方向と方位(方角)は意味が違う。
方向は「縦横」、あるいは「上下」・「前後」・「左右」の「六方」が用いられる。
方位の基準には真の子午線が用いられ、この真の子午線と物標と観測者とを結ぶ線との交角を真方位と呼ぶ。また、このとき観測点の位置を中央と呼ぶ。
立体上では、東・西・南・北・天・地の6方向が基準である。
子午線は南極点と北極点を結ぶ大円(地球において用いる場合は特に大圏ともいう。より正確には南北に若干扁平した楕円形状のほうが近い。)をこれら2点において二分する楕円弧となり、必ず南北に伸びる。同一の子午線上の各点の位置は同一の経度で与えられる。
●日本標準時子午線(Wikipedia参照)
日本標準時子午線は、日本における標準時、すなわち中央標準時を定めるための子午線として、1886年(明治19年)に定められた、東経135度の経線である。経度135度では英国グリニッジ天文台を通るグリニッジ子午線(経度0度線)より9時間の時差があり、東経135度は9時間進んでいる。
北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)。
それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っている。
経緯度的に日本のほぼ中央に当たる東経135度、北緯35度の交差点がある西脇市は「日本のへそ」をアピールする。1985年にJR「日本へそ公園駅」が開業、93年には経緯度地球科学館がオープンした。「GPS片手に遠方からもお客さんがやってくる」という。
●東西と南北
1.東西問題と南北問題
東西問題とは、いわゆる冷戦時代といわれた時期の第二次大戦後、東側(旧ソ連を中心とする社会主義諸国)と西側(アメリカを中心とする資本主義諸国)との間に生じた政治的・軍事的な対立。1989年のベルリンの壁崩壊、1990年代初めのソ連崩壊による冷戦終結に伴い解消した。
南北問題という言葉を初めて使ったのは、1959年イギリスのロイズ銀行(現ロイズTSB銀行)会長オリバー・フランクスであるといわれている。
その意味するところは、第二次世界大戦後十数年たった時点で、世界の動向における中心問題は、もはや資本主義国家群と社会主義国家群の対立をさす東西問題ではなくて、北の富裕な先進工業国と南の貧困な開発途上国との経済的格差を中心とする南北問題である、ということであった。
第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国の植民地であったアジア、アフリカ、ラテンアメリカの各国が「政治的独立」を果たし、国際政治の舞台におけるこれら南の諸国の発言権が高まってきたのであるが、南北の経済的格差は、縮小するどころか拡大し、南は「経済的独立」にはほど遠い状態に置かれていた。そして南側諸国は、この経済的格差の解消は戦後の国際経済秩序の構造的改革を通じてしか実現しないと考えていた。
これに対し、北側の先進資本主義国、とくにアメリカは基本的には自由無差別な市場経済メカニズムに基づく国際経済秩序が正当なシステムであり、またこれはすでに効果的に機能しており、変革の必要がないという立場にたっていた。このように基本的に対立した考え方を基礎として南北が変化していく環境のなかで、力関係も変化しながら、さまざまな交渉を重ねてきているのが現状である。
2.東西線と南北線
東京の地下鉄を始め、全国には東西線と南北線の名のつく鉄道がある。札幌・仙台・大阪・京都はどちらもあり、京都には東西線がある。(下図は東京の地下鉄、上段は東西線、下段は南北線)
●今回の東西南北の歌、まず最初はいくつかの方角が題名(または歌詞)の歌を。
井上陽水with押尾コータロー/東へ西へ(1972年)
長渕剛/ひまわり(1997年)
こんな映画もあった。
映画「北北西に進路を取れ」(1959年)
●スリラー映画お得意のアルフレッド・ヒッチコックが「めまい」につづいて監督した、恋とスリルに満ちたサスペンス・ドラマ「北北西に進路を取れ」(North by Northwest)。
●「東」の曲
映画「エデンの東」同名主題曲(1955年)
●監督はエリア・カザン。スタインベックの同名小説『エデンの東』をポール・オズボーンが脚色。
『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後、彼はサリナスで行われるレースに向かう途中、交通事故で死亡し、帰らぬ人となった。
●「西」の曲
Pet Shop Boys/Go West(1993年)
●「Go West」(ゴー・ウェスト)は、アメリカのディスコグループ、ヴィレッジ・ピープルの代表曲の一つ。
「ゴー・ウェスト」という題名は、19世紀のアメリカの新聞人・政治家ホレス・グリーリーが人々に西部開拓を呼びかけた有名な論説の一節、「西部に行け若者よ」(Go West, young man)にちなんでいる。同時に、西部のサンフランシスコをゲイ解放のユートピアとみなして憧れた1970年代のゲイの間での気分が表現されているとも一般には理解されている。
節回しが大きく異なる部分がある他、オリジナルにはなかった歌詞やメロディーが加わっている。こちらはドイツで1位、イギリス・フランスでは2位と、特に西ヨーロッパ諸国ではオリジナルを上回る大ヒットとなった。
●「南」の曲
高峰三枝子/南の花嫁さん(1942年)