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丘の曲

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 昨日は「丘」「台」の多い地域のことを話したが、以前ブログで「丘」の曲という特集をしたことがある。同じことを書いているところもあるが、お許しいただきたい。

  日本の曲で「丘」の題名や歌詞がつくものは多い。うたまっぷ.com によると、題名に「丘」が付くのは168曲、歌詞は600曲もある。

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 『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』
村瀬学著(春秋社)(写真)を読んだことがある。
 
 著者は、「丘」を通して戦後歌謡曲の歴史を分析、『優れた歌を聴き、歌うときは多かれ少なかれ
「丘の体験」をする』と述べている。

イメージ 9 「丘」は、「喪失」と「再起」の境界であり、そこには二つの領域の出会いがある。その接点を、人は歌の中で「丘」と呼んで来た。ここは、だから、AとBの
「複数の声」がする。その「複数の声」を聞くのが歌を聴く楽しみである。それがなぜ「丘」なのかというと、そこが「高台」だから。高いところからAとBを眺めることが出来るからである。
 「丘」の付く曲は戦後間もないころに多い。

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 最初にヒットしたのが、作詞:加藤省吾、作曲:海沼實(写真)の名作「みかんの花咲く丘」だ。

 終戦直後の1946年(昭和21年)、敗戦に打ちひしがれた国民に新風を捲きおこし、人々のの心に明るい灯火をともした。以来絶えることなく、現在も広く国民に愛唱されている。 
 

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 モデルとなった静岡県伊東市宇佐美の亀石峠には、この「みかんの花咲く丘」の歌碑(写真)が建っている。

 また地元を走るバス会社・東海自動車のバスガイドは入社するとまず、この歌の指導を受けるという。(Wikipedia、花と海といで湯のまち 伊豆・伊東観光ガイド参照 
 
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 この歌を歌ったのが、後に海沼實と再婚する川田須磨子の連れ子の1人、 長女の川田正子(2006年、71歳で没)(写真)で、彼女は日本の童謡歌手の先駆けであり、最大の功労者の一人と言われている。
 
 <みかんの花が咲いている 思いで道 の道 はるかに見える青い海
 お船がとおく かすんでる>
 
 また1947年(昭和22年)には、
菊田一夫作詞・古関裕而作曲の孤児達をテーマーにした「とんがり帽子」がヒットした。
 
 <緑の丘の 紅い屋根 とんがり帽子の 時計台 鐘が鳴りますキンコンカン メーメー子 
 山羊も 啼いてます 風はそよ風の上  黄色いお窓は俺らの家よ>
             


 そして、増田幸治作詞・吉田正作曲の「異国の丘」(1948年)だ。

 <今日も暮れゆく 異国のに 友よ辛かろ せつなかろ 我慢だ待ってろ 嵐がすぎりゃ
 帰る日も来る 春が来る>
 

 ここでは、「異国」と「祖国」との間の、その「境界」に「丘」があり、「異国(過去)」と「祖国(未来)」との間で、喪失と、再起を誓う場として「丘」が歌われた。

 戦いに死んだ者を弔うとともに、その者の意志を未来に繋げるために自分が生き延びるという二つの方向を歌っているのだ。


 「丘」の曲、その他、『港の見える丘平野愛子:歌)』(1947年) 、『青春のパラダイス岡晴夫:歌)』(1946年、歌詞:青春の花に憧れ を越えてゆく)、『悲しき口笛美空ひばり:歌)』(1949年、のホテルの赤い灯も)、『あの丘越えて美空ひばり:歌)』(1951年)、『白い花の咲くころ岡本敦郎:歌)』(1950年、歌詞:白い月がないてた ふるさとのの木立に)、憧れの郵便馬車岡本敦郎:歌)』(1951年、歌詞:南のをはるばると)、『丘は花ざかり藤山一郎:歌)』(1952年)、『青春サイクリング小坂一也:歌)』(1957年、歌詞:青い峠も花咲くも)、『古城(三橋美智也:歌)』(1959年、歌詞:松風騒ぐの上)など。
 その後は、『知床旅情森繁久彌:歌)』(1960年、にのぼれば遥か国後に )、『夕陽の丘石原裕次郎&浅丘ルリ子:歌)』(1963年)、『青年は荒野をめざすザ・フォーク・クルセダーズ:歌)』(1968年、歌詞:朝焼けのを越え)、亜麻色の髪の少女ヴィレッジ・シンガース:歌)(1968年、羽のようにを下り)、ひなげしの花アグネス・チャン:歌)』(1973年、歌詞:の上ひなげしの花が)、『ロンドン急行井上陽水:歌)』(1974年、歌詞:山を越えを越え)、『北国の春千昌夫:歌)』(1977年、歌詞:こぶし咲くあの北国の)など。
 戦前は『丘を越えて』(1931年、藤山一郎:歌)、青春の丘』1939年、北廉太郎:歌)など。
 何曲か聴いてみよう。

まずは、藤山一郎/丘を越えて(1931年) https://youtu.be/3IBS3Owkusc

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 作曲家・古賀政男(1978年、78歳で没、写真)が明治大学マンドリン倶楽部の後輩と稲田堤(現川崎市多摩区、地図)にハイキングに行った際、満開に咲き誇る桜を背に酒を酌み交わし、下宿に戻り、ふと学帽についた一枚の桜の花びらに気がついた。これを見て二度と帰らぬ若さと青春がいとおしくなった。そのとき浮かんだメロディーを愛用のマンドリンを取り弾いてみた。おもしろいようにメロディーがつぎからつぎへと浮かんだという。

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 その稲田堤の「菓聖『はしば』」「丘を越えて」(写真)という歌にちなんだお菓子が売られている。

 これが、古賀の合奏曲「ピクニック」で、それに島田芳文が詞をつけた歌が「丘を越えて」である。作詞者の島田芳文は、群馬県北軽井沢の浅間牧場の風景を描いて詞を書き上げた。浅間牧場にはこの歌の歌碑もある。

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 歌唱を担当した藤山一郎(1993年、82歳で没、写真)は、豊かな声量と正確無比な確実な歌唱で古賀政男の青春を高らかに歌い上げている。伴奏のマンドリンによる前奏が長く、さらに間奏は新たなフレーズの後再び前奏を繰り返すので、伴奏の演奏だけの時間より藤山一郎が歌っている時間の方が短い。(Wikipedia参照)

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岡晴夫/青春パラダイス(1946年) 


美空ひばり/あの丘越えて(1951年) 


三橋美智也/古城(1959年) 


アグネス・チャン/ひなげしの花(1973年)
 

千昌夫/北国の春(1977年)





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