Quantcast
Channel: ♪♪中高年の中高年による中高年のための音楽♪♪
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1001

15歳

$
0
0
 突然ですが、15歳のときのことを思い出してみた。

アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 十五の君へ~」

イメージ 14
 特に大きな意味があるわけではない。ある同世代のブログ友だちから、
アンジェラ・アキ(現在40歳、写真)の「手紙~拝啓 十五の君へ~」(2008年)という曲のカラオケ歌っているという話を聞いて興味が湧いたからだ。

 「手紙~拝啓 十五の君へ~」は、第75回NHK全国音楽コンクール・中学校の部(2008年)の課題曲として書き下ろされた『手紙』(編曲:鷹羽弘晃)を自身の歌唱用にアレンジした曲(編曲は自身が担当)。

 楽曲のキャッチコピーは「あなたは、『未来の自分』に手紙を書いたことがありますか?」

 今から10年前の30歳を迎えたアンジェラの手元に、母から届いたのは、多感な15歳の頃に未来の自分自身に宛てた「手紙」だった。「僕」が悩みを未来の自分に宛てて、“手紙”を書くことによって今を生きていくということを表している。歌詞の内容から卒業ソングとしても歌われている。

イメージ 1
 2015年には、中田永一が2011年に発表した小説『くちびるに歌を』が、ガッキーこと新垣結衣(写真中央)を主演に映画化され、公開となった。

 原作小説は本曲とアンジェラ・アキ自身をモチーフに現代版『二十四の瞳』として評価された作品で、映画の主題歌も本曲となっている。

 
長崎県五島列島の中学校に臨時の音楽教師として赴任して来た柏木ユリ(新垣結衣)は嫌々ながらも合唱部の顧問を引き受け、そこで中学生たちと交流をしていく。中学生である彼らがそれぞれ抱える不安や悩みと向き合い成長するとともに、教師である柏木自身も変わっていく青春物語だ。


15歳とは

イメージ 2
 15歳は一般的には中学三年生から高校一年生にかけての期間。(図)

 自分は1949年3月30日生まれなので、1964年4月から1965年3月までを指す。

イメージ 3
 日本では義務教育期間が終了するとき。

 初めて高校進学という受験戦争の洗礼を受けた。当時、晴れて入学すると、両親からのお祝いは「腕時計」(写真)というのが相場だった。


イメージ 4
 その15年後ぐらいからか、自分がオーディオの営業マンだった頃は、それが「ステレオ」(写真)に代わり、15’s(フィフティーンズ)と呼ばれた入学需要で、毎年3月~4月が年間の売上げのピークとなり、30万円クラスのステレオが飛ぶように売れたものだ。

 
イメージ 5
 15歳は古代から中世における元服(写真)の年齢。

 Wikipediaによると、栃木県、石川県、愛媛県、宮崎県、熊本県や、その他一部の地域にある中学校は、今でも中学2年または3年になると学校行事として「立志式」「立春式」「少年式」「元服式」を行なっているという。
 大河ドラマや時代小説によると、幼いころに結婚する大名は多いが、特に女性は政略結婚のせいか、幼妻が多い。

 例えば、織田信長の妻、濃姫は14歳。豊臣秀吉の妻、高台院も14歳。側室で有名な淀殿は19歳。徳川家康の妻、築山殿は15歳だった。

 大河ドラマ「江」の主人公・崇源院は初婚は9歳(ただし子供を産んだのは徳川秀忠と再婚した22歳ごろ) 。同じく大河ドラマ「利家とまつ」の主人公、まつこと芳春院は前田利家に嫁いだのが数えで12歳、つまり11歳。翌年には子供を生んでいるため12歳で出産したことに。(【日本人女性】結婚年齢はこう変わった!参照)

 これはそれとは関係ないが、こんな童謡も。

小鳩くるみ/赤とんぼ十五で姐(ねえ)やは嫁にいき】(1921年)


イメージ 6
 「赤とんぼ」【1921年(大正10年)】は日本の三大詩人の一人、三木露風(1964年、75歳で没、写真)が、故郷である「播磨の小京都」と称される、兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれ、『樫の木』に最初に発表した。その後、童謡集『真珠島』で一部修正する。この詩に、1927年(昭和2年)、山田耕筰が曲をつけた。

 露風は5歳の時両親が離婚することになり、以降母親とは生き別れで祖父に養育されることになったが、実際は子守り奉公の姐やに面倒を見てもらい、そのときの印象を歌にしたものだ。

イメージ 7

15歳は反抗期真っ只中

 自分もこのころは反抗期の真っ只中だった。幸か不幸か不良にはならなかったが、何もかにも無性に腹が立つことがあった。

イメージ 8
 尾崎豊(1992年、自死により26歳で没、写真)のファースト・アルバム「十七歳の地図」(SEVENTEEN'S MAP)(1983年)。初版プレスは1300枚で、オリコン史上、発売からミリオンセラー達成まで最も時間がかかった(10年3ヶ月)アルバムだが、ファーストシングル「15の夜」など、彼自身は「ファースト・アルバムを超える作品が作れない」と発言しているほど、後の代表作が多数収録されている。

 鬱屈した10代の感情を歌い上げた楽曲群は若者たちに受け入れられ、現在でも再発が繰り返されている作品である。この歌は尾崎が14歳の時に、尾崎の同級生で友人の一人が髪が長いという理由で中学校の教師にバリカンで髪の毛を刈られたことに反発して、仲間と共に実際に家出した経験を基に作られ、当初は「14の夜」と作詞したかったが、それでは語呂が悪いため、「15の夜」としたという。その仲間たちとよく集まり、歌詞にもある家出の計画を立てた場所は練馬区にある向山公園である。

 プロデューサーの須藤晃は後に著書でこの歌の歌詞について、「誰も書いたことのないような、ティーンエイジャーのための、ティーンエイジャーによる、ティーンエイジャーの詞だった」と書き著している。(Wikipedia参照)


1964年はどんな年?

イメージ 10
◎ときは高度成長時代所得倍増政策で名をはせた首相の池田勇人(写真)は、1964年にはOECD加盟も果たした。

 それでも大卒の初任給は今の十分の一の2万円だった。
イメージ 11

◎1964年は東京オリンピックが行われた年。 

 東京オリンピックの開催を旗印に首都高速道路が8月1日に開通。

イメージ 9
 東京・大阪間の新幹線の営業開始はオリンピック開催直前の10月1日だった。東京駅と新大阪駅で朝6時に超特急「ひかり号」が発車、東京駅では石田国鉄総裁が テープカットをした。 (写真)

「ひかり」の愛称は一般公募の56万中2万票を集めて一位になった名前で、開通当初は「ひかり」は1日14往復。東京ー大阪の運賃は1.180円、超特急料金が 1.300円。所要時間は、超特急「ひかり」で4時間だった。

 東京オリンピックの開催期間は10月10日~10月24日の2週間。

 8月21日、ギリシャで採火式、聖火リレーがスタート。タイのバンコクでカトマンズからの聖火と合流し、那覇に運ばれた。

 アジア初のオリンピックとなった東京大会の参加国は大会史上最多の94ヵ国、参加選手・役員は7,495人を数えた。この大会で始めて通信衛星を利用したテレビ実況が行われた。

 会場は、 国立霞ヶ丘陸上競技場、 駒沢総合運動場を中心に埼玉、神奈川、千葉、長野の各県にまたがって30会場が新設または改造された。  

 日本選手のメダル獲得は、金16、銀5、銅8個。

 重量挙げでは、三宅義信が世界新記録で金メダルに輝き、参加選手7人全員が入賞、レスリングでは5階級で金を獲得した。

 体操男子は、前大会に次いで団体で優勝したほか、個人でも金銀各3を獲得した。

 柔道では無差別級決勝で神永がオランダのヘーシンクに敗れたほかは、3階級とも順当に優勝した。

 そして女子バレーボールでは、「東洋の魔女」が23日夜に行われた決勝で宿敵ソ連を倒した。

 男子マラソンでは、円谷幸吉があと200mのところで抜かれて3位だったが、28年ぶりで陸上競技でのメダル獲得だった。

イメージ 12
イメージ 13
 しかし、私にとって東京オリンピックの最大の思い出は、バレーボール「東洋の魔女」でも、柔道のアントン・ヘーシンクでもない、和製スーザこと、古関裕而(1989年、80歳で没、写真左作曲のオリンピック行進曲である。ラジオ放送でおなじみのアナウンサー・鈴木文彌(2013年、88歳で没、写真右)の名調子と共に、感動の開会式を。


◎音楽的には1962年に「ラヴ・ミー・ドゥ」でレコード・デビューしたビートルズが絶好調のころで、1964年は、Can't Buy Me Love 、I Feel Fineなどがヒットした。
 
 また、トンキン湾事件などでベトナム戦争が泥沼化する中、アメリカではBlowin' in the Wind 「風に吹かれて」、The Cruel War「悲惨な戦争」 (Bob Dylan)、We Shall Overcome 「勝利をわれらに」 (作詞:ピート・シーガー)、Where Have All the Flowers Gone?「花はどこへ行った」 などの反戦歌が流行った。
 
 日本では御三家橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)を初めとする青春歌謡の真っ只中だったが、東京オリンピックの影響で爆発的にヒットしたのが美空ひばり「柔(やわら)」だった。
 
 これは美空ひばりの全シングルの中で最高売り上げ記録となった。

ビートルズ/Can't Buy Me Love (1964年)


ピーター・ポール&マリー/風に吹かれて(1964年)


美空ひばり/柔(1964年)


 不安も多かったが、夢のある時代だったね。

 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1001

Trending Articles