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フォークソングの歴史

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 フォークソングFolk Song)とは、元来は民謡のことだが、一般的に民謡から派生したポピュラー音楽であるモダン・フォークを指すことが多い。
 
オルマナック・シンガーズ
 
 モダン・フォークは、1941年、アルバム「Sod Baster Ballads」でデビューした伝説のバンド・オルマナック・シンガーズがその元祖とされる。
 
イメージ 1イメージ 2 昨年1月に94歳で亡くなったフォークソングの父ピート・シーガー(写真左)と、ウディ・ガスリー(1967年、55歳で没、写真右)という、あまりにも有名な二人のメンバーを中心に生み出されたこの音楽は、反戦歌(プロテスト・ソング)という社会変革のための音楽の先駆けとなった。

 彼らが作った作品はプロテストソングの名曲として残り、今でも広く愛唱されている。
 
ピート・シーガーは、花はどこへ行った (Where Have All the Flowers Gone?)ジョー・ヒカーソンとの共作)、天使のハンマー (If I Had a Hammer)(ウィーバーズのリー・ヘイズとの共作)、「ターン・ターン・ターン (Turn! Turn! Turn!)」などの代表作がある。
 
 スピリチュアル(霊歌)「ウィ・シャル・オーバーカム (We Shall Overcome)1960年代の公民権運動を象徴する歌にした立役者でもある。
 
「花はどこへ行った」(1955年)は、ロシアの作家、ミハイル・ショーロホフ『静かなドン』の最初のほうに出てくる、コサックの民謡の歌詞にヒントを得たのだという。
 
 歌詞に加筆し、1961
に著作権が登録し直されて、反戦歌としての色彩が鮮明になった。
 
「花はどこへ行った少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。
 
 最後には必ず「いつになったらわかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。
 
 こんな曲も彼が作った。
 
 

 ウディ・ガスリーも多くの作品があるが最も有名なのが、「我が祖国(This Land Is Your Land)」(1940年)

 この国は君の国 そして俺の国さ カリフォルニアからニューヨークまで レッドウッドの森からメキシコ湾まで ここは俺たちのための国さ

 果てしなく続く道を歩いていくと 頭上には限りない空が広がり 足元には深い谷がのぞく ここは俺たちのための国さ…と続く。
 
映画「ウディ・ガスリー/わが心のふるさと」(1976)
 

Pete SeegerWhere Have All the Flowers Gone?(1955年)
Woody GuthrieThis Land Is Your Land(1940年)
 

ウィ-ヴァーズ
 
 そして、ピート・シーガーリー・ヘイズなど男性3名と、ロ二ー・ギルバートという女性1名の4人のグループ・ウィーヴァーズ(Weavers)は、アメリカで200万枚の大ヒットとなった「グッドナイト・アイリーン」(1949年)(Goodnight Irene)(右映像)を生んだ。
 
 男が一人暮らしを始め、女のいない家庭は寂しくわびしい、じっとしていられない、しっかりとアイリーンの心が摑めないために、不安がつきまとうそんな気弱な男のことを歌った曲。
 
 これは、マッカーシーズムという赤狩りが吹き荒れた影響で広範な動きにはつながらなかったが、1958にデビューしたキングストン・トリオがポップチャートで民謡「トム・ドゥーリー」(Tom Dooley) をヒットさせたのを機にこの動きは全米に広がっていった。
 
キングストン・トリオ/トム・ドゥーリー(1958年)
 
「トム・ドゥーリー(Tom Dooley)」は、南北戦争時代のアメリカで、実在した元南軍兵士の名前。
 彼は、1866年に婚約者のローラ・フォスターを心変わりしたという理由で、刺殺した。最初のうち彼は無実を訴えていたが、なぜか「自分は罰を受けるに値する」と供述してあえて死刑を望み、1868年に殺人罪で絞首刑になった。
 この事件の真犯人は彼のもう一人の愛人、アン・メルトンであったともいわれ、多くの謎を残していたが、地元ノースカロライナの詩人トーマス・C・ランドがこの悲劇を歌にしたことで再び脚光を浴びることになった。

フォーク・リヴァイバル
 
 それから、現代に至るフォークの原点は、1960年に起きたフォーク・リヴァイバルのヒーローたち、ハイウェイメンブラザーズ・フォア第809話:ブラザーズ・フォア参照)、ピーター・ポール&マリーピーター・ポール&マリー参照)ニュー・クリスティ・ミンストレルズボブ・ディランなど多くのアーティストである。
 
 彼らは次第に民謡だけでなく、民謡に影響を受けたオリジナル曲も歌うようになる。生活苦などをテーマにした民謡に影響を受けた彼らは、人種差別反対、戦争反対などの社会的なメッセージを込めたプロテストソングを発表した
 
ハイウェイメン/漕げよマイケル(Row The Boat Ashore)(1960年)
ブラザーズ・フォア/グリーンフィールズ(Green Fields)(1960年)
 

ピーター・ポール&マリー/朝の雨(Early Morning Rain)(1966)
ニュー・クリスティ・ミンストレルズ/グリーン・グリーン(Green Green)(1963年)
 

フォークロック
 
 フォーク・リヴァイバル勃興期の演奏形態は、バンジョー、アコースティックギター、ウッド・ベースという楽器編成が多く、中心楽器はバンジョーであった。しかし、次第にバンジョーは使われなくなり、アコースティックギターが中心的な楽器となっていった。
 
 フォークロックは、1960年代半ば、北アメリカで生まれた。当初、フォークロックと呼ばれた楽曲の特徴は、北アメリカの民俗音楽、あるいは、当時のシンガーソングライターの楽曲をレパートリーとし、ハーモニーを生かした歌唱と、従来の楽器に加え、電気楽器をあまりエフェクターをかけずに用いた演奏であった。
 
 フォーク・シーンで活躍したボブ・ディランロジャー・マッギンジーン・クラークなどの多くのミュージシャンは、1964ビートルズのアメリカ上陸に影響を受け、エレクトリックギターエレクトリックベースドラムスというロックの楽器編成(但し、アコースティックギターを併用する場合も多い)で演奏するようになった。これをフォークロックと呼ぶ。
 
 また英国でもリチャード・トンプソン率いるフェアポート・コンベンションディック・ゴーハン、ユワン・マッコール、ペンタングル、スティールアイ・スパンなど、フォークソングを演奏する多数のミュージシャンが活躍した。


ザ・バーズ/ターン・ターン・ターン(Turn! Turn! Turn!)(1965年)
ママ・アンド・パパス/夢のカリフォルニア(Carifornia Dreamin')(1965年)
 


サイモン&ガーファンクル/ボクサー(The Boxer)(1969)
ジェファーソン・エアプレイン/あなただけを(Somebody Love)(1967年)
 


ニュー・フォーク
 
 ニュー・フォークという言葉が定着したのは1970年頃。
 
 当時の代表的な海外のニュー・フォーク・アーティストとして、ローラ・ニーロ、ジェイムス・テイラー、メラニー、ジョニ・ミッチェル、バーフィー・セント・メリーなどが挙げられる。つまり、ボブ・ディランよりも後の世代による(または後の時期の)フォーク・ミュージックとも言える。
 
 ニュー・フォークは、アーティストがシンガーソングライターで、音はフォークとロックの中間、といった特徴をもつのが一般的であるが、その限りではない。メッセージ性は問われない。フェアポート・コンベンションなども当時はニュー・フォークと呼ばれていた。
 
メラニー/傷ついた小鳥(What Have They Done to My Song,Ma?
二ール・ヤング/ハート・オブ・ゴールド(Heart of Gold)(1971年)
 


バフィー・セントメリー/サークル・ゲーム(Circle Game)(1968年)
ジュディ・コリンズ/青春の光と影(Both Sides Now)(1969年)
 


 次回は日本のフォークソング。(Wikipedia参照)

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