朝日新聞土曜版be on Saturdayの記事はこの紙上で何度も紹介してきた。自分にとって貴重な情報源だ。
その中で、「もう一度流行歌」というシリーズものがある。
10月14日は「ひとりじゃないの(天地真理)」だった。天地真理(現在65歳、写真)は4年前の2013年に、ブログで特集したことがあったが、改めて懐かしさと、新事実を知ることになったので再度取り上げることにした。(天地真理参照)
記事は次の通り。
真理ちゃんといえば「元祖女性アイドル」。最大の魅力はスマイルで、歌のうまさは二の次という印象もありました。でも、実は高校で声楽を学んだ本格派だったって知ってましたか?
天地真理さんが存在を知られたきっかけは、歌番組ではなくドラマ「時間ですよ」(画像)に出演したことだった。舞台である銭湯の従業員役のオーディションを受けたが、演出の久世光彦さんが「新たな役を作る」と特別枠で採用。元マネジャーで、現在はコンサートの企画・制作などを手がけるハンズオン・エンタテインメント社長の菊地哲榮さんがふり返る。
「初回の台本には役が載ってなくて、実際の放送でも10秒くらいしか映らなかった。久世さんには『ひどいじゃないか』って文句を言ったんだけどね」
結果的には、この「ちょい見せ」が功を奏した。テレビ局に「あの娘は誰?」という問い合わせが殺到したのだ。
ここからセリフがどんどん増え、白いギターを弾きながら、歌声を披露するシーンが定番に。ドラマが始まってから3カ月後の1971年10月、満を持して発売されたデビュー曲「水色の恋」は、オリコンの週間チャートでいきなり3位を記録した。
「ひとりじゃないの」は翌年5月発売の3枚目のシングルだ。作詞の小谷夏は、久世さんのペンネーム。菊地さんによると、本人から「詞を書かせろ」と言われ、恩人の頼みだからと承ったそうだ。
彼と2人で旅に出て、サビの「ひとりじゃないって すてきなことね」へと続く歌詞には、少し問題もあった。天地さんのキャッチフレーズは「白雪姫」。所属事務所には、男性とつきあっていることをあからさまにした歌はNGという不文律があったからだ。
「社長にそのまま見せたら却下されていたのを、何とかごまかして発売しちゃったんだ」と、菊地さん。結果は、2枚目の「ちいさな恋」に続いて1位を獲得。天地さんにとっては最大のヒットとなった。
今回、天地さんとは会えなかったが、書面で丁寧なコメントを寄せてくれた。
「『水色の恋』の次に好きな歌です。当時は忙しくてその場で初めて譜面を見てすぐにレコーディングの本番でした。スタジオにあるピアノで音を確認しながら歌いました。サビの高音のところをうまく歌えるように、何度も練習したことを覚えています」
えっ。本人のなかのランキングでは、デビュー曲の方が上だったの?
■声楽を学んだ高校時代
「水色の恋」は元々、デビュー前に通ったボーカル教室で覚えたフォークソング。天地さんは当時、フォーク歌手として売り出されたと認識していたという。
「デビュー曲がヒットして、その後アイドルと言われるようになり、曲も変わっていったのです」
さらにさかのぼると、卒業したのは東京の国立音大付属高校声楽科で、特徴的なファルセットもクラシックを学ぶ中で身につけた。
「週に2回、学校と先生のご自宅で個人授業を受けました。校内で有名なとても素晴らしい先生でした」
実際にデビュー盤を聴くと、落ち着いた曲調もあいまって、その発声はどこかクラシック風だ。アンケートでも、歌唱力を再評価する声が目立った。
「可愛いだけのアイドルなどと言われていたけど、最近聴き直して、『癒やしのファルセット』にほれ直した」(福岡、58歳男性)、「40年たってその歌唱力が素晴らしいことにやっと気づいた」(神奈川、63歳男性)、「天地真理は歌が下手と言われ続けました。本来は豊かな感受性と美しい声で歌に命を吹き込める素晴らしいシンガーでした」(千葉、54歳女性)。
天地さんはアイドル時代をこう述懐する。「当時、ファンの声援があまりにも大きくて、歌に集中するのが大変でした。家に戻ると、化粧を落としながら涙がぼろぼろこぼれてきて、いつも泣いていました」
アイドル扱いは不本意だった? そう単純ではない。コメントはこう続く。
「忙しくて窮屈な生活だったこともありますが、その時に頭に浮かんでいたのはファンの皆さんの顔や声。それらが頭を過(よ)ぎり、こんな私で申し訳ないという思いでした。今思うと、あれが私の青春でした」
ひとりじゃなかった。
天地真理さん、南沙織さん、そして小柳ルミ子さんは新三人娘と呼ばれた。同時代以降の主なアイドル歌手は下表の通り。(年齢は+3~4歳と見てください)
現在、天地真理さんは川崎市の高齢者向け住宅で寂しい老後を送っているようだが、1973年のブロマイド年間売上枚数が女性部門で1位になるなど、1970年代前半は国民的スーパーアイドルとして一世を風靡した。
また、人気アイドルとしてキャラクターグッズ(下敷きなどの文房具やトランプなどの玩具)が多数つくられ(写真左)、さらにはブリヂストンサイクルからは自転車「ドレミまりちゃん」(写真右)なども発売された。今では当たり前となったアイドルグッズのはしりといえる。
ヒット曲は主に『森田公一とトップギャラン』で知られる森田公一(現在77歳、写真)が手掛けていた。
彼の作曲では「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」「恋人たちの港」「恋と海とTシャツと」「想い出のセレナーデ」からなる一連の大ヒット曲を発表する。
なお、オリコンシングルチャートでは「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「若葉のささやき」「恋する夏の日」の5曲が1位を取っており、この記録は、後に松田聖子に破られるまで女性ソロシンガーでの最多記録であった。
1973年「春の選抜高校野球甲子園大会」において「虹をわたって」が入場行進曲に選ばれ、天地も同センバツ大会の開会式にゲスト出演した。
天地真理/若葉のささやき(1973年)
天地真理/若葉のささやき(1973年)
天地真理/想い出のセレナーデ(1974年)
ところが好事魔多し。1977年、甲状腺機能不調などを理由に東京・港区三田の東京専売病院に緊急入院、約1か月後の2月20日には退院するもののひきつづき休養生活に入り、芸能活動を約2年半にわたり休業した。
どうやら休養期間中は単に心身を休めるのではなく、東京音楽学院に定期的に通ってレッスンに励み、また繁忙期には楽しめなかったショッピング・絵画製作・ひとり旅などを満喫し充実した日々を過ごした。休業中といえどもナベプロ恒例の新年会には欠かさず出席していた。
1990年代前半には太りぎみとなり、明石家さんま司会の番組にしばしば準レギュラー出演、天然風のキャラで人気を博す。その後、減量に成功し痩身法についての著書『スリムになるってステキなことネ 天地真理の白雪姫ダイエット』(双葉社、1997年)を出版したり、ダイエット商品の広告で雑誌に頻繁に登場したりするようになる。1997年7月、ヘアヌード写真集『東京モガ』を発売。同年、岩下志麻主演の松竹映画『お墓がない!』(監督:原隆仁)に出演(未亡人敏江役)。(Wikipedia 参照)