電話番号も変えた。
鞄を電車の棚に置き忘れたこともあった。これにはさすがに顔が青ざめたが、少し経って警察から連絡があった。
家の鍵を落としたこともあったが、これはさすがに戻ってこなかった。
Suicaは駅の改札口で。バスの中での忘れ物は忘れ物センターへ。その他は、警察へ問い合わせる。もう慣れてしまった。相手は迷惑だろうが、とにかくあきらめずに聞いてみることだ。そして、名刺など自分を証明するものを一つは一緒に入れておくことだ。
一度Tカードを落としたことがあったが、最初に連絡先を登録していたので、ファミリーマートから連絡があった。
しかし、いつまでもこんなご厚意に甘えてばかりはいられないことは承知している。
もちろん、落としたとき平然としてはおられない。一日中、心が沈む。自分の不注意をなじり、どうしてこんなことがいつまでも起きるのか、情けない気持ちでいっぱいになる。
そして、使用停止の手続きとか、いろんなことに時間を割かれるのも苦痛だ。
あまりにも忘れ物が多いので、病気ではないか、調べてみた。
注意欠陥障害と呼ばれる病気があるそうだ。
これは、ADHDと呼ばれる発達障害の一つで、主な症状として、時間を守れず遅刻する、約束を忘れるので守れない、人の気持ちが分からない、コミュニケーションが支離滅裂、散らかして片付けないというような、一つの事柄について集中できず、注意力が散漫になってしまう病気のようだ。
これはどうも違うのではないか。「約束」や、「時間」は守っている。「人の気持ちが分からない」…う~ん、これは無いことはないが、異常ではないだろう。「コミュニケーションが支離滅裂」、「散らかして片付けない」…というのは違う。
それで、まだ忘れ物の多さの原因は分からない。
しかし、何時までも手をこまねいてはいられない。その対策が必要だ。
まずは、鞄やポケットはいつも中を整理する。慌てたときに落としやすいので、心を絶えず冷静に保つこと。
以前、会社に出かけるときの携帯必需品のうち、何か一つは忘れていたことが多かったのを、こんなことをして防いだことがあった。
こんな風に並べておくのだ。これは効果があった。
それにしても忘れ物が多すぎる。それが加齢のせいだったら、とても怖い。
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