小さい頃から致命的な方向オンチである。方向オンチによる失敗や時間的なロスは数知れず、営業をしていた頃は特にその影響が大きかった。
ゴルフがちっとも上達しなかったのも方向オンチの責に因ることが大で、何度回ったコースも覚えられないため、経験がちっとも役に立たなかった。
方向オンチはどうやら脳の中で方向や空間を処理している、「海馬」(図)が違うようで、方向音痴でない人は、情報処理を行う「灰白質」の部分が広く、方向音痴の人は、脳の断面を見た時に「灰白質」をつなぐように存在する白質が広いそうだ。
右脳には、音楽など芸術関係の情緒感覚や空間認識能力があるとされている。一方、左脳は計算などの数字や時間の感覚、そして多くの場合、言語を担当しているといわれています。
世間では方向オンチは左脳の働きの方が強い女性に多いと言われている。
左脳派か右脳派かの判断はhttp://jp.vonvon.me/#!/quiz/1をどうぞ。自分は完全な左脳派だという結果が出た。ーこれで方向オンチが証明されたのだろうか。
方向オンチの改善策はあるかもしれないが、あまり当てにしていない。一生ものだと思っている。
ところで歌には方角を扱ったもの、「東西南北」の文字を使ったものが多い。
しかし、均等にあるわけではない。日本では圧倒的に「北」の曲が多い。
1.日本では歴史的に見て「北」は征服された地であり、敗北・逃避の場所である。
2.歌謡曲の「北」志向は東北以北の人たちに強い。東京は、東北を中心として、北海道や新潟の人たちの集まりの場である。その人たちが北にある田舎に帰るときの心情を歌謡曲で歌う。
3.歌謡曲の主題となる失恋、さすらい、別れのように、悲しみを歌うとき「南」では明るすぎてそれらの心情に合致しない。雪が降り、暗い感じの気象条件がこうした歌に合致する。
まずはこの曲から行ってみよう。
石原裕次郎/北の旅人(1987年)
小林旭/北帰行(1961年)
彼が学校を去った後、事実上の寮歌として生徒らに愛唱されて、戦後も卒業生らによって歌われたのをきっかけに、昭和30年代に歌声喫茶で流行歌となっていた。それを聞いたレコード会社や歌手によって次々とレコード化したもの。小林旭主演の日活「渡り鳥北へ帰る」の主題歌としても使われた。
奥村チヨ 北国の青い空(1967年)/朱里エイコ 北国行きで(1972年)
都はるみ/北の宿から(1975年)
●「北の宿から」は、都はるみの楽曲で、『第18回日本レコード大賞』(1976年)大賞受賞曲。140万枚を超える売り上げを記録し、彼女にとっては、「アンコ椿は恋の花」、「涙の連絡船」に続いて3曲目のミリオンセラーシングルとなった。
作詞家の阿久悠は初めて都はるみに詞を書くにあたって都の元気のいい個性を生かそうと考え、『野郎』というタイトルの詞を作ったがボツになり、急遽イメージを転換して書いたのが本作品だった。「別れた男性のセーターを編む」というのは別れにケリをつける若い女性の儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というようなイメージだったという。
千昌夫/北国の春(1977年)
さだまさし/北の国から 遥かなる大地より~螢のテーマ(1982年)
●「北の国から」は、1981年10月9日から1982年3月26日まで毎週金曜日22:00 - 22:54に、「金曜劇場」枠で連続ドラマが、1983年から2002年までドラマスペシャルが放送された、フジテレビ系で放送された日本のテレビドラマ。主演は田中邦衛。北海道・富良野市(主に麓郷地区)が舞台。
主題曲は、作曲:さだまさし『北の国から〜遥かなる大地より〜』。この主題歌や劇中BGM『純のテーマ』等のサウンドトラックは、バラエティ番組等で北海道でのシーンのBGMや北海道日本ハムファイターズの応援団に使用されるなど、北海道を象徴する楽曲となっている。
当初さだまさしはこの曲に歌詞をつけようとしたが、この作品の脚本家の倉本聰からこの曲には言葉はいらないですと言われたことをうけて、スキャットに変更してほぼ即興で完成に至った。
細川たかし/北酒場(1982年)
北島三郎/北の漁場(1986年)
中森明菜/北ウイング(1984年)
●康珍化が作詞し、林哲司が作曲と編曲を手掛けた中森明菜の「北ウイング」は、1984年5月1日発売のスタジオ・アルバム『ANNIVERSARY』からの先行シングルとして、1984年1月1日にシングル・レコード で発売された。
「北ウイング」とは、成田国際空港(当時の呼称は新東京国際空港)の第1ターミナルの北部分の呼び名である。なお「ザ・ベストテン」では、歌詞の内容からこの楽曲に登場する便が、当時夜出発の便として運航されていた、日本航空の成田発アンカレッジ経由ロンドン・ヒースロー国際空港行きのJL401便ではないかと指摘した。
続く。