前作で「結婚の理想と現実」に少し触れた。なお、あらかじめ断っておくと、自分は結婚否定論者ではない。「幸せな結婚」は自分も理想としている。
右のCMのように、夫婦がいつまでもこんなことが出来れば最高だ。
しかし、万人がそういう運命にあるはずがない。
真の友人も「一生で一人出来ればいい」という言葉があるぐらいなので、円満な家庭を作るのはとても難しい。
結婚についてで紹介したが、パートナーに飽きるのが怖くて結婚に踏み切れない女性の質問に対する、作家・伊集院静氏の回答が面白かった。(週刊文春連載「伊集院静の悩むが花」)
結婚している者はパートナーに飽きることはないかって?
君ね。大好物の食べ物だって、年に一、二度しか行けない高級レストランの名物料理だって、三日も四日も同じものを食べてりゃ、誰だって飽きるでしょう。ましてや五年、十年と同じ相手と居て、飽きないわけがないでしょう。バカなことを訊くんじゃないよ。
わしは仲の良い後輩で、見所があり、大人の男として、ちゃんと生きて欲しい仲間で、そいつが独身だったら、必ず言うの。
「おまえさんも結婚を一度せにゃイカンヨ」
とね。すると三人に一人が言い返すよ。
「先輩。どうして結婚しなくちゃいけないんですか。別にしなくてもいいんじゃないんですか。結婚したら何かいいことでもあるんですか」
とね。わしは即座に言い返すんじゃ。
「一人前の男になりたかったら、俺たちが結婚して辛い、いやな思いをしたことを、おまえさん一人がしないで済むというのは絶対に許されないから」
その彼は、3度も結婚を繰り返している猛者である。
幸せな結婚を送るためのコツがAll Aboutに載っていた。それによると





全くその通りだと思う。それが難しいのだ。
「結婚は勢いでできるが、離婚には体力が必要」という言葉があるが、「離婚は自殺より難しい」という例えを聞いたことがある。
自分は女房と来年でもう40年の腐れ縁になり、離婚はしたことがない。
それでも何度も危機は味わった。しかし、思い留まる「歯止め」があった。
もちろん、世間体もあるだろうし、「子はかすがい」も。相手の家族のことも「歯止め」になった。
離婚はそう簡単に出来るはずがないことは上述の言葉で判るが、自分の周りにも離婚経験者は多い。
ある友人は、妻から三行半を言い渡されたショックで目がおかしくなり、景色がモノクロになったという。
ある仕事仲間の男性は、離婚により子供を4人も抱えることになって、もう自分の人生は終わったと思ったそうだ。
人は、結婚から大きな利益を得るが、離婚により、その利益は失われることが多い。
結婚している男性は、独身や離婚後の男性よりも、平均して、より多くの収入を得る。より健康で、精神的に安定し、より長生きする。(例えば、40歳の時点で離婚している者は、結婚している者に比べて、男性で約10歳、女性で約5歳、寿命が短くなる)。
結婚している女性は、独身、同棲中、離婚した女性と比較して、経済的により豊かになる。ストレスが少なく、幸福感がより強くなる。
両親が結婚している子供は、片親や、親が再婚後の子供と比較して、学業成績がより良好で、精神的なトラブルが少なく、成人してからの社会的地位がより高く、結婚生活もうまく行く。子供は両方の親から多くを学ぶのである。
結婚した家庭は、地域における人間関係の拠点になり、社会のネットワークに貢献する。離婚により、こうした結婚の利点は失われる。
女性については、寡婦とそうでない女性を比べると、寡婦の方が貧困率が高いという。
離婚後、姓を戻しても戻さなくてもそのことで女性(あるいは改姓した男性)が精神的なダメージを受けることがあり、その理由から選択的夫婦別姓制度の導入が必要、といった意見がある。
日本の民法は、子供の奪い合いを招き、夫婦の対立を導いて、子供と片親との親子関係は、結局切れることが多い。(Wikipedia参照)
離婚はこんなに多くのリスクがあるのに、それでも決意するには、その背中を押すほどの何かがあるのだ。
幸せな夫婦の歌は戦前から存在する。
古賀政男・扇ひろ子/二人は若い(原曲は1935年)
若原一郎/おーい中村君(1958年)
村田英雄/夫婦春秋(1967年)
牧村三枝子/みちづれ(1978年)
都はるみ/夫婦坂(1984年)
川中美幸/ふたり酒 (1980年)二輪草(1997年)
亭主関白と、かかあ天下の歌。
さだまさし/関白宣言(1979年)
杉狂児・美ち奴/うちの女房にゃ髭がある(1936年)
詩人であるロバート・ブラウニングの「幸せな結婚に必要なのは、『良い人を見つける』ことではない。『自分が良い人になる』ということだ」という言葉が身にしみる。