▲第1章 「余命」を前向きに考える(余命とは余裕をもって残された時間、「これが自分の天寿だろう」と感じたときこそ、幸せとはいえないのが、長寿者の大半、「人生五十年」という言葉の重さ)
▲第2章 人はどのように死んでいくのだろうか(いまは、「終活」の時代、長生きは、本当にめでたいことか、延命だけが残された唯一の道なのだろうか、他)
▲第3章 人には、逝き時というものがある(死ぬ時間がどんどん先に延びていく、巨大な産業となった医療の世界 他)
▲第4章 死を避けない。自分の逝く年を決めてみる。(今年見ている桜を、あと何回見ることができるか、自分はどう逝くか。それを考えてみることは悪いことではない 他)
▲第5章 死をイメージしてみる(心の準備とは、死をありありとイメージすること、死のレッスンができるかどうか ほか)
▲第3章 人には、逝き時というものがある(死ぬ時間がどんどん先に延びていく、巨大な産業となった医療の世界 他)
▲第4章 死を避けない。自分の逝く年を決めてみる。(今年見ている桜を、あと何回見ることができるか、自分はどう逝くか。それを考えてみることは悪いことではない 他)
▲第5章 死をイメージしてみる(心の準備とは、死をありありとイメージすること、死のレッスンができるかどうか ほか)
「終活」という言葉は、2009年(平成21年)、『週刊朝日』から生み出された言葉とされているが、すっかり定着し、今や社会の大きな潮流となっている。
老人にとって、これからの人生について、「よい生き方」ではなく、「よい逝き方」、人生をどう閉じたらいいかの方に関心が高まってきているのだ。
振り返ってみると、自分は「終活」についての関心が疎かった。-いや、怖いから、考えるのを意識的に避けていたのだと思う。
もうすぐ4年になる心筋梗塞で手術したときも、そのときすでに65歳だったというのに、死ということを真剣に考えなかったし、もっと仕事を続けられものと信じていた。
昨年末会社を辞めた時も、自分はまだ会社に貢献できるはずだと未練たらたらだった。
7月からマンション管理人になり、この時期に病気に罹ったこともあり、老化を実感し、ようやくそんなギラギラした感情から目が覚めたようだ。
まだ身体のふらつきがあり、最近ブログ作りもネタは山ほどあるのに、集中力に欠け、筆が思うように進まない。辞めるつもりはないが、身体の変調を感じている。
ところで、職場は同世代=団塊の世代ばかりである。それが、雇用延長期限の65歳からではなく、定年の60歳から働いている人が多いのに驚いている。
ところが、彼らは自分とは違い、冷静に自分が置かれた立場を理解し、きちんと将来の生活設計を立てているように思え、感心している。
これからはどんな病気や災難が待っているかもしれない。
テレビや雑誌などで、100歳近い高齢者が元気でマラソンや水泳に励んでいる姿が紹介されるのは、それが珍しいからだという。
80歳になった人は少なくとも8つ以上の病気を抱えていると言われるそうだ。
他人に考え方を強制するつもりはさらさらないが、個人的には、重病になって家族の負担をかけて生きるつもりはない。「老々介護」と言われ、介護疲れで介護する方が先に亡くなるようなことだけは避けたい。
五木氏に言わせると、認知症は、人生の老醜を意識しないですむ神の摂理という説もあるそうだ。なにしろ本人は、自分を意識していない。ぼけるということは、無残にもここまで衰えた自分というものを実感せずに済む、神の摂理というわけだ。
それでも、父や祖母の悲惨な姿を見ているだけに、出来れば認知症にはなりたくない。
予防できる認知症、9つの要因(2017年07月20日)という記事があった。
認知症の3件に1件は、生活習慣など生涯を通じて脳の健康のために意識的に行動することで予防できる――。英医学誌ランセットにこのほど掲載された研究が指摘した。
<認知症の予防可能な要因のリスクの度合い>
中年期の聴力低下…9% 中等教育の未修了…8% 喫煙…5% うつ…4% 運動不足…3% 社会的孤立…2% 高血圧…2% 肥満…1% 2型糖尿病…1%
予防が可能とされる上記要因のリスク度を合計すると35%になる。残りの65%は個人の努力では変えられないリスクだという。
*この項目で予防可能ではないことも結構あるね。
何人も「ガン」で親しい友人を失ってきたことで、他人ごととはとても思えないし、二人に一人の可能性があるというからには、ガンになると想定した方が早い。
自分は、ガンになったらこうしようと思っている。
辛くても抗がん剤は使わない。亡くなる間際の延命処置は取らない。植物状態になり、意識がないのに生きる必要はない。これだけは決めている。
葬式も必要ない。灰は海に流してくれたらいい。墓もいらない。
家族はどう思うか分からないが、これ以上負担はかけたくない。
肉体が滅びたらどうなるのだろうか。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」(1918年、写真)を読んでさらに怖さが募ったものだ。
今は少し変わってきた。長い闘病生活で死の恐怖を毎日続けた場合は分からないが、死への恐怖も薄らいできた。「死」については、みんな平等なのがいい。
できれば元気で長く生きて、働けるうちは働ける人生にしたい。今の仕事は最低5年勤める。これが当面の目標だ。