前作、花柳界についての中で
『お座敷唄とは、長唄・端唄・小唄・上方歌など、三味線の伴奏で歌われる俗曲のことである。歌舞伎のなかの舞踊曲や、清元節などを起源として、文化文政(1803- 1830年)の頃から盛んになったといわれている。芸妓や遊女がお座敷で歌ったほか、庶民の間にも流行した』と書いた。
その長唄・端唄・小唄・上方歌の内、当ブログの第652話:小唄特集で、小唄と端唄の違いについて述べたことがある。
そこで、もう一度おさらいをしてみたい。Wikipedia 、端唄と小唄の違い、小唄と長唄と端唄の違いはどんなことですか? などの記述を総合して見ると、こういうことのようだ。
●小唄の起源
小唄は、堺の富商で同寺の住職の後還俗した高三隆達(たかさぶりゅうたつ、1611年、84歳で没)が、天正末から慶長年間(秀吉の全国統一から大阪冬の陣の頃)に作った隆達節が進化したものと言われている。故に隆達節は小唄の元祖と呼ばれている。
達節は三味線に合わせて唄った短い唄で、その後、端唄・うた沢となった。
小唄は、昭和の中頃に最も隆盛を極め、現在も新曲が生まれている。
●小唄と端唄の違い
小唄と端唄の違いをまとめると、こういうことのようだ。
●端唄と長唄
端唄とは、江戸初期にあっては長唄との対語であり、元禄年間に刊行された「松の葉」あたりからこの名を確認できる。
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江戸端唄は、江戸時代中期以降における短い歌謡の総称である。1920年代までは小唄も端唄の名で呼ばれていたが、その後端唄うた沢・小唄俗曲とはっきりと区別されるようになった。
端唄が流行したのは特に天保の改革以後であるとされる。これは改革時に三味線が贅沢なものと見なされ、庶民が三味線を弾く事を幕府から禁止されてしまった。
歌舞伎伴奏などのプロの長唄奏者は営業が続けられたが、街角の稽古場で三味線を教えるようないわゆる「街のお師匠さん」(今で言う個人宅の音楽教室)は禁止されてしまったのである。何年か(10年と言われる)この状態が続いた後ようやく解禁された。
庶民は再び三味線を手にすることが出来るようになったが、長く楽器を触っていなかった者にとって長唄のような長いレパートリーをすぐにさらい直す事は素人には難しい。そこで覚えたての小曲をすぐに弾くことが出来るという理由で、端唄がもてはやされるようになったのである。
左より、小唄、端唄、長唄。