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花柳界について

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 ここのところ八王子芸者の関係する記事が続き、普段は全く縁のない花柳界について調べてみた。
 
花柳(花街)
 
 花柳花街、かがい、はなまち)とは、芸妓屋、遊女屋が集まっている区域を指す名称である。売春防止法1957施行)までは多くの花街に芸妓娼妓の両方がいたが、今日花街と呼ばれている地域は芸妓遊びのできる店を中心に形成される区域である。
 
 なお、料理屋待合茶屋芸者屋(置屋)がまとめて「三業」と称されるため、花街のことを「三業地」ともいい、地域により茶屋置屋「二業地」と呼ぶ。
 
イメージ 5 花街遊郭の別称としても使用され、古くは「花街漫録」などにその用例が見られる。江戸時代の太夫や初期の花魁(おいらん、写真)は芸事教養を身に付けた高級遊女であった
 
イメージ 6 花魁は、18世紀中頃、吉原遊郭禿(かむろ)や新造などの妹分が姉女郎を「おいらん」と呼んだことから転じて上位の吉原遊女を指す言葉となった。今日では、広く遊女一般を指して花魁と呼ぶこともある。
 
 花魁は、吉原の遊郭で最も格の高い遊女で張り店を行わないため、引手茶屋を通して「呼び出し」をしなければならなかった。呼び出された花魁が禿や振袖新造を従えて遊女屋揚屋引手茶屋の間を行き来することを滑り道中(後に花魁道中)と呼んだ。(写真)
 
 明治時代には数多くの花街が全国に登場し、1930には全国113市のうち98に花街が存在したという。現在花街は芸妓遊びのできる店を中心として形成される地域であるが、この芸妓と、過去日本にあった公娼制度のもと存在した娼妓が混同されることも少なくない。
 
 最近は後継者難で衰退した花街が多いが、芸妓に憧れる若い女性も見られるようになっている。京都、金沢のほか、東京や名古屋、有馬温泉、博多、長崎などの花街では、それぞれの個性を明確に打ち出している。

 花街として代表的なものとして、京都五花街(祇園甲部・先斗町・上七軒・ 祇園東・宮川町)、東京六花街(新橋・赤坂・神楽坂・芳町・向島・浅草)、大阪四花街(北新地・南地・堀江・新町)のほか、金沢など日本各地にある。
 
 なお、「はなまち」という読み方は、三善英史の歌謡曲『円山・花町・母の町』(1973年)のヒット以降、使われるようになった。円山とは、渋谷区の道玄坂付近にあった三業地である。また、金田たつえの演歌『花街の母』(1973年)もヒットした。(Wikipedia参照)
 
三善英史/円山・花町・母の町(1973年)
二葉百合子/花街の母(原曲は、歌:金田たつえ1973)
 

芸妓
 
 芸妓(げいぎ)とは、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性。芸者・芸子のこと。酒席に侍って各種の芸を披露し、座の取持ちを行う女子のことであり、太夫遊びが下火となった江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つである。
 
 芸妓は、「芸者(女芸者)」、「芸子(げいこ)」と呼ぶのが古い言いかたであるが、明治以降、「芸妓(げいぎ)」という呼名も行われるようになった。
 
花柳界のシステムと地域による呼称の違い
 
 
 
イメージ 1

舞妓(舞子)
 
イメージ 2 舞妓(まいこ)は、京都の上七軒、先斗町、宮川町、祇園甲部、祇園東の五花街で、舞踊、御囃子などの芸で宴席に興を添えることを仕事とする女性のこと。芸妓の見習い修行段階の者をいう。
 
 京都市内で、普通に見かける舞妓は、観光客の扮した変身舞妓であり、舞妓が日中、花街や花街以外を出歩くことはめずらしく、京都府民・京都市民でも、本物の舞妓を見かけることはほとんどない。
 
 なお、東京など関東地方における半玉「おしゃく」とは別の文化起源であるため、区別されるものである。(Wikipedia参照)
 
映画「舞妓はレディ」(2014年)
 

イメージ 3芸妓の仕事
 
 宴会に呼ばれて歌舞音曲を催したり、接客をすること。「お座敷がかかる」などと用いられる。(写真)
 
お座敷唄

 お座敷唄とは、長唄・端唄・小唄・上方歌など、三味線の伴奏で歌われる俗曲のことである。歌舞伎のなかの舞踊曲や、清元節などを起源として、文化文政(1803- 1830年)の頃から盛んになったといわれている。芸妓や遊女がお座敷で歌ったほか、庶民の間にも流行した。

 日本の歌謡曲(流行歌)の起源については、川上音二郎などの演説歌(演歌)とする説が有力であるが、昭和初期、レコード会社が次々にでき、それぞれの会社所属の歌手が名乗りを挙げたとき、声楽出身の歌手に混じって、芸妓出身の歌手(うぐいす芸者)も多く出ており、お座敷唄の流れを引く流行歌がかなりあった。
うぐいす芸者歌手
 
 うぐいす芸者歌手とは、昭和戦前期から戦後にかけて活躍した流行歌を歌う芸者兼歌手、または芸者出身の歌手のこと。
 
 特に昭和初期が隆盛した時期でうぐいす芸者ブームがあったが、第二次世界大戦後も新規にレコードデビューしたヒット芸者歌手が複数いる。
 
 戦前は歌手の社会的地位が低かったこと、女性の社会進出が戦後ほど盛んでなかったこと、のど自慢大会等もなく一般人が歌手になるルートが乏しかったことなどにより、女性歌手の前歴の中で、藤本二三吉、小唄勝太郎、市丸、赤坂小梅、美ち奴など芸者出身は、徳山、佐藤千夜子、藤山一郎、淡谷のり子などのクラシック声楽家出身と並ぶ地位を占めていた。
 また芸者経験はないが芸者風の衣装で歌う女性歌手も戦前期からいて、戦後の昭和30年代お座敷ソングブームでは芸者経験のない歌手(音丸、久保幸江、五月みどり、二宮ゆき子、松尾和子他)が多く歌っている。
 
 芸者歌手やその類縁歌手が歌う日本調の流行歌は、歌謡曲の一つの分野を形成した。(Wikipedia参照)
  主なうぐいす芸者歌手は次の通り。
 
イメージ 4

藤本二三吉 祇園小唄(1930年)/小唄勝太郎 明日はお立ちか(1942)
 

 
日本橋きみ栄 蛇の目のかげで(1937年)
美ち奴/あゝそれなのに(1937)
 

市丸 三味線ブギウギ(1949年)/榎本美佐江 お俊恋唄(1971年)
 

神楽坂はん子/ゲイシャワルツ(1952)
こんなべっぴん見たことない(1953年)
 

神楽坂浮子/私なんだか変テコリン(1972) 明治一代女(1935年)
 

 
 

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