派手な格好をした有名人と言えば、何人か思いつく。
大屋政子
当時、大屋氏55才、政子さん29才と、今では珍しくない年の差婚だが、彼を生涯愛し、「ウチのお父ちゃん」と呼ぶ姿はマスコミを通じて一般にも有名になった。
志茂田景樹
執筆活動の他奇抜なファッションセンスが注目され、1980年代後半には山本寛斎のファッションショーでモデルを務めたほか、1990年代にはタレントとしてバラエティ番組やドラマ番組に出演したり、ファッションブランド「KIBA」を立ち上げるなどエキセントリックな行動と存在感と名前の通り「過激」なファッションスタイル及び脚線美で注目を集めた。
草間彌生
長野県・松本駅近くで種苗業を営む裕福な家に生まれ、幼いころから草花やスケッチに親しむ。その一方、少女時代より統合失調症を病み、繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。
記者会見では気丈に振る舞い、展覧会場では感激して涙を流す。メディアにも気を遣われ立派にこなすが、人前に出たあとは必ず自殺念慮が出て寝込んでしまうという。
それを逆手にとって、放っておけば自己が潰されてしまうほどの弱さを強さに変える、幻想をアートに変える凄さがある。
これからは歌手だが、先ずはNHK紅白歌合戦でのこの二人。
小林幸子/美川憲一
○小林幸子(現在60歳、写真)の豪華衣装でのNHK紅白歌合戦出演は1985年から2011年までの27年間。
2010年の紅白において、両軍ともにトリにポップスのグループ歌手を起用するなど「前年に60回のメモリアルを終えたので、新しい紅白は新しい時代の雰囲気で」と、NHKがそれまでとは違う構成にする方針をとり「豪華な衣装対決」を否定される形で美川憲一とも出場内定枠から漏れた際、美川はそのまま落選したが、小林は出場枠にくい込めた。
最後となった2011年の衣装は震災の影響で自粛を検討していたが、被災者の私達を元気づけるつもりなら豪華衣装をやってください。との声により10月1日より製作開始し12月30日のリハーサル当日の朝に完成したという。
なお、11月17日(月)にはデビュー以来初めての日本武道館コンサート『50周年記念小林幸子in武道館~夢の世界~』を開催する。デビュー50周年の集大成として企画しているものでステージには過去に紅白歌合戦で使った豪華衣装3点を持ち込み披露するという。
○美川憲一(現在68歳、写真)は、NHK紅白歌合戦には、1991年から2009年まで19年連続出場(通算では26回出場)し、小林幸子との派手な衣装対決で毎年話題を集めていた。
小林とは歌手としてライバル関係ではあるが、歌手デビュー前後には古賀政男の元で一緒にレッスン指導を受けていたことから、当時からプライベートでも親交が深い親友で、お互いの低迷時の苦労を全て知り尽くしている仲でもあり、2010年の紅白歌合戦落選直後には小林からすぐに電話連絡があってとても励まされたという。過去にはデュエットCDを出したこともある。
小林幸子/幸せ(1997年)
美川憲一/納沙布みれん(2004年)
演歌歌手で派手な格好をしていたのはこの人たち。
松山恵子/畠山みどり
○松山恵子(2006年、68歳で没)は、庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。
「だから云ったじゃないの」の冒頭のセリフ「あんた泣いてんのね…」は当時の流行語となり、大ヒットした。(第640話:松山恵子(お恵ちゃん)参照)
○畠山みどり(現在75歳)は、1960年、素人のど自慢番組『トップライトショウ』(ニッポン放送)で優勝したことでレコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビア入社。入社後1年4ヶ月間、船村徹の下でレッスンに通う傍ら、島倉千代子などコロムビアの看板歌手の前座を努めた後、1962年「恋は神代の昔から」でデビュー。扇片手に袴姿という奇抜さもあいまって、畠山の名は一躍、全国に知れ渡った。
松山恵子/だから云ったじゃないの(1958年)
畠山みどり/恋は神代の昔から(1962年)
ポップス歌手から。
アン・ルイス/きゃりー・ぱみゅぱみゅ
アン・ルイス/六本木心中(1984年)
きゃりーぱみゅぱみゅ/ふりそでーしょん(2013年)
海外の歌手も負けていない。
ケィティ・ペリー/レディー・ガガ
Katy Perry/Dark Horse ft. Juicy J(2013年)
Lady Gaga/Telephone ft. Beyoncé(2010年)
(Wikipedia参照)