読書には読む時期と読まない時期と波がある。今は、波が上昇している時だ。その証拠に、最近4冊も本を買った。(そのうち2冊はブック・オフだが)
その中の1冊、遠藤周作(1996年、73歳で没、写真)の箴言集「人生ひとつだって無駄にしちゃいけない」(海竜社、2015年刊、写真)にこんなことが書かれている。
陽気なときには、たとえば本を読んでも頭に入らないんだ。自分のなかに問題がないから。反対に滅入ったときには、世の中はみな暗く、人はみな疑わしく、人生はすべて灰色です。そういうときこそ、本屋へ行ってしかるべき本を買ってくるんだ。人生論の本でも、なんでもいい。そして読めば、一語一語が身にしみてわかるはずだ。
ぼくは滅入ったとき、非常に読書量が増えるんです。滅入っているからこそ、書物に書かれている問題が実感をもって迫ってくる。これまでに作りあげてきたぼくの人生観などは、みなそういう状態のときに本を読み、考えたことによって形成されています。
また、こんなことも。
●人生の本質に触れるチャンス
滅入ったときは、孤独になりなさい。そして孤独のときの対話は、やっぱり本や芸術です。絵を見たり、音楽を聴くのがいい。音楽は、楽天的になっているときは心にしみこまないし、絵だってわかるのは滅入っているときです。
つまり、滅入ったときは人生の本質に触れる絶好のチャンスだと思いなさい。そのときこそ自分を深めることができる。滅入ったら、たとえば自分はいま留学をはじめたのだと思えばいい。
■本を読むきっかけ
私が本を読むようになったのは、大学に入学したとき「オリエンテーリング」といって、先輩と新入学生が数名でグループを組み、いろいろな夢や課題を語り合う合宿を経験したことがきっかけだった。
当時はいわゆる受験戦争と呼ばれた時代、私は大学に入学するという、ただそれだけを考えて、受験生活に明け暮れていた。読書をするなどという、気持ちの余裕は一切なかった。
この「オリエンテーリング」に参加して、ようやく自分の頭の中は空っぽで、この数年間、ただ受験のテクニックや丸暗記をしてきただけだということを悟った。
入学することが人生の目的になり、今で言う「燃えつき症候群」にもなっていた。このままでは自分は廃人同様になると危機感を覚え、それからむさぼるように本を読んだ。
■「岩波百冊の本」
それが、格好の選択肢があった。ー1961年に選定された「岩波百冊の本」(写真)。今は「新潮百冊の本」の方が有名だが、これは1976年、大学卒業から5年後のことだった。
選者が凄い。『臼井吉見、大内兵衛、大塚久雄、貝塚茂樹、茅 誠司、久野 収、桑原武夫、武谷三男、鶴見俊輔、中野重治、中野好夫、松方三郎、丸山眞男、山下肇、渡辺一夫』という、当時の日本の知性と識者の集団だった。
この、世界の名著の集大成と呼ばれる百冊を読破しようと試みたが、残念ながら半分も読めなかった。哲学書は特に、読んでも正直いってチンプンカンプンだった。
しかし、これほど集中して読書した時期は自分の人生においては後にも先にもなかった。当時の読書日記(といっても感動した文章を綴っているだけだが)は、今でも残している。
■(beランキング)歯が立たなかった西洋の哲学者 古代ギリシャからやり直します
今週(10/31)の朝日新聞土曜版・beに、哲学者の著作を読んで内容を理解しょうとしたが挫折した人名のランキングが載っていた。なお、イラストは「哲学用語図鑑」(プレジデント社)から転載。
「1963年に大学生になり、初めて哲学なるものの講義を受けた。当時はサルトルが大人気で、自分も、いかにして生きるべきか考えようと意気ごんだが、かならず眠気に襲われ、頓挫した」、「フランス人独特の混沌とした、つかみどころのなさが鼻につき、ついていけなかった」。
サルトルが「人間は自由へと呪われている」と唱えた言説は、いかにもカッコいい。そのころ大学生だったビートたけしも、なじみのそば屋の女店員を実存主義用語で口説こうとして、「ばかじゃないの」のひと言でふられたエピソードを短編私小説に書いている。
60年代に実存主義は、アンケート2位のマルクスの思想体系、いわゆるマルクス主義と融合して、反体制、反権威の行動の哲学となっていた。
アンケートでは、実学ではない哲学が果たして必要か、と尋ねた。すると、約8割の回答者が、必要と答えた。「欲得を超えた次元で、人が生きる意味を考えさせてくれる」
『哲学用語図鑑』(プレジデント社)の著者・田中正人さんも、「哲学には、人類の思考のパターンが網羅されています。考えに行き詰まったときなどに役に立つ」という。
■本の提供
本は何度も経験した引っ越しの際、捨てていったがまだたくさん残っている。以前ある高名な人が、『本は読まなくても「つんどく」でも構わない』と語っていたことがある。これで随分気が楽になった。実は「つんどく」がたくさんあるのだ。
その本の一部を読んでもらおうと、こんな張り紙をして会社の食堂に置いたことがある。300冊位だっただろうか。
すでに食堂にはその本はない。「壁の花」と化したので自宅に持って帰ったからである。
人生、なかなか上手くは行かないものだ。
しかし、今でも本を借りたり買うときは、帰って読む楽しみで気持ちが高揚するのはなぜだろうか。