昨日(2/28)のニュース(デーリー東北新聞社)に、こんな記事が。
「冬の蕪島(かぶしま)に“異変” ウミネコ多数越冬 すでに1万羽以上、例年の約2倍/八戸」(以下は要旨)
ウミネコの繁殖地として知られる八戸市の蕪島(写真)で、“異変”が起きている。
蕪島のウミネコは例年、2月下旬ごろから飛来が始まり、島と海上の行き来を繰り返しながら、群れで島に降り立つ時間が徐々に長くなっていく。4月中旬ごろになると繁殖活動を開始。ひなが育った7月下旬ごろには約3万5千羽に達し、餌となるイワシやイカなどの漁場を求めて大半が北へ旅立つ。その後は九州付近まで南下し、2月ごろに蕪島へ戻ってくるという。
ところが、今冬は昨年11月ごろに、数千羽が蕪島に立ち寄り、そのまま越冬したウミネコが多いという。蕪嶋神社の関係者は「年越しの時期にもウミネコがいたのには驚いた」と話す。
その理由は明らかでない。
ウミネコもかもめの仲間。その違いについてはhttp://photo.air-nifty.com/blog/2008/11/umineko-kamome.htmlに詳しい。
今回は「かもめ」の曲特集。まずは3つの話題を。

なお、題名に「かもめ」の文字はない。曲の最初と最後にかもめが鳴く声が入るのが印象的な音楽だ。
フランク・チャックスフィールド楽団/引き潮
きらめく水面に照らされて、白い翼が風を切る… 横浜港山下公園氷川丸の波間に、10数羽のカモメがチャップチャップと浮かんでいました。
ボーッという汽笛を鳴らし、洋行の船が波止場を離れると、たくさんのカモメが夕日を浴びて飛び交います。俊子はさっそく帰路の電車の中で詩を書きとめ、河村光陽(1946年、46歳で没、写真右)に作曲依頼の電話を入れました。この詩を受けた光陽は、その日のうちにリズム感のあるメロディをつけ、曲を完成させたそうです。
童謡部門で戦後最大となるレコード売上げ日本一の評価を得ます。
河村順子が教師の仕事で海外出張した際、現地の関係者と訳詞する活動をしたからです。(写真はメキシコシティで、河村順子と現地の子供たち)
「明るくてリズミカルだから、どの言葉でも歌いやすいのではないでしょうか。楽しいと何度も言われました。この曲は大人が歌うより子どもたちの元気な歌声の方がノリがいいようです」
ひばり児童合唱団/かもめの水兵さん
この映画は、1973年度のグラミー賞の最優秀映画音楽賞及びゴールデン・グローブ賞の作曲賞を受賞したが、原作である飛行家・リチャード・バックの同名の小説は、1970年にアメリカで出版され、当時のアメリカのヒッピー文化とあいまって、アメリカで1500万部、日本では1974年新潮社より五木寛之の訳で出版され、120万部のベストセラーとなった。
精神的で、難しい内容の小説だ。
書籍の紹介を見るとこんなことが書かれてある。
そう、重要なのは食べることではなく、飛ぶことだ。風になることだ。急降下、宙返り、きりもみ、そして全速力――飛ぶことだけのよろこびを味わうために、光りかがやく空の果てまで飛んでいく一羽のかもめ、ジョナサン・リヴィングストン。群れから追放された異端のかもめは、強い意志と静かな勇気をもって、今日もスピードの限界に挑戦する。
これを訳した五木寛之の解説にはこう書かれてある。
なぜ、この本がベストセラーになったのか。自由、愛、高尚など、観念ばかり先走っている。かもめだから、まず速く飛ぶことってなっているが、人間だったら何を求めているのか。こういう本こそ、考え方に影響を受けやすい子供に有害と思うので、陸上部の人間以外は18歳以下禁止にしたほうがいいと思う。
ところで、当時、こういうざれ話が流行った。
問・カモメが百羽います。一羽はカモメのジョナサン、では残りは?
答・カモメのミナサン。
ニール・ダイアモンド映画「かもめのジョナサン」主題曲 Be(1973年)
それでは、最後に「かもめ」の曲をいくつか。
ちあきなおみ/かもめの街
浅川マキ/かもめ(1969年)
研ナオコ/かもめはかもめ (1978年)
渡辺真知子/かもめが翔んだ日(1978年)
自由、孤独、それとも根なし草。それぞれ、「かもめ」に託した気持ちは違うようだ。
(Wikipedia参照)