●桜と芸術
前作、桜の季節がやってきた【その3】で紹介した、和歌もそうだが、古くから芸術の題材とされてきた。
■能
西行(さいぎょう、元永元年(1118年)- 文治6年(1190年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。
春になると、美しい桜が咲き、京都西山の西行の庵室には多くの人々が花見に訪れる。しかし、今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。
一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやって来る。桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。
西行は、「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける」(美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ)という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休んでいると、夢に老桜の精が現れ、「桜のとがとはなんだ」と聞く。「桜はただ咲くだけのもので、とがなどあるわけがない」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行に苦言を呈す。
だがいっぽうで老桜の精は、西行に巡り逢えたことを喜び、都の桜の名所を西行に教え、舞を舞うのだった。そうこうしているうちに夜が明ける。名残惜しむ老桜の精も消え、西行の夢も覚めて、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。
■俳句
俳句で「花」といえばサクラのことを指し、春の季語であり、秋の月、冬の雪とともに「三大季語(「雪月花)」である。「花盛り」「花吹雪」「花散る」「花筏」「花万朶」「花明かり」「花篝」の「花」は桜である。
◆芭蕉:さまざまの事思ひ出すさくらかな 「笈の小文」
命二つの中に生きたる桜哉 「甲子吟行」
木(こ)のもとに汁も膾も桜かな 「ひさご」
声よくばうたはうものをさくら散 「砂燕」
◆蕪村:花に遠く桜に近しよしの川 「蕪村句集」
木の下が蹄のかぜや散さくら「蕪村句集」
命二つの中に生きたる桜哉 「甲子吟行」
木(こ)のもとに汁も膾も桜かな 「ひさご」
声よくばうたはうものをさくら散 「砂燕」
◆蕪村:花に遠く桜に近しよしの川 「蕪村句集」
木の下が蹄のかぜや散さくら「蕪村句集」
■音楽
◆さくらさくら
一般に「日本古謡」とされる『さくらさくら』は、実は幕末頃に箏の手ほどきとして作られたものである。
『さくらさくら』は、1888年(明治21年)に発行された東京音楽学校の「箏曲集」に記載がある。もともと「咲いた桜」という歌詞がついていた。その優美なメロディから明治以降、歌として一般に広まり、現在の歌詞が付けられたものである。13小節目以降の違いで3通りのメロディがある。
歌詞は二通りあり、元のものは以下。
さくら さくらやよいの空は見わたす限りかすみか雲か匂いぞ出ずるいざや いざや見にゆかん
もう1つは、1940年(昭和16年)に改められたもので、現在音楽の教科書等にはこちらの歌詞を掲載しているところもある。 こちらを1番、前述の元の歌詞を2番と扱っているものもある。
さくら さくら野山も里も見わたす限りかすみか雲か朝日ににおうさくら さくら花ざかり
ジリオラ・チンクェッティ(現在70歳、写真)は、イタリア・ヴェローナ出身で、16歳の時にサンレモ音楽祭で夢みる想い (non ho l'eta) を歌い優勝、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964 に同じ曲で臨み、イタリアからの出場者としては初の優勝を果たし一躍有名となった。
日本には8回訪れ、昨年(2017年)の11月18日,19日には24年ぶりに来日公演を行った。70歳になるというのに、こんな美貌を誇っている。
ジリオラ・チンクェッティ/さくら さくら
◆戦時歌謡「同期の桜」
「同期の桜」は、日本の軍歌。太平洋戦争(大東亜戦争)時、好んで歌われた歌である。華々しく散る姿を、桜花に喩えた。大村能章作曲。原曲は「戦友の唄(二輪の桜)」という曲で、昭和13年(1938年)1月号の「少女倶楽部」に発表された西條八十の歌詞が元になっている。この歌が転じて「同期生」を表す言葉になった。
同期の桜(1938年)
現在もポピュラー音楽、映画、ドラマ、ゲームなど様々な作品のモチーフや題材になっている。特に春に発表されるポピュラー音楽では他に比べて桜を扱ったものが多く、これらの歌は桜ソングとして知られている。
◆桜三月散歩道
井上陽水/桜三月散歩道 (1973年)
井上陽水の「桜三月散歩道」 (1973年)は個人的には、桜ソングで一番好きな曲だ。
<SIDE A>1.あかずの踏切り 2.はじまり 3.帰れない二人 4.チエちゃん 5.氷の世界 6.白い一日 7.自己嫌悪
<SIDE B>1.心もよう 2.待ちぼうけ 3.桜三月散歩道 4.Fun 5.小春おばさん 6.