東日本大震災から4年という日からもう3日経った。メディアではお決まりの震災特集もそろそろ下火になったようだ。
そのうち、岩手、宮城、福島3県の被害は突出しており、先の死者・行方不明者・震災関連死の合計では全国の99.4%がこの3県に集中している。
多くの人にとって人生最大のショックな出来事であろう大震災の復興は4年たった今でも驚くほど進んでいない。
岩手、宮城、福島3県の仮設住宅の入居戸数は約7万7千戸、12万人以上の人が震災から4年たった今でも仮設住宅に住んでいる。こんなこと、信じられる?
既に2013年1月から25年間は所得税に所得税額の2.1%分が上乗せされている。そして、2014年6月から10年間は住民税に年に1千円が加わっている。
以前話題になったことがあったが、復興予算流用問題について、財務省をはじめとするシロアリ役人と政治家が「復興のため」と国民に増税を強いながら、巻き上げた税金を被災者のためではなく、庁舎の改修やハコ物公共事業などシロアリの利権拡大に好き放題使っていた「騙し増税」のことは、その後どうなったのだろうか。
今でも復興予算は予定通り使われているのだろうか。(まるで詐欺ばかり…復興予算19兆円を何にどうして転用した?参照)
<記事追加>
そう思って、何気なく日刊ゲンダイ・3月12日号を読んでいたら、ドンピシャの記事があった。
タイトルは、「使途デタラメ…安倍政権「復興予算26兆円」で自衛隊ヘリ改修」
政府は11~15年の集中復興機関に、26兆3000億円もの復興予算を計上しているが、その使い道は依然メチャクチャだ。
「巨額の復興予算は、民主党政権当時からデタラメに使われてきました。復興予算は日本再生の名の下に、国立競技場の改修費やシー・シェパード対策、沖縄県の教育振興費など復興とは無関係なところにバンバン投入されていた。カネを集めたはいいが、使い道がなく、11年度分の1兆円は不用額として国庫に返納されています」(霞が関事情通)
デタラメな使い方は安倍政権になってから拍車が掛かり、防衛費にまで使っている。15年度予算案では、防衛省の輸送ヘリ改修費などに約14億円が盛り込まれていたことが発覚した。自民党も復興と無関係なところに予算を使う一方、使い道がなく、昨年3月末時点で、9兆円もの予算が余っている。
言うまでもなく復興予算の原資は税金だ。国民は2037年まで、所得税の税額の2・1%分を被災地復興のために納付しなければならない。国民から徴収しておいて、9兆円も余らすとは、どういうことなのか。
経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。
「復興予算は当初、各省庁に、何でもアリの“お小遣い”として使われていました。国民から批判が噴出し、厳格化された。その結果9兆円もの予算が余った格好です。しかし、9兆円も余るということは、安倍政権が復興に向け、有効な手だてを見いだせていないということです。被災地では仮設住宅で厳しい冬をしのいでいる方が、まだまだ大勢います。なぜ、困っている人に予算を振り向けることを考えないのか。4年も経ってこの体たらく。被災地に目が向いていないのではないか」
竹下復興相は8日の「日曜討論」(NHK)で、「(16年度以降は)市町村も自立する強い意志を持ってほしい」と、被災3県の知事に負担増を迫っていた。予算が余っているのに、なぜ自治体に負担増を強いるのか。カネが余っているなら、国民に返すべきだ。
「巨額の復興予算は、民主党政権当時からデタラメに使われてきました。復興予算は日本再生の名の下に、国立競技場の改修費やシー・シェパード対策、沖縄県の教育振興費など復興とは無関係なところにバンバン投入されていた。カネを集めたはいいが、使い道がなく、11年度分の1兆円は不用額として国庫に返納されています」(霞が関事情通)
デタラメな使い方は安倍政権になってから拍車が掛かり、防衛費にまで使っている。15年度予算案では、防衛省の輸送ヘリ改修費などに約14億円が盛り込まれていたことが発覚した。自民党も復興と無関係なところに予算を使う一方、使い道がなく、昨年3月末時点で、9兆円もの予算が余っている。
言うまでもなく復興予算の原資は税金だ。国民は2037年まで、所得税の税額の2・1%分を被災地復興のために納付しなければならない。国民から徴収しておいて、9兆円も余らすとは、どういうことなのか。
経済ジャーナリストの荻原博子氏はこう言う。
「復興予算は当初、各省庁に、何でもアリの“お小遣い”として使われていました。国民から批判が噴出し、厳格化された。その結果9兆円もの予算が余った格好です。しかし、9兆円も余るということは、安倍政権が復興に向け、有効な手だてを見いだせていないということです。被災地では仮設住宅で厳しい冬をしのいでいる方が、まだまだ大勢います。なぜ、困っている人に予算を振り向けることを考えないのか。4年も経ってこの体たらく。被災地に目が向いていないのではないか」
竹下復興相は8日の「日曜討論」(NHK)で、「(16年度以降は)市町村も自立する強い意志を持ってほしい」と、被災3県の知事に負担増を迫っていた。予算が余っているのに、なぜ自治体に負担増を強いるのか。カネが余っているなら、国民に返すべきだ。
ところで、東日本大震災が起きた4年前を思い出してみよう。
それは、2011年3月11日(金)14時46分18秒のことだった。
自分は今でも勤めている東京・八王子の会社で仕事をしていた。
震源地より遠く離れた東京でも、過去経験したことのないほどの大きな揺れを感じた。
大げさに言うと地球最後の日ではないかと思うほど大きく揺れた。(写真)
当日は金曜日、明日は会社が休みだ。電車は止まっているので仕方なく会社に泊まる。
3月上旬はまだ寒い。会社には寝具を用意していないので、床に直接寝ることは出来ない。椅子に座ってうとうととして夜が明けるのを待つ。
11日は東京ビックサイトで展示会の最終日。参加した連中が12時間もかけて朝の5時頃機材の搬出のため帰って来た。交通は大混乱、滅茶苦茶に渋滞して大変だったようだ。
6時のJR八王子駅に、帰る電車があるかどうかを確かめに行く。駅は帰宅難民でごったがえしている。電車の来る気配はない。その間どこかの喫茶店でも行って時間を潰そうと思ったが、どこのお店にも行列が出来ている。あきらめて駅の構内で時の来るのを待った。
それが意外と早く、8時頃始発電車がやって来た。ところがラッシュアワー以上の超満員。しかものろのろ運転で、通常の3倍の時間がかかり、10時頃ようやく自宅に着いた。
家は停電で、コンビニやスーパーは閉店している。
それから始まるモノ不足や計画停電。勤めている会社どころか、日本はこれからどうなるのだろうかと途方に暮れたものだった。
モノ不足については、まるで1970年頃のオイルショックの再来のようだった。一番品不足は乾電池。ガソリンの不足は会社の業務に大きな影響を与えた。
夜の計画停電は、いかにこれまで電気に頼っていたのかということを思い知らされた。家に辿りつくと部屋は真っ暗、何もすることが出来ない。まだ寝るのも早い時間に布団に潜り込んで、眠たくなるのを待つばかりだった。
電車も走らないので、車に相乗りして帰る。事前に告知されていたとはいえ、運転中、いきなり全ての信号機が一斉に消え、周りは闇。こんなに怖い思いをしたことはなかった。
テレビは毎日震災のニュースで終始している。
それでも、先の死因のうち水死が90.4%だというから、津波が一番影響力が大きかったのだろう。
この写真のような辛さをかみしめて踏ん張っている少年の姿を見るたび、涙を誘われるのは自分だけではないだろう。
最近のテレビでは、今まで津波の映像は避けていたが、ようやく冷静に見ることが出来るようになったという被災者の話が印象的だった。
放射能汚染は決して終息していない。
信じがたいことだが、それほど日本の原発マフィアの根が深いということだ。
しかし、帰還困難区域内の区間ではオートバイや自転車、それに歩行者の通行は認められず、車を途中で停車して外に出ることはできない。
開通は一見明るい話のように思えるが、一方で放射能汚染の拡散にもつながるのだ。
昨年、田村市と川内村の一部で国の避難指示が解除されたが、田村市で4割、川内村で1割しか戻っていないというのが現状だ。
「地震の後には戦争がやってくる 清志郎の言葉、いま響く」という記事(2014年8月16日)があった。(要約)
〈地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる〉
〈復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。これが日本だ。私の国だ〉
〈政治家は……人を助けるとか世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を征服したい。(中略)憲法第9条は……戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ〉
民衆をだまして、民衆を利用していったい何になりたいんだ。予算はどーなってるんだ。予算をどう使うかっていうのはいったい誰が決めてるんだ。10万円のために人を殺す奴もいれば、10兆円とか100兆円とかを動かしてる奴もいるんだ。一体この国は何なんだ。
俺が生まれて育ったこの国のことだよ。どーだろう、‥‥‥この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう、きっと幸せになれるよ。
その後、反原発を訴えた衆院選候補者の応援演説で読み上げ、ツイッターで紹介すると、ネット上で賛同の声が広がった。忌野さんのバンド「RCサクセション」が原発を批判する歌・サマー・タイム・ブルースを発表したのは80年代。(右映像)
震災で原発事故は現実となり、閣議決定による集団的自衛権の行使容認で、憲法の意義は揺らいでいる。
震災後の世情の変容に、湯川さんは「幸せに生きるために、人は生まれてくる。『存在の自由』が脅かされかねないことを、考えてほしい」と語る。
福島の原発対策については、第2段階に突入した。
福島県大熊町の仮置き場で汚染土の入った袋を積んだ10トントラックは午後、14.5kmの道のりを40分かけて同町の建設予定地に到着。報道関係者が見守る中、クレーンで一つずつ袋を下した。(写真)
この日は、後に続いたもう1台の運搬分と合わせ計12袋(約12㎥)になった。双葉町内での作業も予定していたが、環境省によると、町側からの要請で25日に延期したそうだ。
11日の会社の朝礼では、被災者に対して、全員で1分間の黙とうを捧げた。
この支援活動は今でも続けられていて、本当に頭が下がる思いだ。
日本人にとって、この大事故がいつまでも風化しないことを祈るのみである。