終わりを決めず働いていたが、運よくいつの間にか67歳になった。
ところが、どうも最近体調がすぐれない。とても疲れやすく、月曜から金曜までのフルタイム勤務に耐えられない。一時的なものか、病気なのか、はたまた老化現象のせいかはまだ分からない。
そして、気が短くなっているのか、主に仕事で一々腹の立つことが多い。
疲れやすいのはブログの投稿にも表れている。なかなか筆が進まないのだ。
この記事も午前からスタートしたが、途中で寝てしまった。今は午後8時である。
「始めることを忘れなければ人は老いない」(マルティン・ブーバー)を信条としてきたが、体調に不安があると、あといつまで働けるか、あるいはいつまで生きることが出来るのか、急に現実味が増してくる。
それにしても高齢者が増えたものだ。
65歳以上、人口の4分の1超える 主要国で最高の割合
●総務省は6月29日、平成27年(2015年)国勢調査「抽出速報集計結果」を公表したが、日本の人口は1億2,711万人。大正9年(1920年)の調査開始以来、初めて減少したそうだ。
●65歳以上人口は3,342万2,000人(総人口の26.7%)。65歳以上人口の割合は調査開始以来最高となった。
●総人口に占める65歳以上人口の割合を諸外国と比べると、日本(26.7%)はイタリア(22.4%)及びドイツ(21.2%)よりも高く、世界で最も高い水準となった。
自分は老いているか
最近は体調も優れなくて、ケガも多いようだが、今や輝ける日本のアンチエイジングの星である。
彼は、次のように世代別の呼称の定義を変えて、各世代を若返らせることを提言している。
少年:5~17歳、成年:18~34歳、壮年:35~74歳(定年は75歳に変更)、老年:75~99歳、百歳者(センテナリアン):100歳以上
これでいくと自分は壮年で、定年は75歳だが、特別な能力のない者にとって現実は厳しい。
これも総務省の統計だが、想像通りといえば想像通り、65歳以上の労働力率が一気に減少している。
自分の経験や能力はまだ会社で十分使えると思っている。
「老醜」という言葉がある。年を取れば仕方がないこともあるが、出来ればみっともない姿は人にさらしたくない。
その点自信たっぷりというわけではないが、お世辞は承知の上で、あるとき若い女性から「いい年をとっている」と褒められたことが心の支えになっている。
顔は木で言うと「年輪」のようなものだ。年輪を重ねて「いい顔」になる人は確かに存在する。この歳になり「若い」と言われることは必ずしも褒め言葉だとは思えない。
ここで自分の顔をさら出すわけにはいかないが、元プロ野球選手で、大魔神と呼ばれた佐々木主浩氏(48歳、写真)によく似ているといわれるが本当だろうか。
「人間は親から貰った顔のままではいけない。その顔を自分で作って行って立派なものにしなくてはならない」
この言葉は森鴎外(1922年、60歳で没、写真)の次女・小堀杏奴(こぼりあんな)の「晩年の父」(岩波文庫)の中に出てくる。
これは、個人攻撃になってしまうが、最近テレビによく出て安倍政権の太鼓持ちをしている田崎史郎・時事通信特別解説委員(写真)と同じ年と聞いてがっかりしている。
彼が画面に出るとチャンネルを変えている。
卑しい生き方が顔に出ている典型だと思っている。(テレビで安倍擁護連発、田崎史郎・時事通信特別解説委員に自民党から金! しかも国民の血税「政党交付金」から)
しかし、自分は「老いていない」と思いこむのは精神衛生上はいいが、客観的に見ることも大切だ。
今心がけているのは、電車やバスに乗り遅れそうになっても、決して無理をして走らないこと、階段の上がり降りは手すりを持って慎重に。家の階段は必ずあかりをつける…。
転んだときは危ない。難しい時代になったね。
忌野清志郎/高齢化社会(1991年)