●本を読む人が好き
必ずしも本を読む人が人間的に優れているとは思わない。
ヘミングウェイの名作「老人と海」(1952年、写真)に描かれたキューバの老漁師のことや、以前の人気テレビ番組「世界ウルルン滞在記」でパプアニューギニアの長老が話していた言葉には唸らせるものがあったことを思えば、読書なんか人生には関係ないとも思う。
しかし、書物が目の前にある恵まれた世界に住んでいる限り、これを最大限に活用しない手はないだろう。
読書により広い世界を知る。知識の不足やいろんな考え方があることを知り、自分の未熟さを実感する。いろんな効用はあるだろうが、自分にとって本を読む意味はそんなところにあると思っている。このブログでよく使っている言葉だが「気づき」を促すことにある。
これを「偏見」と言われてしまえばそれまでだが、本を読んでいる人が好きだ。漫画の良さは認めるが、これは自分にとって「本」の範疇には属さない。
これも偏見と言われるかもしれないが、本を読んでいる人と読まない人は「顔」に表れると思っている。安倍首相や、漫画が好きな麻生財務相が本を読んでいるという話は寡聞にして聞かない。
正に日本は「反知性主義」が猛威を振るっていると痛感している。教養や知性のかけらもない連中が日本を支配している。
●本を読む人と読まない人の違い
■藤原和博著「本を読む人だけが手にするもの」
リクルートで異能のビジネスマンとして活躍したのち、東京都の義務教育では初の民間人校長として杉並区立和田中学校へ赴任し、「よのなか科」の設置をはじめ自由自在の構想力で公教育の現場に旋風を巻き起こしたのが藤原和博さん(62歳、写真)。和田中を離れてからも、全国各地の教育改革プロジェクトに携わってきた。
その藤原さんが、読書をテーマに書き下ろしたのが「本を読む人だけが手にするもの」(2015年)である。(https://www.amazon.co.jp/本を読む人だけが手にするもの-藤原-和博/dp/4534053177)
「僕はもともと読書家ではなく、33歳まではろくに本を読んでいませんでした。年間100冊を読むと決めてからは、電車で吊革につかまりながらいろんなジャンルの本を読み進めましたが、読了したのは約3000冊。特別な読書家や教養人ではなく、この程度の経験を持つ人間だからこそ発信できることがあると思うんです」。そういう藤原さんが本書で取り組んだテーマは「人生における読書の効能」。
「本を読まない人の発想は感情に基づく『思いつき』にすぎませんが、本を読む人には社会に対する独自の『考え』があります。この違いは大きいですよ」
21世紀の日本社会はとうに「正解のない時代」に突入している。そのなかで勝ち残るには、本を読むことで得られる独自の「考え」、すなわち価値観が必要になるということだ。なぜ読書が大事なのか。素朴な疑問に納得のいく答えを出してくれる本である。累計100万部突破しているという。
内容は以下の通り。
・序章 成熟社会では本を読まない人は生き残れない…現在は、「本を読む習慣がある人」と「そうでない人」に二分される階層社会になりつつあると警告。
・第1章 本を読むと、何が得か?…「読書と収入の密接な関係」「読書によって身につく、人生で大切な2つの力」など、ズバリ、読書のメリットを答えていく。
・第2章 読書とは「他人の脳のかけら」を自分の脳につなげること…「1冊の本にはどれほどの価値があるのか」「本を読むことは、2つの『みかた』を増やすこと」。「脳をつなげて未来を予測する」など、本を読むことの本質に迫っていく。
・第3章 読書は私の人生にこんな風に役立った…「人生を変える本との出合い方」「自分の意見を述べるための読書」「読書で人生の鳥瞰図を獲得する」など、人生と読書との関連性がリアルに綴られている。
・ 第4章 正解のない時代を切り拓く読書…21世紀の成熟社会に不可欠な「情報編集力」とそれを構成する5つのリテラシー「コミュニケーションする力」「ロジックする力」「シュミレーションする力」「ロールプレイングする力」「プレゼンテーションする力」をいかに読書で磨いていくか解説していく。
・第5章 本嫌いの人でも読書習慣が身につく方法…読書嫌いの子も少なくなかった中学校の校長時代の経験なども踏まえ、いかに読書を習慣化させるかを現実的な側面からポイントを押さえていく。
・巻末――「ビジネスパーソンが読むべき11冊」「小中高生を持つ親に読んでほしい本」
「親が子どもに読ませたい10冊」という著者のおすすめ本も紹介する。
「親が子どもに読ませたい10冊」という著者のおすすめ本も紹介する。
■本を読む必要があるかの議論
その翌月の3月8日付の朝日新聞に、21才の大学生からのこんな投書が掲載された。
「大学生の読書時間「0分」が5割に」、という記事に、懸念や疑問の声が上がっている。もちろん、読書をする理由として、教養をつけ、新しい価値観に触れるためというのはあり得るだろう。しかし、本を読まないのは良くないと言えるのか。
私は、高校生の時まで読書は全くしなかった。それで特に困ったことはない。強いて言うなら文字を追うスピードが遅く、大学受験で苦労したぐらいだ。
大学では教育学部ということもあり、教育や社会一般に関する書籍を広く読むようになった。だが、読書が生きる上で糧になると感じたことはない。役に立つかもしれないが、読まなくても問題ないのではないか。読書よりもアルバイトや大学の勉強の方が必要と感じられる。
読書は 読書は楽器やスポーツと同じように趣味の範囲であり、読んでも読まなくても構わないのではないか。なぜ問題視されるのか。もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるなら教えて頂きたい。
これに対するさまざまな意見が寄せられた。4月5日と4月12日の朝日新聞朝刊の投書欄。毎週掲載の、投書に対する反響の投書を載せる「どう思いますか」のコーナー。二週連続して同じテーマで、“読書はしないといけないの?”だった。
しかし、どうやら説得力のある答えは無かったという。
■読書の楽しみが見つかる2日間
「読書の楽しみが見つかる2日間」と銘打ったブックフェア「築地本マルシェ」(朝日新聞社など主催)が2月、東京都中央区であり、2日間で約4千人が来場した。
元中国大使の丹羽宇一郎さんの基調講演をはじめ、読書の楽しみを伝える講演や対談など13のプログラムがあった。(写真)
・ノート作りが起点
丹羽宇一郎さんは「なぜ本を読むのか」と題して基調講演。丹羽さんは本を読んで心に刻むべき言葉があったら、ノートに書き出している。「このノート作りを始めてから、私の本格的な読書が始まったと思っています」と話す。「読書ノートを見返すと、自分はまだまだ知らないことがたくさんあると思うんです。自分は10年前より賢くなった、と思い込んでいるけれど、そうじゃないことがわかる。自分が何も知らないことを自覚する。これが大事です」
作家の川上未映子さんは、「読書はわれわれの何を作るか」と題して講演。「読書はしないといけないの?」という昨春の朝日新聞「声」欄への投書に触れながら、本を読む理由について、「社会や世界、他人への理解の解像度があがるから。人はことばを使って生きています。社会もことばで機能しているんです」と話す。そして「ことばの集積で作られたフィクションは社会の常識を作る力を持っています。本を読むことは、生きることと非常に近しい――だから私はこれからも物語を書いていきたい」と結んだ。
・本を通じ人を知る
EXILE/EXILE THE SECONDの橘ケンチさんは、自ら開設した本のおすすめサイト「たちばな書店」について話した。「本をキーワードにつながれる場所があるといいな」と思ったのがサイトをつくるきっかけだったという。「本にまつわるカルチャーも紹介していきたいですね。たとえば、読書にぴったりの椅子やテーブル、照明、メガネとか」「『本を通じて、その人を知る』ことを『たちばな書店』のテーマの一つにしたいと思っています」
歌手の木村カエラさんは、絵本ナビ代表の金柿秀幸さんと、「子どもたちにすてきな絵本の出会いを」と題して、おすすめの絵本を語り合った。木村さんが挙げた絵本は『どろんこハリー』(ジーン・ジオン著、マーガレット・ブロイ・グレアム絵、福音館書店)、『プータンいまなんじ』(わだよしおみ著、ならさかともこ絵、JULA出版局)、『ぼくを探しに』(シェル・シルヴァスタイン著、講談社)など。会場からの「子育て真っ最中のパパ、ママにエールを」という声に、木村さんは「絵本を介して、お子さんにたくさん思い出を作ってあげることで、愛のある子どもに育つんじゃないかな」と話した。
会場では書評ゲーム「ビブリオバトル」も実施。ビブリオバトル普及委員会代表の岡野裕行さんが、歌人の穂村弘さんを相手に、ビブリオバトルの仕組みや魅力を説明。その後、20代から60代までの28人が4グループに分かれ、「本」にまつわる本を互いに5分間プレゼンして3分間質疑応答、「チャンプ本(読みたくなった本)」をグループごとに投票で決めた。参加者の一人は「身を乗り出して本の話を聞いてくれる人がいる。それがわかって驚いたし、とてもうれしかった」と話していた。
●読書人生それぞれ
今日(4/22)の朝日歌壇に『「本棚は人生だ」なんてたぶんさう息子の私にそれぞれ偏る』という女性作の短歌が掲載されていた。
解説に「作者は本棚を見比べて、本棚の違いはまさに人生の違いだ、との思いを深くしている」とあった。
■小説はあまり読まない
自分は基本的に長編小説は読まない。若いころ読んだ本、特にトルストイとか、ドストエフスキーなどの外国もの本は登場人物を覚えるだけでも一苦労する。三国志や徳川家康などの長編歴史本も苦手だ。
短編ものの小説ですら最近はどういう訳かほとんど読まなくなった。読むのはエッセイばかりだ。
ところで、よく小説が放映化されるケースが多いが、映画の方が良かったと思う経験が一度もない。
これは逆に映画大ヒットのあとを受けて、同年にミステリー作家のアンソニー・ブルーノの手でノベライズされたもの。
1995年で少し古い話になるが、当代の人気俳優・ブラッド・ピット主演、モーガン・フリーマン共演の「セブン」という映画があったが、小説のほうがはるかに面白かった。
自分は小説の方を先に観た。
あたかも殺人の現場に居合わせたような「ゾクゾク感」は、映画では決して味わえない。
特に最後のシーンは、映画では表現が難しいと思う。
■母の読書
■母の読書
随分前に他界した母は床でよく読書していたが、「睡眠薬の代わり」だと言っていた。よく顔の上に文庫本を広げて寝ていたものだ。
そして、推理小説が好きだったが変わっていて、終わりから読んでいた。おかしくて笑ってしまうが、ハラハラするのが嫌だったようだ。「水戸黄門」のテレビを見ているようなものだ。
今一番心配なことは、これ以上視力が落ちて目が見えなくなることだ。
今一番心配なことは、これ以上視力が落ちて目が見えなくなることだ。
見えなくなること、聴こえなくなること、喋れなくなること、手足が動かなくなること、どれをとっても嬉しいことではないが、その中で「見えなくなること」が一番怖い。
本を読めるのは自分の人生にとってとても幸いだ。