陸路での出会いと別れで代表的な場所は「駅」、空路では「空港」ということになるだろうか。
●出会いと別れの場の「空港」
映画でも別れとなると、「駅」というシチュエーションが多い。拙ブログでも「シネマの名匠と旅する駅」でそのシーンを載せたことがある。今は「空港」も一般的な出会いと別れの場になっている。
それで有名なのは「アジアの歌姫」のこの曲だ。
テレサ・テン/空港(1974年)
以前、華人歌星伝説「テレサ・テンが見た夢」(平野久美子著、1996年、晶文社)(写真)という本を読んだことがある。
彼女は42歳で不慮の死を迎えたが、いかにその人生が波乱万丈だったかが分かる。もう、あれから24年も経った。
テレサ・テン(Teresa Teng)という名前は、1974年に日本でデビューした時名乗ったアメリカ風の芸名である。本名は麗筠(デン・リーユン)というが、中国語の芸名は麗君である。北京語の発音では「デン・リーチュン」、広東語発音で「ダン・ライグァン」という。台湾の出身だが、両親は大陸出身のいわゆる「外省人」である。父親は国民党軍の陸軍中尉だった。
彼女自身生前軍隊への慰問活動を熱心に行っていたこともあり、台湾では「軍人の恋人」というニックネームがついていた。
文化大革命(1966年-1976年)や天安門事件(1989年)にも出会い、民主化運動のシンボルとして奉られる一方、中国共産党からも利用され、「二つの中国」のはざまに翻弄された人生だった。
日本での活動は、1979年、日本入国の際に違法の手続きで取得したインドネシアのパスポートを使用したことが発覚、国外退去処分になったときを挟んで、前半と後半に分かれる。
前半は1974年、既に台湾や香港で成功をおさめていたので交渉は難航したが、当時の日本ポリドールレコード制作部長の舟木稔(写真右、左はテレサ・テン)の熱意が実り、「今夜かしら、明日かしら」という曲でデビューを果たした。
続く第二弾の「空港」が大ヒット、日本レコード大賞新人賞を獲得、このヒットにより彼女の名前は日本全国に知れ渡った。
後半は、国外退去から5年後の1984年再来日から、1987年に住居を香港に移すまでの3年間。レコード会社をトーラスレコードに移籍、日本でリリースした「つぐない」「愛人」がそれぞれ150万枚、「時の流れに身をまかせ」が200万枚を売る大ヒットとなる。
1989年、アジアを離れて単身、フランスのパリに移り住む。中国への思いをさらに深めるようになり、1992年に中国で広く愛されている「夜来香(イェライシャン)」を新たにレコーディングする。この頃、喘息を悪化させ、次第に体調を崩していく。
1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳だった。富と名声を得ながらも、晩年は孤独な独身生活を送っていた。同月28日に台北で国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛けた。彼女の棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた。(Wikipedia参照)
日本人ではこの曲。
中森明菜/北ウイング(1984年)
康珍化が作詞し、林哲司が作曲と編曲を手掛けた中森明菜の「北ウイング」は、1984年、スタジオ・アルバム『ANNIVERSARY』からの先行シングルとして発売された。
候補として、「ミッドナイトフライト」、「夜間飛行」などもあったが、中森の提案によりこのタイトルに決定された。中森はこれについて、松任谷由実の「中央フリーウェイ」に影響を受けたと明かしているという。
なおこの楽曲は、TBS系音楽番組『ザ・ベストテン』で、1984年1月19日から1984年2月16日の放送で5週連続1位を記録した。
そして、デュエットの定番曲。
桂銀淑&浜圭介/北空港(1987年)
●映画の主題曲から
ロニー・アルドリッチ/映画「大空港」のテーマ(1970年)
ケニーロギンス/「トップ・ガン」のテーマ(デンジャー・ゾーン)(1986年)
●飛行機の中で浮かんだ曲
ジュリー・ロンドン/ミスティ(Misty)
彼がニューヨークからシカゴへ空路移動中のとき、霧中を飛行する旅客機の窓外を眺めているうち、唐突に魅力的なメロディを着想したそうだ。
しかし彼は、ほとんど我流でピアノ演奏を習得した人物で、楽譜の読み書きができず、機内で楽譜を書いて曲を記録できなかった。そのままではメロディを忘れかねないと思い、シカゴに飛行機が着陸するまで、思いついた曲を必死に反芻し続け、空港からはホテルにタクシーで急行した。ホテルのピアノで着想したメロディを弾き、急遽借り出したテープレコーダーで録音したことで、メロディは失われずに済んだという。
この逸話と、曲を聴いたガーナーの友人が「霧のようにぼんやりした曲だ」と評したことから『ミスティ』という題名がつけられた。同年、ガーナー自身のピアノ演奏が録音されて世に出ている。
元々インストゥルメンタルとして作曲されたが、ほどなく作詞家のジョニー・バークにより歌詞がつけられ、ジョニー・マティスの歌唱によりポピュラー・ソングとしてヒットしたことで、広く知られることになる。(Wikipedia参照)
<歌詞>
Look at me (あたしを見て・・・) I’m as helpless as a kitten up a tree (まるで高い木の上に登って、降りれなくなった子猫みたい) And I feel like a clinging a cloud
(そして雲にでもしがみついているような感じよ)I can’t understand(理解しきれないわ) I get misty just holding your hand (目の前が霧に包まれてしまうの。ただあなたの手をにぎっただけで)
(そして雲にでもしがみついているような感じよ)I can’t understand(理解しきれないわ) I get misty just holding your hand (目の前が霧に包まれてしまうの。ただあなたの手をにぎっただけで)
Walk my way (あたしはそのまま歩いていたの)And a thousand violins begin to play(すると一千ものバイオリンが響き渡った)Or it might be the sound of your hello
(いえ、それはあなたがハローって声をかけただけかも) That music I hear (そんな風にさえ聴こえてしまう) I get misty the moment you’re near (霧がかかってぼーっとするの、あなたのそばにいると) (和訳/篠塚ゆき)
●乗ることが出来ない飛行機
フランク・プウルセル/夢の飛行コンコルド
鳴り物入りでスタートしたコンコルドだったが、2003年に全機が退役した。
開発当時は世界各国のフラッグ・キャリアから発注があったものの、ソニックブーム(大音響)などの環境問題・オイルショック、開発の遅滞やそれに伴う価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなった。2000年7月25日に発生した墜落事故、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロによって、低迷していた航空需要下での収益性改善が望めなくなった事で、2003年に全機が退役した。
AKB48/365日の紙飛行機(2015年)
連続テレビ小説としては今世紀最高の視聴率を記録した『あさが来た』(2015年度下半期)の主題歌、「365日の紙飛行機」(2015年)について、2016年1月29日にAKB48が出演した『ミュージックステーション』で、司会のタモリが「普通の人はパッとあれだけ聴いたら(彼女たちの曲だと)分からないよ」と評している。センターポジションは初めて山本彩が務めた。
<歌詞>
「♪人生は紙飛行機願い乗せて飛んで行くよ 風の中を力の限り ただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番大切なんだ さあ 心のままに 365日」
「♪星はいくつ見えるか 何も見えない夜か 元気が出ない そんな時は 誰かと話そう 人は思うよりも 一人ぼっちじゃないんだ すぐそばのやさしさに 気づかずにいる」
●最後は今も続いているご長寿「人気ラジオ番組」
城達也/ジェット・ストリーム(ラストフライト)
FM東京の24時から始まる深夜の音楽番組「ジェットストリーム」の名ナレーションで鳴らした城達也(1995年、63歳で没、写真)。
<ナレーションは次の通り>
満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。
皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、わたくし、城達也です。
彼が27年間の最終出演となった1994年12月30日の際発した言葉が印象に残ってる。
前の映像では8分33秒頃から始まる。「長い間本当にありがとうございました。…では皆様さようなら」。既に食道がんに犯されていた彼は、その2ヶ月後に帰らぬ人となった。