1965年について海外に目を向けると、前年のトンキン湾事件に続き、アメリカがベトナム戦争に直接介入、北爆を開始した年だった。
2月7日、解放戦線の攻撃を受け85人の米兵が死傷したのに対し、ジョンソン米大統領は報復命令、米軍機が北緯17度の停戦ラインを越え北ベトナム領内への大規模な爆撃を決行した。3月、米海兵隊がダナン上陸を断行した。
世界的な反対運動が活発化し、日本では小田実などが主催するべ平連はこの年に発足した。
この年に発売されたアメリカの反戦歌の代表曲。前者は9月18日、後者は9月25日、共にCashBoxのシングルで全米第一位となった。
ボブ・ディラン/ライク・ア・ローリング・ストーン
バリー・マクガイア/明日なき世界
世界の音楽業界は、ビートルズ旋風が吹き荒れていた。
なお、エルビス・プレスリーは1960年の除隊後映画の出演が多く、この間音楽でトップは1度もない。
それでは、この年のビートルズとモータウンサウンドのヒット曲を2曲づつ。
ザ・ビートルズ/エイト・ディズ・ア・ウィーク イエスタデイ
ザ・スプリームス/アイ・ヒアー・ア・シンフォニー
ザ・テンプテーションズ/マイ・ガール
このグループの活躍も見逃すことは出来ない。ビーチボーイズとベンチャーズ。
彼らはシグネイチャーモデルである、モズライトのギターで真空管アンプのもつダイナミックなサウンドを奏で、たちまち日本の若者たちをとりこにし、日本に大エレキ・ブームを巻き起こした。
低音弦をスライドさせて、ピッキングを行う「クロマティック・ラン」奏法のサウンド(日本では一般的に「テケテケ」と呼ばれる)と共に、「ダイアモンド・ヘッド」、「パイプライン」(これを題材にしたのが映画化もされた芦原すなお原作の『青春デンデケデケデケ』)、「10番街の殺人」、「ウォーク・ドント・ラン」、「キャラバン」など、数々のヒット曲を生み出した。
彼らが本国米国で一番人気があったのは60年代で、日本では長く人気を保ち来日回数は50回を超え、いわゆるビッグ・イン・ジャパン(注:外国より日本での人気が高いミュージシャン)の代表例とされている。(Wikipedia参照)
ザ・ビーチ・ボーイズ/ヘルプ・ミー・ロンダ
ザ・ベンチャーズ/ダイアモンド・ヘッド
今度は、これまでの音楽とガラリと雰囲気が変わり、ラブ・バラードを2曲。
ライチャス・ブラザース/アンチェンド・メロディ
ボビー・ヴィントン/ミスター・ロンリー
最後はカンツォーネとシャンソンから。
ジリオラ・チンクェッティ/ナポリは恋人
エルヴェ・ヴィラール/カプリの恋の物語
1965年はヒット曲が多くて絞り切れない。ご容赦を。![]()

次回は、1965年、追加で映画を。