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日本の歌姫【その3】松田聖子

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「自分の選んだ日本の歌姫」前々作の歌姫1位:ちあきなおみ、2位:倍賞千恵子、前作、3位:中島みゆきと、4位:松任谷由実(ユーミン)そして今回は最終回。5位:松田聖子を。

5位:松田聖子

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 時の経つのは速い。松田聖子(写真)は1980年のデビューからもう40年近くなる。いつの間にか56歳になった。

 「永遠のアイドル」と呼ばれ、これだけ長い間活躍をしているアイドル歌手は他に例を見ない。
 
 この間、1985年、1998年に結婚、1986年に出産、1997年と2000年に二度に亘る離婚、数度の不倫スキャンダルを経験し、マスコミの餌食にされながらそれをものともせず、したたかに生きる姿にも驚嘆する。

 一時期は「ブリッこ」とか「ウソ泣き」とかバッシングに遭ったこともあるが、今や女性から見てもあこがれの存在である。

初期のヒット曲

 彼女がデビューしたころもよく覚えている。

 転勤先の愛媛県・松山市で営業マンだったころ、同県・今治市の得意先の電器店のレコード売り場で初めて聴いた「青い珊瑚礁」(1980年)。松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」に続く第2作だったが、この曲は必ず大ヒットすると思った。

松田聖子/青い珊瑚礁(1980年)


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 偶然だったのかかどうか知らないが、その年の8月に公開された、絶世の美少女ブルック・シールズ(現在53歳)が主演で同名のアメリカの青春映画「青い珊瑚礁」(写真)も話題になり、その年は「青い珊瑚礁」ブームに沸いた。


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 「裸足の季節」「青い珊瑚礁」とも、作詞は、三浦徳子(みうらよしこ、写真左)、作曲は今年の9月28日に68歳で亡くなった小田裕一郎(写真右)の作品で、第3作の「風は秋色」(1980年)まではこのコンビの作品だった。

 第4作「チェリーブロッサム」と第5作「夏の扉」(1981年)は、作詞:三浦徳子、作曲:財津和夫の作品である。

 作詞家の三浦徳子は、特にデビューから全国的人気に至るまでの初期の松田聖子に大きく貢献した。

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 シングル第6作目「白いパラソル」以降、三浦に代わり、作詞家の松本隆(現在69歳、写真)が松田聖子の24曲連続オリコン1位中17曲を手掛けるなど、阿久悠に替わり歌謡界で一時代を築き上げたが、彼の綴る作詞が女性的でロマンティックなのに対し三浦の綴った作詞は活動的で、デビュー時の松田の等身大なイメージが多く、三浦の作詞を評価するファンも多いという。
 
 彼女のデビューにはいくつかの幸運が重なっていた。
 
イメージ 6 まず、彼女のレコード・レビューの直前の1980年3月、当時のトップ・アイドル山口百恵(現在59歳、写真)が引退宣言をした。

 その報を受けたサンミュージックの相沢社長が、『第二の百恵は松田聖子でいく』と宣言した。そして、その聖子を発掘したCBSソニーも同じレーベルに所属する百恵の後釜を探していた。
タイアップ曲

 決定的な幸運は、デビュー曲が、資生堂「エクボ洗顔フォームのキャンペーンソングに決まったことだった。

 松田は元々女優デビューが先であり、資生堂の「エクボ洗顔フォーム」のCMにモデルとして出演するためオーディションを受けたが、自身はえくぼができないために不合格となった。

 代わりにCMソングを歌う事が決まり、2月末にレコーディングされたのが『裸足の季節』である。

松田聖子/裸足の季節(1980年)


 この曲は元々別のタイトルで他の歌手のために作られたが、先に売り出そうとしていた所属歌手の中山圭以子(現在54歳)のCM中止などによる売り上げ不振に頭を悩ませていたところで松田のタイアップが急遽決まり、事務所の方針転換がなされたという話がある。

 これはデビュー曲にも関わらず歌詞の内容が本人と一致しないという点からも伺える。ジャケットの衣装は自ら新宿で探したもので、撮影も10分ほどで行われた。

 レコーディングは資生堂や代理店の関係者に囲まれる中で行われた。途中、松田は感激のあまり泣き出したという。 

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 ところが、松田聖子にはエクボは無く、山田由紀子(現在57歳、写真)という別のタレントが出演した。これが予想外の効果をもたらした。

 出演者と歌い手が違うことが謎を呼び、それが口コミで話題になる。

 1980年4月1日、資生堂「エクボ」と同時に発売された「裸足の季節」は53万枚のヒットとなった。
 
 さらに幸運が続く。デビュー2曲目の「青い珊瑚礁」がグリコのCMソングに使われ、97万枚を記録する。
 
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 CMとのタイアップはまだ続く。「裸足の季節」に続いて、資生堂「ミルキークリーム」のイメージソングとして発売された「風は秋色」が初のオリコン1位となりそれ以降も快進撃が続く。

 第14作「ガラスの林檎」(1983年)のB面だった「SWEET MORIES」がサントリー「CANビール」のCMに使われたことが話題になり、両A面としてジャケットを指し変えられ、キャラクターだったペンギンが登場するアニメ映画「ペンギンズ・メモリー幸福物語」(1985年)(画像)まで制作された。

サントリー「CANビール」CM(SWEET MEMORIES)


 「SWEET MEMORIES」の登場人物が全てペンギン(パピプペンギンズ)のキャラクターになっており、ジャズバーで女性歌手が本曲を歌い、それを聴いた客が感動して涙するというものであった。放送当初は歌手名のクレジットが表記されていなかったため、歌っている歌手は誰なのかと話題になった。しかし当初はレコードを買っていたファン以外は歌手が聖子だということがわからず、レコード会社2社から「歌っている新人歌手を自社で使いたい」と引き合いの電話が来たという。聖子の母親すらも、聖子本人から知らされるまで気づかなかった。しばらく後に“唄/松田聖子”のクレジットが表示されるようになり、本作レコードの売り上げ再浮上へと繋がった。この経緯から、聖子の歌唱力を世間に認知させる契機になった、と評される。
  
 松田聖子のレコード売り上げは山口百恵の8年間の記録を3年で上回ったという。



 しかし、資生堂のタイアップでデビューし、その後資生堂のイメージソングを歌い続けていた松田聖子が、1984年の春のカネボウのバイオ口紅「ピュア・ピュア」のCMに出演し、そのイメージソング「Rock′n Rouge」を歌い、ライバル会社に鞍替えしたときは衝撃的で、話題を呼んだ。

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 この「Rock'n Rouge」は前作でお伝えしたように、作詞家の松本隆と組んで、ユーミン呉田軽穂(くれた かるほ)というペンネームを使って作曲した曲。

 他に第8作「赤いスイートピー」、第9作「渚のバルコニー」(1982年)、第10作「小麦色のマーメイド」、第15作「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」(1983年)などがある。 

松田聖子/Rock'n Rouge(1984年)


  当時の人気番組「夜のヒットスタジオ」資生堂森永製菓がスポンサーだったので、カネボウグリコのイメージソングを歌っていた松田聖子は、ヒット曲が歌えないときもあった。(「タイアップの歌謡史」速水健朗著参照)

 現在は富士フィルムスキンケア化粧品「ASTALIFT」のCMに出演。

 2008年から2011年現在まで、あまり共演経験の無い中島みゆき松田聖子の共演ということが話題を呼んだ。以降、小泉今日子(~2013年)、松たか子(~2016年)、高畑充希(2016年~)のコンビで出演している。


アイドルからの脱皮

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 松田聖子のシングル第7作「風立ちぬ」は、CBSソニーの若松宗雄ディレクターが大好きだった、堀辰雄(1953年、48歳で没、写真)の同名の小説『風立ちぬ』を題材とした曲。

 個人的には松田聖子で一番好きな曲だ。

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 当初、繊細な陰のある作品を目指したが、意図に反して大瀧詠一(2013年、65歳で没、写真)によって完成した曲は「ものすごいゴージャスな大作」になってしまったという。歌詞を見ても、どこが堀辰雄の小説と絡んでいるのかと思うほどだ。

<歌詞>
 風立ちぬ 今は 秋 今日から 私は 心の旅人   涙顔 見せたくなくて すみれ・ひまわり・ フリージア  高原の テラスで手紙 風のインクで したためています  SAYONORA SAYONARA SAYONARA 

   振り向けば 色づく草原 一人で生きてゆけそうね  首に巻く 赤いバンダナ もう泣くなよと あなたがくれた  SAYONORA SAYONARA SAYONARA 

 風立ちぬ 今は 秋 帰りたい 帰れない あなたの胸に  風立ちぬ 今は 秋 今日から私は 心の旅人 性格は 明るいはずよ すみれ・ひまわり・フリージア  心配はしないでほしい 別れはひとつの旅立ち だから

 しかし、あの松田聖子が当初「難しくて歌えない」ともらしたこの曲。彼女は「いい曲だが、自分には向いていない」と言って、なかなかボーカルダビングが行われなかったそうだ。幾度かのトライの後「歌えました」と嬉しそうに大瀧詠一に報告したという。

 それまでアイドルらしく明るいポップな曲調や詞の歌が多かった彼女が失恋のバラードに挑戦。「ブリッ子」などと言われて男性中心だったファン層を、この曲で女性まで広げた。

イメージ 11イメージ 12 そして、この曲のヒットの後、「聖子ちゃんカット」(写真左)も止め、ショートカットにしてアイドルから脱皮していく。(写真右)

 その後にデビューしたアイドル達(花の82年デビュー組といわれる小泉今日子松本伊代早見優など)の多くがこの聖子ちゃんカット風のスタイルでデビューしていたが、以来、追随する後続アイドルたちもまたこぞってショートカットに変え、今度はショートカットブームが訪れた。

松田聖子/風立ちぬ(1981年)

 

数々の大記録

●シングル総売上枚数は、1543.9万枚(歴代14位・女性アーティスト単独5位) 

 第34作「大切なあなた」(1993年)で沢田研二の総売上最多枚数を抜き総売上枚数単独1位になり、1993年5月〜1994年8月まで総売上最多枚数記録を保持していた。CHAGE and ASKAの37作目のシングル「HEART/NATURAL/On Your Mark」で総売り上げ最多枚数記録を抜かれた。

 第19作「ハートのイアリング」で、史上8人目(ソロでは7人目)、女性アーティストでは3人目のシングル総売上枚数1,000万枚を達成。デビューからの4年8か月での達成当時は、ピンク・レディーに次いでの当時2番目の早さだった。

●シングル首位獲得数:25作(歴代6位・女性アーティスト単独2位)
 
 第12作「秘密の花園」(1983年)でピンク・レディーの1位獲得数9枚を抜いて単独首位獲得数1位を記録する。首位獲得数25作まで記録を伸ばすが、2000年10月にB'zに抜かれるまで1983年2月〜2000年10月の約17年8か月間首位獲得数1位を保持していた。

 女性アーティト・ソロ部門では2006年3月に浜崎あゆみに抜かれるまで(1983年2月〜2006年3月)の23年1か月間首位獲得数1位を保持していた。

●シングル首位連続獲得数:24作(歴代7位・女性アーティスト単独2位) 

 第3作「風は秋色/Eighteen」(1980年)〜第26作「旅立ちはフリージア」(1988年)まで首位1位獲得数を保持した。女性アーティト・ソロ部門では2010年10月に浜崎あゆみに抜かれるまで、1983年2月〜2010年10月の27年8か月間首位連続獲得数1位を保持していた。

●アルバムでは、総売上枚数1356.9万枚。首位獲得数:19作(歴代4位・女性アーティスト単独3位)。

●2004年、約3年ぶりのオリジナルアルバム『Sunshine』が、7月21日付のオリコンアルバムチャート(週間)で初登場6位を獲得。ベスト10位以内獲得数:51作で、歴代2位、女性アーティストでは松任谷由実に並ぶ歴代1位タイに輝いた。

 しかし、ミリオンセラーは、第40作「あなたに逢いたくて~Missing You~」(1996年)が110万枚のセールスを記録しているだけだ。

松田聖子/あなたに逢いたくて~Missing You~(1996年)


松田聖子のテーマ曲
 
 松田聖子の歌にはいくつか特色があることに気付いた。一番多いのが、「色」の曲(調べただけで24曲)、二番目は「季節」の曲、(同14曲)、そして「からだ」の曲である。

色の曲
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 シングル第2作・青い珊瑚礁(1980年)、シングル第6作・白いパラソル(1981年)、シングル第8作・赤いスイートピー(1982年)、シングル第10作・小麦色のマーメイド(1982年)、ングル第18作・ピンクのモーツァルト(1984年)など。

松田聖子/ 赤いスイートピー


季節の曲

 シングル第3作・風は秋色(1980年)、シングル第5作・夏の扉(1981年)、九月の夕暮れ(1980年)、冬の妖精(1981年)、冬のマリーナ~潮風に乗せて~(1980年)、少しずつ春 (1981年)、春色の恋(2008年)など。
  
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からだの曲 松田聖子さんの画像を拝借して曲を紹介したい。ファンの方ごめんなさい。 

・ハート:ハートをRock(1983年)、
シングル第19作・ハートのイアリング(1984年)
瞳:シングル第15作・瞳はダイヤモンド(1983年)、(サントリー「シルキーブラック」CM)
 ・唇:シングル第16作・ロックン・ルージュ(1984年)(カネボウ口紅「ピュアピュア」CM)
えくぼ:シングル第1作・裸足の季節(1980年)/資生堂「エクボ」CM(モデル/山田由紀子)

瞳はダイアモンド シルキーブラックCM


松田聖子のエピソード

ママドル

 近年ではかつてアイドルであった子持ちの女性タレントを示す言葉として頻繁に使用されている「ママドル」という言葉だが、最初に使われ始めたのは松田聖子が出産して以降のことであった。

 1986年10月1日、長女・神田沙也加(現在32歳)を東京飯田橋の東京逓信病院で出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「ママドル」と呼ばれる。

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ブティック「フローレス・セイコ」(Flawless Seiko)

 1988年2月14日、東京都目黒区の自由が丘に現在も営業中のブティック「フローレス・セイコ」(Flawless Seiko)をオープン。「フローレス (Flawless)」とは "(宝石が) 傷のない、完璧な" という意味で、ダイアモンドの最高級を表す。(※2014年11月1日に「felicia club by Seiko Matsuda」に店名を改名しリニューアルオープン)

海外進出

 1990年5月、シングル「THE RIGHT COMBINATION」(USA)で、「New Kids On The Block」のDonnie Wahlbergとデュエット。6月、アルバム『Seiko』で全米デビュー、アメリカでは『USマガジン』や『インターセクト』で特集される。またイギリスのTV-amの朝のワイドショー番組『Good Morning Britain』(1990年8月)、BBCテレビにも出演し、世界中のメディアに登場。

 2005年6月5日のさいたまスーパーアリーナを初日に、歌手活動25周年にあたる全国ツァー『fairy』を開始。台湾のファンからの強い要請に応え、8月20日、最終公演を台湾の新荘市にある新荘体育館で行う(デビュー初の海外公演)。観客5000人から熱烈に歓迎され、中国語でも歌った。
  
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ディナーショーの女王
 
 最近では「ディナーショーの女王」として知られ、1992年から始まったディナーショーのチケットは全歌手の中で最も値段が高い部類に入り、東京のグランドプリンスホテル新高輪やホテルニューオータニ大阪の48,000円のチケットは即日完売で、ヒルトン名古屋では4人セットで220,000円という価格のものも存在するほどだそうだ。今年のクリスマス・ディナーショーは名古屋と大阪で行われるようだ。

(Wikipedia参照) 

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