2回に渡って「カバーによってすっかりイメージの変わる曲」を特集してきたが、最後は日本のカバー曲について。
まず最初は、日本の曲を海外の演奏家が演じるケース。
リカルド・サントス「ホリディ・イン・ジャパン」
コンチネンタル・タンゴの両雄、リカルド・サントス(後のウェルナー・ミューラー)と、アルフレッド・ハウゼは何度も来日し、日本の曲をカバーして演奏した。前者の初来日が1958年、後者は1965年のことである。
ところが、まだヨーロッパでは日本と中国の違いもわからない時期。特にリカルド・サントスは当時の欧米の日本観が良く分かる、エキゾチックな演奏になっている。
こんなジャケットと曲名である。(CD化して内容が一部変わっている)
5. 夕やけ小やけ 6. 元禄花見踊 7. 吾妻八景 8. 荒城の月
9. 五ツ木の子守歌 10. 故郷 11. 宵待草 12. 七つの子
13. 赤とんぼ 14. 越後獅子 15. 新内流し 16. さくら さくら
その中から2曲。
端唄:市丸 リカルド・サントス楽団/お江戸日本橋
山口淑子(李香欄)リカルド・サントス楽団/五木の子守唄
日本の曲を日本人がカバーした曲
平尾昌章(1960年)ザ・ドリフターズ(1969年)/ミヨちゃん
海外の曲を日本人がカバーした曲
ザ・ドリフターズ(1960年) 越路吹雪(1961年)/ラストダンスは私に
The Beatles/Yellow Submarine(1966年)
金沢明子/イエロー・サブマリン音頭(1982年)
●今や宝塚歌劇団の愛唱歌として有名な「すみれの花咲く頃」。
このころパリに滞在していた宝塚歌劇の演出家・白井鐵造がこの歌を大いに気に入って、日本に持ち帰り、自ら日本語詞をつけて、1930年上演の『パリ・ゼット』の主題歌として使った。
「すみれの花咲く頃」としたのは、このころはまだ、リラ(英語ではライラック)が日本人にはあまりなじみがなかったからだという。
以後、この歌は宝塚のシンボルソングとして、長く歌われることとなり、シャンソンが日本人に愛好されるようになったのは、この歌がきっかけだといわれている。
ヘルムート・ツァハリアス楽団 宝塚歌劇団/すみれの花咲く頃
Wikipedia参照