「忘れる」ことはいいことだ。
10月26日に77歳で亡くなった芸術家・赤瀬川原平氏(写真)のいう「老人力」とは、ある意味「忘れる力」である。
特に「悲しいとか辛い思い出」は、身体の仕組みとして忘れやすいようになっているそうだ。
それは違うという人はいるかも知れないが、自分にはそれが当てはまっている。
今まで「悲しかったこと」を列挙しなさいと言われたとき、幾つも返答することが出来ないからだ。
ただ、一番悲しかったことだけはすぐに答えることが出来る。
それが情けないことに、既に他界した父や母の死のときではない。
もう40年以上前になる「失恋」である。
本当に情けない、女々しいことだが、いまだに既に40年以上前の「失恋」の影を引きずっているのだ。
今でも思うことがある。この深い心の傷さえなければ、自分の人生はその後どうなっていたのだろうかと。
ある意味で死別より生き別れの方が辛い。
「失恋」の内容は永遠の嘘をついてくれで紹介したので、再度説明する必要がないが、付き合いは2年程度で長い期間ではなかったので、多くの思い出が詰まっているわけではない。
それがなぜこんなに長く切ない思いをさせるのだろうか。
それはたった5人しかいなかった職場の中の恋愛で、予想もしないそのうちの一人の男性に彼女を奪われたこと、必然的にその職場は修羅場と化し、同時ではなかったが二人とも退社し、しかも間もなく二人が結婚したこと。
気も狂わんばかりだった。
その年の夏、能登に傷心の一人旅に出かけた。
旅行中思うのはこのことばかり。旅先で枕を濡らした日々であった。
当時は何が彼女をそうさせたのか理解できなかった。
やがてその理由が分かってきた。
自分の魅力が乏しかった。心が狭かったのだ。
そして、磁石のN極同士のように、追えば追うほど人の心は離れて行く。「こんな筈はない」とばかり、追いかけ過ぎた。
人に逢えばいつか別れがやって来る。そんなことを思うゆとりなど当時は欠片もなかった。
昨日、堀内孝雄の歌謡ショー(ゲスト:石原詢子)を見に行った。
彼が作曲した「秋止符」を聴いて、また当時の思い出がよみがえり感傷的になった。
恋に未練たっぷりの曲は多い。
石原詢子/他人船(原曲は三船和子、1965年)
箱崎晋一郎/抱擁(1969年)
由紀さおり/手紙(1970年)
あべ静江/みずいろの手紙(1973年)
渡辺真知子/かもめが翔んだ日 (1978年)
吉幾三/雪國(1986年)
恋の格言
○人はしばしば恋に欺かれ、恋に傷つき、不幸にもなる。 それでも人に恋するのだ。 (ミュッセ)
○結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。今考えると、あのとき食べておけばよかった。(アーサー・ゴッドフリー)
○人間は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する。 (アルマン・サラクルー)
○一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである。(レフ・トルストイ)