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老後をどこで過ごすか

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 久しぶりに帰郷して1ヶ月が経つ。これは、久しぶりの帰郷で書いたことだが、それまで室生犀星の言葉ではないが、ふるさとは遠くにありて思ふもの」とばかり、故郷で老後を過ごそうと思ったことは一度も無かった。
 
 その理由は
 
1.故郷を離れて44年、人間関係は今住んでいるところの方が圧倒的に濃くなっていること。 
2.「若いときは田舎で、老後は都会で」と云う言葉が頭の中に沁みついていること。 
3.田舎の、一歩間違えば「村八分」になる濃厚な人間関係に一抹の不安を覚えていること。
 
である。
 
 ところが、帰郷して気持ちに変化があった。ー「故郷で過ごすのもいいかもしれない」
 
 折も折り、老後、どこでどのように暮らし、どんな最期を迎えるのか。都会から地方へと移住するのか。今の場所にとどまるのか。終のすみか、そして人生終盤の生き方について考えさせられる、格好の議論が朝日新聞の9月1日号に載っていた。
 
 (耕論)終(つい)のすみか 後藤和昌さん、浅川澄一さん、養老孟司さん
 
 
イメージ 1田舎暮らしに適した日本 後藤和昌さん(テレビ番組「人生の楽園」ディレクター、写真
 
イメージ 2 第二の人生に田舎暮らしを選んだ人の今と心模様を描く番組「人生の楽園」(写真)で、70組の移住者を取材してきました。縁もゆかりもない場所に移住して成功している人には共通点があります。カネじゃないです。みなさん、地域に完全に溶け込んでいる。
 
 最も印象に残っているのは東京から長崎に移った元雑誌の編集長です。あまりの激務に編集部の机に突っ伏して寝てしまい「このままでは死んでしまう」と決断。地縁・血縁ゼロの大村湾沿いに、300坪の土地を300万円で買い、夫婦で移り住みました。
 
 プライバシーはほぼ皆無です。知らぬ間に自宅に野菜が置いてあるのは当たり前。ある時は、見知らぬおばあさんが自宅の座敷でお茶を飲んでる。ここで「どなたですか」と聞いちゃいけません。「何だ、いたの?」「留守番してあげてた」「ありがとね」と会話が続けば合格です。
 
 彼によれば、地元の行事に一生懸命に参加するのもいいが、冠婚葬祭、特に葬式を一度経験すると劇的に変わるそうです。田舎の葬式は1週間。遠慮なく役を割り振られこなした。後でこう言われました。「今なら坪千円でも売ってあげたよ」。地元の人として認めてくれたんですね。
 
 地域の人たちは、言葉に出さないだけで、溶け込むつもりがあるのか、地域に害をなす人ではないかと、移住者が思う以上に見極めようとしています。逆にいつも雨戸を閉めて「何をしているのか分からない人」は、いつの間にかいなくなってしまいますね。
 
 有識者でつくる日本創成会議が提言したように、若い間は都市部でがっつり働いた人が、定年前後に地方に移り住むのはオススメの選択肢でしょう。自然が好きで、それなりの蓄えがあり、年金などで一定の収入が確保されるという条件つきですが。生活費は劇的に減ります。僕自身も旭川に居を移し、仕事の時だけ東京という生活です。
 
イメージ 8 日本は田舎暮らしに適した国だと思います。北は流氷が流れ着き、南にはサンゴ礁がある。狭い国土にバラエティーに富んだ自然が残り、車で30分も走れば総合病院も郊外型スーパーもあり、生活のインフラは都市部と変わらない。何より、移住者には地域での役割が与えられます。定年前後の年齢は田舎では貴重な「若手」です。いろんな役をこなさないといけません。日々の生活に張りが出ます。
 
 戦後、発展する都会と寂れゆく地方という形で、田舎を一段低く見る価値観があった。でも、今の50代くらいからでしょう、田舎はあこがれの対象です。「都会生活には疲れたでしょ。若い時に頑張ったから、ご褒美に定年後は田舎暮らしさせてあげるよ」みたいな好循環を、世代をまたいでつくりたいと思いますね。
イメージ 3尊厳守るのは慣れた地域 浅川澄一さん(福祉ジャーナリスト、写真
 
 福祉先進国のデンマークで1982年に提唱された高齢者福祉の3原則の一つが「生活の継続性」です。この原則の背景には、住み慣れた環境を変え、昔からの生活を奪ってしまうことが高齢者にとって大きな負担につながるという現実があります。
 
 認知症ケアの基本は、これまでの人間関係や生活環境などの空間的な記憶を崩さないことです。逆に、移住によって突然環境が変われば、混乱や動揺が生じ、認知症が一気に表面化する「リロケーションショック」につながる可能性が生じます。
 
 高齢者の多くが日々の食事を楽しみにしていますが、東京圏から地方に移住すれば食文化の違いによって、味付けは変わるでしょう。例えば、うどんのつゆは東西で異なり、雑煮は地域で様々です。
 
 さらに方言で会話も変わるし、地域によって近所づきあいのあり方も様々です。バスや地下鉄などの運賃の安い公共交通システムが発達している首都圏とは違い、一般的に地方都市の移動手段は自動車に頼らざるをえない。こうした日常の変化が重い負担につながる恐れがあります。
 
 また、創成会議は元気な中高年の移住を前提にしているようですが、「今は元気であっても、いつ要介護者になるかわからない」というのが高齢者です。「元気老人」という言葉がありますが、そもそも高齢者は、転倒すれば大腿骨頸部骨折で動けなくなったり、認知症を発症したりと潜在的に大ケガや障害の可能性を抱える存在です。
 
 20代の若者による新天地への移住と比べ、前提条件が全く異なるのです。「アンチエイジング」という言葉がはやっていますが、老いれば衰えるのが自然の摂理であることを忘れてはいけません。
 
 創成会議の指摘のように高齢者の急増によって、東京圏の介護施設が不足することが見こまれるなら、少子化で過剰になった小中学校の校舎と敷地を転用すれば、需要の増加を吸収するための必要な場所は確保できるはずです。
 
 「住み慣れた地域で在宅医療や介護サービスを受けながら、人生の最期まで暮らしていきましょう」という考え方が、今や世界的な流れになりつつあります。日本も団塊世代が75歳以上になる2025年を見据え、このあるべき姿を「地域包括ケアシステム」として打ち出しています。
 
 「地方移住」を選択肢として掲げた創成会議の提言は、日本も含めた世界的な潮流に逆行し、それを覆そうとする内容です。とても承認できるものではありません。
 
 人生の最期を迎える高齢者の尊厳を守るのは移住ではなく、「生活の継続性」を踏まえた定住の場です。住み慣れた地域を離れなくてすむようにする施策が欠かせないと考えます。
イメージ 4どこで最期、問題ではない 養老孟司さん(解剖学者、写真
 
 すでに葬式も済ませ、戒名ももらっています。5歳で父と死別し、約3千体の遺体を見てきた私にとって、死は考えても仕方のないもの。致死率100%、どうやっても逃れられない。しかも、告別式の日取りを知ることさえできないのですから。
 
 ところが、90歳になっても「死にたくない」なんて言う老人がいます。死にたくないとは、いまのまま変わりたくないということになります。
 
 生物である人間は日々、寝ている間も変化するのが当たり前。最近の研究では、人間の身体をつくる分子は7年ですべて入れ替わる、と言われています。すると、私なんて11回も替わったことになる。それでも同じ人間と言えるのか、と思うほどです。
 
イメージ 5 鎌倉時代初期の文学者、鴨長明(1216年、61歳で没、右像)は「方丈記」(1212年)で〈ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず〉と書きました。
 
 河を流れる水は絶えないが、決してもとのままではない。〈世中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし〉。人も住まいもまた変わり続けるのが常なのだ、と。つまりは、無常です。
 
 ところが近代以降、自然を排して都市をつくる過程で、人間は意識であらゆるものをコントロールできる、と錯覚するようになりました。その結果、自意識が肥大して「私」が幅をきかせ、日本では家制度や共同体が壊れていきました。
 
 親戚や地域の人間関係は面倒でも、暮らしを支える保険のようなものです。それが断ち切られた東京圏で単身世帯が増え、高齢者を介護する人手が足りなくなるのは必然でしょう。
 
 かつて、私は「参勤交代の復活」を提唱したことがあります。田舎暮らしのススメです。俳人の松尾芭蕉も歌人でもある西行法師も晩年は放浪していました。
 
 いま、多くの人が病院で生まれ、病院で死ぬということは、生きている間は「仮退院の患者」みたいなもの。どこに身を置いてもいいでしょう。終のすみかでなくても、1年に3ヶ月位都会を離れて見るのです。
 
 光を浴び、土に触れ、風を感じる。刻々と変化する自然によって五感に刺激を与える。あるいは、人間がつくったものでないものに目を向けてみる。たとえば、雲。どうしてあんな形をしているのか。あるいは、葉っぱ。どうして、こんな形でこんなところについてるのか、と考えをめぐらせてみる。
 
 すると、気づくはずです。自然のように、人間の意識ではどうにもならないものがあるんだ、と。そして、当たり前のことを思い出す。「今日という日は明日にはなくなる」。ならば、どこで最期を迎えるかはたいした問題ではない、と思うようになるでしょう。
 3者三様の意見で、どれにも一理あって判断は難しい。
 
 ところが、こんな記事も。老後を都会で暮らすにはリスクが大きいという警鐘だ。
 
 都会で老いるコストとリスク 介護・住居・教育がカギ(Yahoo!ニュース:1030日号)
 
 長い間まじめに働いたんだから、人生の最後くらい、好きな場所で好きなように暮らしたい。そんな思いを抱くことさえ、許されないのか。
 
 「介護」「住居」「教育」、都会で暮らすうえで注意しなければならないのがこの3だ。
 
イメージ 9 いつ親が倒れ、介護生活を強いられるかはわからない。仮に介護と仕事との両立ができなくなれば、「詰み」だ。中には住宅ローンに子どもの教育費まで「三重苦」を背負う場合もある。その上、すべてのコストが都会では高い。年収1200万円を稼いでいてもホームレスに転落してしまう事例もある。
 
介護施設は満床、高すぎる住宅費
 
 リスクの一つは、「介護離職」。都会に住む人たちは、生まれ育った田舎に親を残していることも多い。国は医療費抑制のため、在宅医療や在宅介護を推進し、誰もが病院で親を看取れる時代ではなくなった。施設に預けたくても、ベッドは満床。さらに都会では料金もかさむ。
 
 有料老人ホームの相場(家賃や食費などの月額)は地方では15万円程度。東京都内ではそれが25万~30万円ほどに跳ね上がり、23区内ともなると40万円ほどにもなる。
 
 都会で老いるもう一つのリスクは圧倒的に高い家賃」だ。
 
 東京の賃貸価格は全国平均の倍。マンション購入価格は全国平均より907万円、土地付き注文住宅は1660万円も高くなっている。
 
 住宅ローンを払い終えても、マンションなら管理費のほかに、年々高くなっていく修繕積立金の負担が必要だ。一戸建てを購入した場合は自分たちで修繕費を蓄えておく必要がある。
 老人漂流社会〝老後破産〟の現実 NHK(週刊ポスト918日号)
 
 老後破産は長寿社会の深刻な社会問題となりつつある。830日に放送されたNHKスペシャル『老人漂流社会 親子共倒れを防げ』2世代に渡って生活に窮する厳しい現実をレポートして反響を呼んだ。
 
イメージ 7 「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」(朝日新書)の著者でNPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典氏(写真)は、こうした老後破産は誰にでも起こり得ると警鐘を鳴らす。彼は、NPO法人ほっとプラスの代表理事として10年以上、埼玉県を中心に生活困窮者支援を行っている。
 
 下流老人とは「生活保護基準相当で暮らす高齢者及びその恐れがある高齢者」と定義し、生活支援の実体験から下流老人には次の3つが「ない」としている。
 
 収入が著しく少「ない」 十分な貯蓄が「ない」 頼れる人間がい「ない」(社会的孤立確かにその通り。この3つが「ない」状態だと、ちょっとしたきっかけで貧困に転じる可能性は高い。
 
 「現役時代に年収400万円あった人でも、年金受給額は月20万円を下回ります。それ以下の年収であれば、生活保護基準を下回るケースも当然出てきます。もしそんな状況に追い込まれたら、地域包括支援センターや役所の福祉課などに相談してほしい」

 日本の年金制度http://ovo.kyodo.co.jp/ch/mame/a-635913
 
 世界最大級の人事・組織コンサルティング会社であるマーサーは、2015年度グローバル年金指数ランキング「マーサー・メルボルン・グローバル年金指数ランキング」を発表した。
 
 このランキングは、世界25か国の年金制度を比較したもので、開始から今年で7年目となる。それぞれの制度を横断的に比べ、かつ最も多角的、包括的に調査した指数だ。
 
イメージ 6 ランキングの首位はデンマーク
 
 2012年より首位の座を保ち、総合指数は81.7となっている。
 
 同国と2位のオランダのみが最高ランク“A”の評価を得ていて、十分に積み立てられた年金制度や、多くの加入者数、優れた資産構成と掛金の水準、十分な給付レベルおよび法令の整った個人年金制度で、日本人から見ると羨ましい限り。3位だったオーストラリアを含めた3カ国は3年連続トップ3の順位を維持している。
 
 さて、気になる日本はどうなのか。総合指数44.1で、25か国中で23と寂しい結果だ。(右図)
 
 日本より下には、韓国(43.8)とインド(40.3)しかおらず、22位の中国(48.0)を下回っている。
 日本の年金制度については、例年指数・ランキングのいずれも大きな変化がない。日本では少子高齢化による年金に対する不安が国民の間で広がっているが、専門家の指摘をなぞるような恰好となった。
 ーとても身につまされる話で、他人事ではない。本気で田舎に住むことを考えようかしら。
 ふるさとを思い出しながら、曲をいくつか。
 
フォーセインツ/この街で(2005年)
 

三橋美智也/誰か故郷を想わざる(原曲は1940年 歌:霧島昇)
三山ひろし/赤い夕陽の故郷(原曲は1958年 歌:三橋美智也)
 

 
テレサ・テン/ふるさとはどこですか(1977年)
海援隊/思えば遠くへ来たもんだ(1978年)
 

 
NHK東京児童合唱団/故郷の空 故郷を離るる歌

クラウン少女合唱団/旅愁

新沼謙治/ふるさとは今も変わらず(2012) 
 

 何だかさらに郷愁が募ってきたね。
 
 

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