「長い目で見れば、原子爆弾の使用が、多くの生命を救ったと素直に信じている。原爆投下によって救われた命のほとんどは日本人だったはずだ。だが、あの戦争は、何も解決しなかった。核兵器は何も解決しなかった。個人的には、核爆弾なんてこの世になければ良かったと思っている。すべての核爆弾がこの世界から消えてしまえばいいのだ。でも、もしも、誰かが核爆弾を持つのであれば、わたしはその敵よりも、ひとつだけ多く核爆弾を持ちたいと思う」
これは、そのバンカーク氏も出演している、2005年公開のBBC WORLDのドキュメンタリー番組「HIROSHIMA」。このYouTube閲覧数は、世界中で360万人を超えているそうだ。
世界がこんなもんだということは、こんなにちっぽけなものだということは、ラジオ、新聞、通信社が原爆について報じる大合唱のおかげで、昨日からもう世の中の誰もが知っているだろう。数々の熱にうかされたような記事のおかげで、どんな中都市でさえもサッカーボールほどの大きさの爆弾によって、完璧に破壊される可能性があるということがわかった。 日本は被爆体験と核の傘を求める気持ちに引き裂かれている。しかし、もっと核軍縮を先導すべきだ。米国の方針転換を強く支持すること。他国に「核をなくせ」と求めるのに「核の傘で守って」と思うなら核不拡散を進めることはできない。行動に移すときだ。
アメリカやイギリス、フランスの新聞が、原爆について過去から未来まで、開発者のことや費用のこと、平和的使命、破壊効果、政治的影響などについて、素晴らしい論文を掲載しては拡散させていく。しかし我々は、次の一言で要約しよう。“機械文明は、既に『野蛮』というものの最終段階に到達した”と。(中略)
もし、日本が広島の破壊によって圧力に屈して降伏するのであれば、それは喜ばしいことには違いない。しかし我々は、科学技術力をもった大国が小国をねじ伏せるような国際関係ではなく、対等で公平な国際関係を目指すことが重要であり、それ以外の結論を求めるべきではない。 アメリカ大使の慰霊祭出席(写真右は今年のキャロライン・ケネディ大使の長崎平和祈念式典参加の模様)もされるようになった現在、海外でも原爆投下の賛否の議論が盛んになっている。
原爆使用正当化の定説となった、「原爆投下によって、戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」という「原爆神話」は、元陸軍長官のヘンリー・スティムソン(1950年、83歳で没、写真左)が原爆投下に対する批判を抑えるために生みだしたものである。
しかし、スティムソンの見解はアメリカ・スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン(78歳、写真)によって、厳しく批判されている。バーンスタインはまた、原爆投下の目的が「一般市民への殺戮」かつ、「日本への懲罰」であることを明らかにしている。
アメリカの哲学者のジョン・ロールズ(2002年、81歳で没、写真)は、1995年雑誌Dissentに掲載した論文「Reflections on Hiroshima: 50 Years after Hiroshima(原爆投下はなぜ不正なのか?: ヒロシマから50年)」において、戦争における法(武力紛争法)に関する六つの原理を提示し、原爆投下を「すさまじい道徳的悪行」と批判した。
1997年に歴史家で米原子力制御委員会主席J・サミュエル・ウォーカー(写真)は『原爆投下とトルーマン』を発表、「この数年公開された外交文書と当時の米政府高官の日記の詳細な分析により、なぜアメリカが原爆を使用したかが増々明確になってきた。