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野に咲く花の歌

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イメージ 7 野に咲く花については、いろいろな本や資料がある。
 
 「野に咲く花 増補改訂新版 (山溪ハンディ図鑑)」(写真)はその集大成なのだろうが、4,410円と、とても高いのが難点だ。
 
 今はまだ寒いので無理をすることはないが、後2ヶ月も待てば、散策して野に咲く花をたっぷり見ることが出来る。
 
 それにしても小さい頃は田舎に住んでいたのに、木や花や虫の名前を覚えるのが全くの苦手だった。
 
 漢字や地名を覚えるのは得意だったというのに、どうしてジャンルが異なるとこうも違うものなのか。
 花はたくさんあるが、野の花についても自慢が出来るほど知っているわけではない。
 
イメージ 8

 
 歌もたくさんあるが、紙面の関係上一部しか紹介できない。
 
 
野の花
 
遊佐未森/野の花(1990年)
 

加藤登紀子/戦争は知らない【野に咲く花の名前は知らない】(1968年)
 

春の花
 
すみれ(菫)
 
イメージ 1 すみれといえば、今や石田純一の娘のモデル・すみれ(25歳、写真)の方が多くなったが、宝塚歌劇団の愛唱歌として有名な「すみれの花咲く頃」を思い出される方も多いだろう。
 
イメージ 2イメージ 3 原曲はドイツの作曲家フランツ・デーレ1928年に発表した「Wenn der weiße Flieder wiederblüht」(白いニワトコ(写真左)がまた花咲くとき)。作詞者はフリッツ・ロッタードイツ語圏での大ヒットを受けて、翌1929年、フランス語の歌詞をつけてパリの劇場で歌われたが、これがシャンソンとして知られる「Quand refleuriront les lilas blancs」(白いリラ(写真右)がまた花咲くとき)である。
 
 独語のFliederにはリラという意味もあるので、ドイツ語のタイトルがそのまま使われたことになる。
 
イメージ 9 このころパリに滞在していた宝塚歌劇の演出家・白井鐵造(1983年、83歳で没、写真)がこの歌を大いに気に入って、日本に持ち帰り、自ら日本語詞をつけて、1930年上演の『パリ・ゼット』の主題歌として使った。

 
イメージ 4 「すみれの花咲く頃」としたのは、このころはまだ、リラ(英語ではライラック)が日本人にはあまりなじみがなかったからだという。
 
 以後、この歌は宝塚のシンボルソングとして、長く歌われることとなり、シャンソンが日本人に愛好されるようになったのは、この歌がきっかけだといわれている。(Wikipedia参照) 
宝塚歌劇団/すみれの花咲く頃
 

スズラン(鈴蘭)
 
 
イメージ 5 スズラン鈴蘭、学名:Convallaria majalis)は、君影草谷間の姫百合の別名もある。
 
 本州中部以北、東北、北海道の高地に多く自生する。北海道を代表する花として知られる。花には強い芳香がある。その名前の通り、小さな鈴が下を向くように咲くすずらんは、可憐で古くから多くの人々に愛されてきた。
 
イメージ 6 スズランの花言葉は、「return of happiness(再び幸せが訪れる)」「sweetness(優しさ、愛らしさ)」「humility(謙遜)」「purity(純粋)」。
 
 ヨーロッパでは5月の花として愛され、フランスでは5月1日を『すずらんの日』としていて、その日にスズランの花をプレゼントすると幸せが訪れるといわれている。
 
 女性から男性に贈ると『愛の告白』を意味する。また、フランスでは花嫁にスズランを贈る風習もあるそうだ。
 
 最近ではイギリスのウィリアム王子キャサリン妃の結婚式でもすずらんが使われていた。キャサリン妃が花言葉からすずらんを使おうと決めたそうだ。(写真)

ダークダックス/すずらん
橋幸夫・倍賞千恵子/すずらん
 

 菜の花
 
 一般的に「菜の花」は、植物油を採るために栽培されているアブラナ(油菜)と、種を採るナタネ(菜種)の二種類がある。
 
イメージ 10 「朧月夜」を作詞した高野辰之の故郷は野沢菜(写真)の産地で、種を採るために収穫せずに置いておいた野沢菜が黄色い花を咲かせていた。
 
 野沢菜は長野県下高井郡野沢温泉村を中心とした信越地方で栽培される野菜で、野沢菜漬けの材料とされる。別名、信州菜。茎と葉の丈は5090cmにもなる。
 
イメージ 11 一面の野沢菜の花「菜っ葉の花」=「菜の花」が美しい春の風景を作り上げていた。
 
 カブ(カブラ)、白菜、小松菜、キャベツの花も黄色い花を咲かせる。春になると収穫されなかった菜っ葉の花が、花茎を伸ばして黄色い花を咲かせる。これらすべて「菜の花」と呼ばれていた。これらが春に黄色い花を咲かせ、「菜の花畑」となった。田小百合 なっとく童謡・唱歌参照)

朧月夜【菜の花畑に入り日薄れ】(1914年)
 

夏の花
 
ミズバショウ(水芭蕉)
 

 イメージ 12 ミズバショウ水芭蕉写真)は、湿地に自生し発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞を開く。これが花に見えるが仏炎苞は葉の変形したものである。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が小さな花が多数集まった花序(かじょ)である。開花時期は低地では4月から5月、高地では融雪後の5月から7月にかけて。葉は花の後に出る。根出状に出て立ち上がり、長さ80 cm、幅30 cmに達する。
 
 
和名の「バショウ」は、芭蕉布の材料に利用されているイトバショウの葉に似ていることに由来する。

 
イメージ 13 昭和を代表する作詞家・江間章子2005年、86歳で没、写真)の作品、夏の思い出」について、江間は幼少のころ岩手山の近く、今の岩手県八幡平市に住んでいたが、そこはミズバショウの咲く地域だった。
 
 そして1944年(昭和19年)、たまたま尾瀬を訪れた。そこで目にしたのが、1面に咲き乱れるミズバショウだったのである。そのときの気持ちを「夢心地」と、後に表現している。
イメージ 14

 
 戦後すぐの1947年(昭和22年)、NHKから「夢と希望のある歌をお願いします」と依頼された。すぐ思い浮かんだのが尾瀬の情景だった。その時の感動を詩にしたのがNHKラジオ歌謡に使われた「夏の思い出」である。
 
 この歌のおかげで尾瀬は有名になったが、ミズバショウの咲くのは5月末であり、尾瀬の春先にあたる。そのため、せっかく夏に来たのにミズバショウを見ることができなかった、という人は多い。江間はその理由をこう述べている。
 
 「尾瀬においてミズバショウが最も見事な56月を私は夏とよぶ、それは歳時記の影響だと思う」歳時記には俳句の季語が掲載されており、ミズバショウは夏の季語である。文学上の季節と実際の季節には、少しずれがある。また二十四節気においても夏にあたる。

夏の思い出【水芭蕉の花が咲いている】(1949)
 

秋の花
 
ヒガンバナ(彼岸花)
 
イメージ 15 ヒガンバナ彼岸花、 Lycoris radiata)は別名、リコリス曼珠沙華と呼ばれる。全草有毒な多年生の球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。

 道端などに群生し、9月中旬に赤い花をつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30 - 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に包に包まれた花序が一つだけ付く。包が破れると5 - 7個前後の花が顔を出す。花は短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。
 
 曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)は、サンスクリット語で天界に咲く花という意味で、おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ている。サンスクリット語ではmanjusakaと書く。
 
 開花期間が1週間ほどなのに、秋の彼岸と時を同じくするかのように開花する彼岸花は、あの世とこの世が最も通じやすい時期に咲く花でもある。
 
 彼岸に咲き、土葬をモグラや野ネズミなどから守る意味もあって墓地などによく植えられているため、「死人花(しびとばな)」「地獄花(じごくばな)」「幽霊花(ゆうれいばな)」のようなちょっと怖い呼び名もついている。

長崎物語【赤い花なら曼珠沙華(原曲は1939年、歌:由利あけみ)
山口百恵/曼珠沙華(1978年)
 

 
 
 

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