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人物が題名の歌【邦楽編その3】江戸時代の主人公

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 江戸時代とは、一般的に16033月24日(慶長82月12日)徳川家康征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから、18685月3日(慶応4年/明治元年4月11日)江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間を指す。
 
 よく「江戸に学べ」といわれる。それは、平和だった、地方分権だった、環境を大切にした、というイメージなのだが、それを真っ向から否定している本がある。
 
 「本当は恐ろしい江戸時代」八幡和郎著、ソフトバンク新書)写真である。
 
 次の章題を見るだけで内容は想像できる。
 
イメージ 1 第1章 餓死者が続出し、はげ山だらけ
 第2章 サドマゾ趣味のでたらめ刑罰
 第3章 自由も民権もなかった暗黒の日々
 第4章 旅は自由でなく、しかも歩くしかなかった
 第5章 食生活も財政も米のみが頼り
 第6章 教育水準が高かったというのはウソ
 第7章 地方は「江戸藩」の植民地
 第8章 「鎖国」したので植民地にされそうになった日本
 第9章 働くのは嫌いで賄賂が大好きなのが武士

 

 しかも巻頭には「江戸時代は北朝鮮そっくりの『地上の楽園』だった」と一刀両断である。


 しかし、江戸時代が思考停止の250年間だとは思わない。
 
 この間、戦乱が静まり社会が安定し平和になったことと経済活動が活発になったことにより、人々の言論活動も活発になり、多様な学問が開花した。
 

 それなくして明治維新は生れなかっただろうし、急速な文明開化もなかったと思う。


 それはともかく、江戸幕府として15代続いた徳川家の系譜は次の通りである。
 
イメージ 2


 今回は江戸時代のヒーローとして活躍した人物を特集してみた。
 
 まずは、水戸黄門
 
イメージ 4 水戸黄門といえば常陸国水戸藩主の水戸光圀公(1628-1701、72歳で没)の別名。右は江川武村・画)
 
 水戸家は、言わずと知れた徳川御三家(尾張、紀伊、水戸)の一つである。
 
 時は元禄、「犬公方」こと5代将軍徳川綱吉の治世。隠居した光圀はお供の俳人を連れて、諸国漫遊を兼ねて藩政視察の世直しの旅に出るというのがそのストーリーだが、実際に諸国漫遊の旅をすることはなかったそうだ。
 
 明治末期に日本でも映画製作が始まると、時代劇映画の定番として「水戸黄門漫遊記」がもてはやされ、戦前から戦後にかけて数十作が製作された。
 
イメージ 5 しかし何と言っても水戸黄門を有名にしたのは1969年、東野英治郎を主演に起用したTV番組、ナショナル劇場「水戸黄門になってから。何と201112月19日(最終回スペシャル(写真)まで42年間も続いた長寿番組となった。
 
 この間、黄門さまこと、水戸光圀公5代わった。
 
①第1-13(1969-1983年、14年間)東野英治郎(1994年、86歳で没)
②第14-21(1983-1988年、5年間)西村晃(1997年、74歳で没)
③第22-28(1988-2001年、13年間)佐野浅夫(現在88)
④第29-30(2001-2002年、1年間)石坂浩二(現在72歳)
⑤第31-43(2002-完結、9年間)里見浩太朗(現在77歳) 
 
イメージ 3
 
 ストーリーは、勧善懲悪の偉大なるワンパターン。これを「黄金パターン」と呼ぶらしい。
 
イメージ 6最後に光圀公が、「助さん! 格さん! もう良いでしょう!!!と言うと、助さんまたは格さん「静まれ、静まれぃ! この紋所が目に入らぬか!!!と葵の御紋の印籠(写真)を掲げて、「こちらにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くもさきの副将軍・水戸光圀公にあらせられるぞ! 一同、御老公の御前である、頭が高い! 控え居ろう!!!と一喝し、悪人一味は土下座して平伏するという展開で、安心して見いられるというのが最大の特長
 
 1227の平均視聴率は22.2%。最高視聴率は197925に記録した43.7%で、積木くずし最終回の45.3%に次いで民放ドラマ史上2番目の高さだった。
  
 水戸黄門終了後、現在はNHK大河ドラマのみがレギュラー放送の時代劇となっている。

 いろんな歌手が歌っているが、橋幸夫舟木一夫西郷輝彦の、いわゆる「御三家」が歌う、「ああ人生に涙あり」
 
水戸黄門主題歌/あゝ人生に涙あり(1969)
 


 次は大岡越前
 
イメージ 9 大岡裁き「大岡政談」や、時代劇での江戸南町奉行大岡越前守(画像)として知られている、大岡忠相(おおおかただすけ)(1677年~1752年、75歳で没)は、江戸時代中期・8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革町奉行として支え、江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、地方御用や寺社奉行を務めた幕臣大名
 
 
イメージ 7 自分や幕府の事しか考えない政治家が多い中、江戸市民の生活を守るために力を注いだ人物で、その業績が、大岡裁きで有名な「大岡政談」を生みことになるが、話や登場人物のほとんどが、架空とされている。
 
<大岡越前守が登場する、主な昔話>

 ひろったさいふ 
ほんとうの母親 みそのにおい 娘の婿選び
 
 


 最後は一心太助
 
イメージ 8 一心太助は、3代将軍・徳川家光の時代に、「天下のご意見番」として有名な大久保彦左衛門こと、大久保忠教(1560年~1639年、79歳で没)(画像)のもとで活躍したとされ、太助は実在の人物で、若いころ大久保彦左衛門の草履取だったといわれるが、実は架空の人物だったというのが定説である。
 
 職業は魚屋。神奈川県小田原の老舗魚問屋・鮑屋の主人がそのモデルだとされている。義理人情に厚く、江戸っ子の典型として描かれることが多い。
 
イメージ 10 一心太助は百姓であったが、あるとき領主の大久保彦左衛門に意見したのが気に入られ、大久保家で奉公することとなる。
 

 それは、大久保彦左衛門の皿を誤って1枚割ってしまった腰元お仲が手討ちで殺されそうになるのを、一心太助が知る。一心太助は彦左衛門の前で残りの皿7枚を割り、彦左衛門がお仲および一心太助を許す。一心太助は、お仲と結婚し、武家奉公をやめてお仲の実家の魚屋で働くこととなる。その後も、彦左衛門に意見し協力することとなるというものだ。


舟木一夫/一心太助江戸っ子祭り
山田太郎/男!一心太助
 


Wikipedia参照)

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