川崎の中学生・上村君殺人事件が痛ましい。
自分も過去、田舎から町に転居したことがある。突然の環境の変化に戸惑うことばかりだった。もしもそのとき不良グループが手を差し伸べてきたとき、果たしてきっぱりと交際を断ることが出来ただろうか。
特に多感な中学生のころ、ちょっとしたことで人生は狂ってしまう。幸い、まだ都市化が進んでいなかったことと、周りに暖かい目で見てくれる人がいたから助かっただけだ。
中学生のころは反抗期だった。何だかわからないがむしゃくしゃして腹が立った。暴力を振るったことは一度もなかったが、その矛先は主に母に向かっていた。
きつい言葉を吐いたこともあった。心がささくれだってどうしょうもないときがあった。
音楽はそんなときの心の支えだった。当時は今と違いイージーリスニングが全盛を極めていた。
反抗期はとっくに過ぎた今でも、心が疲れることが多々ある。そんなとき、イージーリスニングはとても有難い存在だ。
心を落ち着かせるためにはアルファー波の出る、癒し系の音楽に限る。
イージーリスニング大国と言えば、フランスだ。
主な音楽家の名前と出身地を図にしてみた。
そのうち、ポール・モーリアもフランク・プウルセルもレイモン・ルフェーブルも鬼界に入ってしまった。
今回は彼らの音楽を2回に分けて聴いてみよう。
フランク・プゥルセル(2000年、87歳で没)
マルセイユ生まれの作曲家、編曲家、指揮者。1952年に楽団を結成し、1950年代半ば頃からフランス随一の人気楽団として確固たる地位を築く様になり、米のパーシー・フェイス、英のマントヴァーニと並んでイージーリスニング界の3大リーダーの1人と言われる様になった。
ヒット曲としては、1955年過ぎに「急流」が全世界において大ヒットし、その後「オンリー・ユー」(プラターズのカバー)が、1959年にアメリカのビルボードHOT 100で最高9位にランクインする大ヒットとなった。
彼の作品は日本の多くのFM放送のテーマ曲として使われたので、懐かしいと思う人も多いことだろう。
急流(FM福岡:サウンド・ミュージアムテーマ曲)
恋のベネズエラ(FM大阪:ミュージック・レーダーテーマ曲)
ひとつぶの涙 (TBSラジオ-JRN系「はがきでこんにちは」)
明日は月の上で (ミヤギテレビ定時天気予報番組BGM)
ジェットストリーム ミスター・ロンリ― (城達也ラストフライト)
レイモン・ルフェーブル(2008年、78歳で没)
カレーに生まれる。ピアニスト、フルート奏者。マルセル・モイーズに師事したパリ音楽院の学生時代に、学費捻出のため演奏していたダンスホールでジャズに傾倒、プロ・ミュージシャンとして活動を始める。
同院卒業後、フランク・プゥルセル楽団でのピアニストを経て、1956年9月に女性歌手ダリダのデビュー曲『バンビーノ』の編曲と伴奏指揮を担当、レイモン・ルフェーブル・グランド・オーケストラ(Raymond Lefèvre et son Grand Orchestre)としてのスタートを切る。
1968年「ばら色の心」「シバの女王」が大ヒットし、この2曲が全米ヒットチャートにもチャートインしたことにより、その名が知れ渡る様になる。
特にクラシックの名曲をイージー・リスニング風にアレンジした「ポップ・クラシカルシリーズ」が評判を呼んだ。写真は初期のLP盤「愛は永遠に」(1971年)
それでは、まずはクラシックの名アレンジ曲から。
愛は永遠に(モーツアルト「交響曲第40番」が原曲)
涙のカノン(バッヘルベル「カノンとジーク二短調」が原曲)
ヒット曲を。
白いバラ
パーリー・スペンサーの日々
続く