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日本における独立言語

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イメージ 1方言と独立言語
 
 現在の日本で最も広く使用されている言語は日本語であり、様々な方言に分かれている。
 
 そのうち、東京方言を母体とした標準語(全国共通語)が実質的な公用語である。
 
 方言右図のように分けられる。
 
 ところが、一般的に方言と呼ばれている言語の一部を、独立言語として考える立場もある。
 
 たとえば、沖縄県および鹿児島県奄美群島で話されてきた言語は、日本本土の日本語と同じ系統(日本語族)であるものの違いが大きいため、日本語とは別の言語であるとして「琉球語」と称する立場と、日本語の方言の一つであるとして「琉球方言」と称する立場がある。また、島々の方言差は本土の方言差よりも激しいため、「琉球諸語」称する立場もある。
 
 北海道を中心にアイヌの間で話されてきたアイヌ語は、系統不明の言語であり、日本語とは異なる言語である。
 
 2009年、ユネスコが"Atlas of the World's Languages in Danger" の第3版となるリストを発表し、(書籍としては2010年刊行)、世界で約2500の言語を消滅危機言語として位置づけた。
 
 そこで独立言語として認められ、消滅危機言語とされたのが、日本国内では、話者15人とされるアイヌ語をはじめ、以下の8言語である。

 言語の消滅危険度については「脆弱」から「極めて危険」まで4段階(「消滅」を含めれば5段階)の評価が行われている。
 
●極めて深刻: アイヌ語

●重大な危機: 八重山語(八重山方言)、与那国語(与那国方言)
 
●危険: 八丈語(八丈方言)、奄美語(奄美方言)、国頭語(国頭方言)、沖縄語(沖縄方言)、宮古語(宮古方言)

イメージ 2 国立国語研究所教授・木部暢子さん(60歳、写真)によると、「言語学的に、同じ言語かどうかというと、まずお互いに通じるか通じないか、かりに通じないにしても地理的なつながりの中で連続的に変化しているかどうかを重視します。
 
イメージ 3 でも、国という概念が入ってくると、もう政治的な背景を抜きでは語れないんですね。例えば、奄美、沖縄の場合は、言語的な定義からは、本土とは通じませんし、ちょうどトカラ列島(写真)を境にしてはっきりと切れている。言語学的には別言語と呼んだほうがいい。
 
 でも、奄美語沖縄語といってしまうと、じゃあ、ここは日本じゃないのかというイメージを地元の人たちが持ってしまう。日本に復帰するかどうかとか、復帰してよかったのかとか議論している時には、そうは言えませんよ。でも、最近になって、やっと、奄美語、沖縄語と言ってもいいかなって思える雰囲気ができた」
 
 その背景は、「日本ではないのか」という議論ではなくて、「言葉は我々の文化」という意識が芽生えてきたからだという。だから、2009年の段階で、例えば沖縄語宮古語八重山語与那国語などと、ユネスコから独立言語として扱われたことも、それほど問題にはならなかったそうだ。(NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版 第4回「方言」と「言語」の違いとは参照)

イメージ 4琉球語
 
 琉球語の方言(右図)
 
北琉球方言
 
1.奄美方言
 奄美大島北部方言、奄美大島南部方言、徳之島方言、徳之島北部方言、喜界島方言などに分かれる。
 
2.沖永良部与論沖縄北部方言
 
 沖永良部島方言、与論島方言、沖縄北部方言に分かれる。
 
 2009年にユネスコが消滅の危機にある言語と発表したが、その際には国頭語(くにがみご)という呼称が使われた。沖縄北部方言だけを指して国頭方言(国頭語)と呼ぶこともある。
 
3.沖縄方言
 
南琉球方言
 
1.宮古方言 2.八重山方言 3.与那国方言
 
夏川りみ/涙そうそう
ネーネーズ/テーゲー

 

アイヌ語

イメージ 12 アイヌ民族アイヌウタリともいう、写真)は、北海道・樺太・千島列島およびロシア・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族である。
 
 母語はアイヌ語だが、前述のように、ユネスコによって2009年2月に、危機に瀕する言語で最悪の「極めて深刻」(critically endangered)に分類された。
 
 2007年の推定では、約1万5千人のアイヌの中で、アイヌ語を流暢に話せる母語話者は10人しかいなかった。さらに別の推定ではアイヌ語を母語とする人は千島列島では既に消滅し、樺太でもおそらく消滅していて、残る北海道の母語話者も平均年齢が既に80歳を越え、数も10人以下となっている。
 
イメージ 5 1980年代以降、参議院議員・萱野茂(2006年、79歳で没、写真)らアイヌ語を残そうとするアイヌ自身の努力の結果、アイヌ語教室が各地に開設され、2007年現在、北海道内14箇所にアイヌ語教室が設置され、多くの人がアイヌ語を学んでいる。また関東地方にも、関東在住のアイヌまたは和人がアイヌ語を学ぶ集まりがいくつか存在する。1987年にはSTVラジオが「アイヌ語講座 イランカラプテ」(現在の「アイヌ語ラジオ講座」)の放送を開始し、現在も放送中である。
イメージ 6 歴史的にアイヌ語を使用していた地域右図のように広く、日本語に大きな影響を与えている。
 
北海道の地名(カッコ内は読み方とアイヌ語の意味)
 
 赤平あかびら、飲み水のある崖)歌志内(うたたしない、砂のある川)、小樽(おたる、砂浜の中を流れる川) 、札幌(さっぽろ、乾いた広大な川、葦原の大きな川)、知床(しれとこ、地の果て)、苫小牧(とまこまい、沼の奥にある川)、富良野(ふらの、臭い匂いのする所)、真駒内(まこまない、奥にある川)、室蘭(むろらん、下り坂のあるところ)、稚内(わっかない、冷水のある沢)他。
 
本州の地名
 
青森県今別(いまべつ)、宇鉄(うてつ)、老部(おいっぺ)、大深(おおふかない)、下風呂(しもふろ)、尻労(しつかり)、竜飛(龍飛、たっぴ)、苫米地(とまべち)、野辺地(のべち、のへじ)、三厩(みんまや)他
 
岩手県浅内(あさない)、安家(あっか)、安比(あっぴ)、江刺(えさし)、釜石 (かまいし)、上米(かみよない)、久慈 (くじ)、遠野 (とうの)、平泉( ひらいずみ)、馬渕(まべち、まぶち)、和井内(わいない)他
 
秋田県浅見内(あさみない)、小猿部川(おさるべ)、毛馬内(けまない)、斉内川(さいない)、辰子潟(たつこがた)、達子森(たっこもり)、十和田(とわだ)、比内(ひない)、桧木内(ひのきない)、堀見内(ほりみない)他
 
その他猪苗代(いなわしろ)(福島県)、新発田(しばた)(新潟県)、福生(ふっさ)(東京都)、鎌倉(かまくら)(神奈川県)、能登(のと)(石川県)、十六島(うるっぷるい)(島根県)他
 
日本語に溶け込んだ言葉
 
オットセイコマイシシャモトナカイホッキ貝ラッコ
 
イメージ 7

流行歌に使われたアイヌ
 
イメージ 15黒百合の歌」「イヨマンテの夜」はいづれも作詞・菊田一夫で(1973年、65歳で没、写真)で、アイヌをモチーフにしたダイナミックな歌い方が特長。
 
織井茂子/黒百合の歌(1953年)
 

イメージ 8 
放送のある時間帯は、銭湯を空にしたといわれる伝説のNHKのラジオ番組「君の名を」1952年)。
 
イメージ 9 その番組の主題歌として作成された織井茂子1996年、70歳で没、写真)が歌う「君の名を」だったが、番組で放送されることはなく、翌1953年に発売されたレコードが番組の人気に支えられ順調に売り上げを伸ばした。
 
 さらに同年に岸惠子佐田啓二主演で松竹により映画化(写真)され、主題歌として使われると、この曲は空前の大ヒットとなり、総計110万枚の売り上げを記録した。
 
 続く、映画『君の名は』の第2部主題歌『黒百合の歌』、佐田啓二とのデュエットである第3部主題歌『君は遥かな』もヒットし、織井茂子は全国的なヒット歌手としてスターダムにのし上がった。
 
 この歌は北原三枝扮するアイヌの娘・ユミの気持ちを歌ったもので、ニシパはアイヌ語で恋人の意。
 
イメージ 10 「恋の花」アイヌ民族の伝説 好きな人への想いを込めた黒百合(写真)を、その人の近くに そっと置き、その人が 誰が置いたのか知らずに  手にすれば 二人は 必ず結ばれるといわれいる。
 
伊藤久男/イヨマンテの夜(1949)
 

 
イメージ 11 「イヨマンテ」(写真)とはアイヌ語で「送り儀式」のことで、「熊祭り」の字を当てることも多い。
 
 「イヨマンテの夜」1949年に伊藤久男が歌ったヒット曲、男性的な歌謡曲の典型で、1950年頃のNHKのど自慢ではほとんどの男性出場者がこの曲を選択し、審査員を困らせたという逸話話があるぐらい声量自慢の年配者が歌う曲の定番だった。
森繁久弥/知床旅情(1960年)
 

 「知床旅情」は、森繁久彌が作詞・作曲を手がけた楽曲で、知床を舞台にしたご当地ソング。
 
イメージ 14 森繁が1960年の映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床半島羅臼(地図)に長期滞在した際に制作され、その最終日に羅臼の人々の前で『さらば羅臼よ』という曲名で披露され、見送りの村民と歌の大合唱となり、感動的フィナーレを迎えたという。

 1962年末のの第13回NHK紅白歌合戦では、森繁自身によって披露された。
 
 そして、この曲が1970年に加藤登紀子がリリースしたアルバム『日本哀歌集』で取り上げ、同年にシングルカット。徐々に人気に火がついた。翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、同年のオリコン年間チャートで2位にランクインした。
 
 加藤盤の累計売上は140万枚を記録。また、同楽曲で第22回NHK紅白歌合戦に初出場をしたほか、1969年に続いて2度目の第13回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞している。同楽曲のヒットの要因としては、当時日本国有鉄道がディスカバー・ジャパンのキャンペーンを展開していたことの相乗効果もあったといわれている。
 
イメージ 13 目梨郡羅臼町にある、海に面した「しおかぜ公園」には、森繁久彌が出演した上記映画『地の涯に生きるもの』(原作は戸川幸夫「オホーツク老人」)の老人の像(写真)と、「知床旅情」の歌碑が建立されている。また、斜里郡斜里町のウトロ地区のウトロ港の近くにある三角岩の前にも、「知床旅情」の歌碑がある。
 
<歌詞>
 

1.知床(しれとこ)の岬に はまなすの咲くころ 思い出しておくれ 俺たちのことを 飲んで騒いで 丘にのぼれば 遥(はる)か国後(くなしり)に 白夜(びゃくや)は明ける

2.旅の情(なさけ)か 酔うほどに さまよい 浜に出てみれば 月は照る波の上() 君を今宵こそ 抱きしめんと 岩かげに寄れば ピリカが笑う

3.別れの日は来た ラウスの村にも 君は出て行く 峠を越えて 忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん 私を泣かすな 白いかもめを


Wikipedia参照
 
 
 

 
 
 

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