津軽三味線は当初男の芸人が家々の門に立って民謡を唄い、わずかな施しを貰って生計を立てるための伴奏にすぎなかった。
しかし一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた第一人者と言えば、何といっても初代高橋竹山(1998年、88歳で没、写真)である。
そのことは作詞家・星野哲郎(2010年、85歳で没、写真左)が手がけ、北島三郎が歌った「風雪ながれ旅」(1980年)で明らかである。
そして、もう30年以上も前のことになるが、松山に住んでいたころ、彼の公演を見に行ったことも思い出される。
民謡歌手の、岸千恵子さん(2011年、69歳で没、写真)
長山洋子(現在46歳、写真)は多彩な顔を持つマルチ・タレントだ。
中でも、今年でメジャーデビュー15周年を迎えた北海道登別市出身の津軽三味線の兄弟奏者・吉田兄弟(写真)(右が兄・吉田良一郎:37歳、左が弟・吉田健一:34歳)。
TENBI(福居典美)(写真)。東京生まれ。父親の影響により民謡・和楽器という音楽の環境に育つ。
1960年代になって民謡ブームが一世を風靡、それまで単に「津軽もの」などと呼ばれていたこの三味線音楽を、三橋美智也らが「津軽三味線」と称して、以後定着をみる。
彼は幼少の頃失明して15歳より門付け芸の坊様芸人に入門。以来、壮絶な人生を送っている。
そのときもう既に二代目高橋竹山(写真右)も演奏していた。
高橋竹山/津軽三味線組曲
坂本冬実/風雪ながれ旅(原曲は1980年、歌:北島三郎)
今回は、津軽三味線を使った歌と音楽を聴いてみよう。
山本謙司&岸千恵子/津軽あいや節
ステージを所狭しと動き回り歌う「ゆさぶり民謡」と呼ばれる独自のスタイルで知られ、「千恵っ子よされ」などがヒット。
1988年には「津軽じょんから節」でNHK「紅白歌合戦」にも出場した。
説によると、この「ゆさぶり民謡」のきっかけは、二日酔いで歌ったときだという。
松村和子/帰って来いよ(1980年)
細川たかし/望郷じょんから(1985年)
長山洋子/じょんから女節(2003年)
本名をスミス洋子といい、ド・アラフォーの2009年、人材派遣会社の米国人社長と結婚、2010年、42歳で第一子(女児)を出産した。
出足はポップス歌手であり、三味線の演奏も玄人の民謡歌手、また女優としても活躍していた。演奏の方も、津軽三味線澤田流の名取で、「澤田勝姫」(さわだかつき)の名前を持つ。
津軽三味線は、吉田兄弟、木乃下真市(木下伸市)、上妻宏光ら、若手奏者の活躍で独奏楽器としての側面が強調されている。
数々の賞を受賞し、日本国内にとどまらず世界中で幅広く活躍している。
吉田兄弟/ライジング(rising)(2005年)
DAISHIDANCE -theジブリset2-となりのトトロ:風の通り道(2013年)
こんな若手演奏者も。
TENBI/CALLING(2006年)
22 歳の時に福居流師範「福居典美」を襲名し、活動を全国・海外へと広げる。
2000 年第三回(財)日本民謡協会主催津軽三味線全国大会で弟(福居一大ロ)と共に優勝・準優勝。2001 年第四回(財)日本民謡協会主催津軽三味線全国大会では再び準優勝をし、2 年連続準優勝に輝く。2003 年末のロイヤルアルバートホール出演はじめ、他ジャンルの共演や海外アーティストとの共演も行っている。(http://wagakki-yamamoto.com/TENBI2.pdf#search='TENBI')