Quantcast
Channel: ♪♪中高年の中高年による中高年のための音楽♪♪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1001

原爆記念日に寄せて【その1】

$
0
0
 8月は広島・長崎の原爆記念日、そして終戦記念日と続き、「戦争と平和」についてしっかり考える最適な季節だ。
 
 折しも安倍内閣の集団自衛権行使について多方面から批判が相次いでいる。
 
長崎平和祈念式典
 
イメージ 1 本日(8月9日)安倍首相やケネディ駐日米大使ら外国の代表者らが参列した長崎平和祈念式典では、69回目の原爆の日を迎え、田上長崎市長(57歳、写真)は、平和宣言の中で、「核兵器のない世界」を次世代に引き継ごうと呼びかけ、「日本国憲法に込められた『戦争をしない』という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもある」と指摘し、「その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求める」と述べた。
 
イメージ 2 また、被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん(75歳、写真)はさらに踏み込んで、「集団的自衛権の行使容認は平和憲法を踏みにじる暴挙!福島原発の放射能による甲状腺異常に苦しむ子どもたちがいる中で武器輸出、原発輸出はすべきでないと安倍政権を非難した。

安倍首相スピーチのコピペ疑惑
 
イメージ 3 この演説を苦虫をかみつぶしたような顔をして聞いていた安倍首相(写真)
 
 上川あや・世田谷区議会議員のツィターでの指摘から火を噴いた広島平和祈念式典での昨年のスピーチとのコピペ問題は、長崎でも変わらず、長崎市での平和祈念式典では、冒頭の表現など、およそ半分が昨年の記述と酷似しており、平和に対する思いの深さ」に疑問符がついた。
 
 首相はこの後、被爆者団体と面談。長崎原爆遺族会の正林克記会長は首相に「ちょっとがっかり。被爆者みんながびっくりした状態です」と失望を伝えたそうだ。
 
 は広島平和式典での安倍首相のスピーチ、昨年(左)との比較。
 
イメージ 4

イメージ 5


平和祈願の歌「リメンバー」
 
イメージ 7イメージ 6 8月2日に長崎市で行われた国際平和シンポジウム核兵器廃絶への道」(朝日新聞社、長崎市長崎平和推進協会主催)で歌われた「リメンバー」を作詞したなかにし礼さん(76歳、写真左とその曲を歌う声楽家佐藤しのぶさん(56歳、写真右)のインタビュー記事
 
■なぜ今か、若者に伝えたい 作詞家・なかにし礼さん
 
 「平和の歌を」という佐藤しのぶさんに動かされました。旧満州の戦争体験を語り継ぐ使命感から「赤い月」を書いた私にも、核廃絶の歌を書いてみたいという思いがありました
 
 どう書くか。そんな時、オノ・ヨーコさん「『リメンバー・ヒロシマ、ナガサキ』ね」と語る朝日新聞の記事に出会いました被爆国日本が世界に発信できる言葉はこれしかないと。このフレーズを軸に歌詞作りを進めました
 
 「リメンバー」の曲の完成は2011年2月。翌3月、福島第一原発事故が起きました。「なぜ今、広島・長崎なの」と思われないか。そんな心配から、発表の無期延期を決めました
 
 でも、時は流れ、人間の手に負えない核の姿があらわになりました。広島・長崎を1次とすれば、福島は2度目の被曝です。核そのものの存在に物言うべき時ではないか、と作品を世に出すことにしたのです。
イメージ 11 「原子力帝国」の著者ロベルト・ユンク(1994年、81歳で没、写真)は「核エネルギーを持ってはいけない。政治権力者にウソをつかせるから」と述べています。若い人たちに伝えたい。あなた方の未来はあなた方のもの。それを核で危険にさらすのでしょうか。
 核廃絶を願い、広島と長崎を忘れないと誓う歌「リメンバー」の詞を書きながら自らに問いかけ続けた。「本当に核廃絶を願っているのか」と。この詞を書くことによって私自身が成長し、覚悟を定める。そういうことを重ね、自分を追い込むことで、核廃絶に向けての一編の詞が生まれた。
 
 戦争は反対というよりも、上品な「平和を祈る」「平和を願う」という言葉が使われる。しかし平和を願うという言葉は「積極的平和主義という言葉に置き換えられるほどあいまいなもの。安倍晋三首相は積極的平和主義と言うが、武器を持って平和を求める、こんな矛盾はない。平和を願うということは戦争をしないということだ。あちこちで起きている戦争の悲惨さをしっかりと見て、少しでも何かをなそうと思い続けることが、平和を願い、戦争を嫌うことだと思う。
 
イメージ 10 以前から尊敬している作曲家がいる。ミュージカル「ウエストサイド物語」を作曲した米国のレナード・バーンスタイン。(1990年、72歳で没、写真)ケネディ大統領と仲が良く、ホワイトハウスの晩餐会でも人気者だった。ところが、米国とソ連の冷戦が高まり、ケネディが核実験再開を宣言すると、反対のデモの先頭に立って歩いた。ケネディと絶縁してまでデモに加わった勇気に打たれる。
 
 バーンスタインにとって音楽は愛の表現であり、平和を願う心。晩年、大学の講演のたびに語っていた。私たちにできるのは平和主義者になって戦争に反対し、核廃絶に賛成すること。でも、私たちはあくまでも応援で、本当の運動をするのは将来や未来がかかっている若者たちだ、と学生に言い続けて亡くなった。
 
 原爆を日本に落とした米国でも、原爆は反人道的だという声が高まっている。だからたまには悔しい思いをするかもしれないけれど、私たちの平和運動は前進しているという確信を持ち、ゆるぎない気持ちで前に進みたい。
 
平和な未来、広げるために 声楽家・佐藤しのぶさん
イメージ 8 ずっと平和の歌に携わりたいと思っていました。それが「リメンバー」です。平和への思いが強くなったきっかけは、小学5年の時に家族で行った広島平和記念資料館。亡くなった子を抱く母の写真がありました。その母の目は絶望に染まっていました。
 
 18年前には、ベラルーシに行きました。原発事故が起きた旧ソ連のチェルノブイリの北側にある国です。被曝した子どもたちの療養所で歌った後、所長さんが言いました。「生の演奏は人間の精神に強く訴えかける。子どもたちに生きる希望と力を与えるのです」
 
 歌を通して果たすべき使命があるのかも――。そんな気持ちが高まった瞬間でした。でも日本でも原発事故が起きてしまいました。核はひとたび過ちが起きれば、きれいな水や土、命を根こそぎ奪う。人間には到底扱いきれないものです。
 
 長崎のシンポでは、戦争のない平和な未来を願って歌います。そしていつか、リメンバーの歌詞が世界中の言語に翻訳され、たくさんの人が歌ってくれるようになってほしい。

http://www.asahi.com/articles/ASG826JJWG82PLZU00B.html


吉永小百合「原爆詩」
 

イメージ 9 1973(当時28歳)で15歳も年上の男性と結婚し全国の「サユリスト」を絶望の淵に落ち込ませた吉永小百合さん(現在69歳、写真)は、1964年、1968年、1969年では年間売上実績で女性部門1位に輝き、あまりの売れ行きのためブロマイドが店頭から姿を消すなど、爆発的な人気を誇っていた。タモリ野坂昭如など、彼女と共に青春時代を歩んだ「サユリスト」は多い。
 
 その吉永小百合さんは、1986年からボランティアで原爆詩の朗読などの平和活動を始め、現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとして力点を置いている。彼女が朝日新聞のインタビューに答えた。
 
 唯一の戦争被爆国・日本はいま、核兵器廃絶を唱える一方で米国の「核の傘」に頼るジレンマを抱える。
 
 「どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけひどい広島、長崎の原爆被害があったんだから、それをみんなしっかり勉強して、どんな状況でも核兵器はノーと言ってほしい」
 
 2011年3月の東京電力福島第一原発事故で、日本は「核と人類は共存できるか」という課題とも向き合う。
 
 「本当の核の威力というものが私にはまだ分かっていない」としつつ、こう語った。「でも、原子力の発電というのは、特に日本ではやめなくてはいけない。これだけ地震の多い国で、まったく安全ではない造り方、管理の仕方をしているわけですから。どうやって廃炉にしていくかを考えないと」
 
 原発の再稼働や輸出の動きがあることには「『さよなら原発』と私は声を出していきたい。みんなの命を守るために、今、せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」。そして「まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方がたくさんいる。そういう中で、外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」と述べた。
 
 被爆・戦後69年となる今年、日本では戦争放棄をうたう憲法9条の解釈が変えられ、自衛隊が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権の行使容認が閣議決定された。
 
 吉永さんは「今の流れはとても怖い。大変なことになりそうな気がしているんです」と懸念を示しながら続けた。「政治が悪いから、と言っている段階ではない気がします。一人一人の権利を大事にし、しっかり考え、自分はどう思うかを語らなければいけない」
 
 核のない世界をめざし、吉永さんは原爆詩の朗読CD「第二楽章」の広島版と長崎版を作ってきた。「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」と述べ、「次は福島の第二楽章を作りたい」と語った。
 

 原爆記念日に関する記事は、拙ブログ、広島原爆記念日原爆記念日【その1】、 原爆記念日【その2】で紹介したことがあります。
 
吉田拓郎/いつも見てきたヒロシマ(1980年)
 

<歌詞> 八月の光がオレを照らし コンクリートジャングル 焼けつく暑さが オレの心をいらつかせる 癒せない 満たせない 慰めもない 深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて オレは何処へ行こう 君は何処へ行く

 時は押し流す 幾千の悲しみを 時は苦しめる 幾千の思い出を 焼けつきた都市から確かな愛が聞こえる 子供らにオレ達が与えるものはあるか

 安らかに笑う家はいつまであるか いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ

 八月の神がオレを見つめ コンクリートジャングル 逆らう日々が オレの心を苛立たせる 笑えない 落ち着けない 安らぎもない 歌う敵と 歌う真実 見えない心を抱いて

 オレは何処へ行こう 君は何処へ行く 時は忘れ去る 幾千のごまかしを 時は汚してる 幾千のやさしさを 焼けつきた都市から確かな愛が聞こえる

 子供らにオレ達が与えるものはあるか 安らかに笑う家はいつまであるか いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ




Viewing all articles
Browse latest Browse all 1001

Trending Articles