自慢話ばかりする人がいて辟易している。どうにかならないものかと思うが、もうすぐその人に会わずに済むので自分はいいのだが、会社に残された人たちは大変だ。
朝日新聞11月19日号、(呉座勇一の交流の歴史学)中世の自慢話 武勇伝を語る武士たちによると、タレントの高田純次さん(69歳、写真)は、70歳近い年齢でありながら、若者にも人気がある。
その秘訣は「説教」と「昔話」と「自慢話」を語らないことにあるという。
このうち、人が嫌う「自慢話」ばかりする人は、それが高じると一種の病気で、治療が必要な自己愛性人格障害者だという。
これが同僚や部下なら適当にかわしたり茶化したりもできますが、上司や目上の人間ともなるとけっこうな悩みの種になります。これらの人は、部下にアドバイスするにしても、必ずといっていいほど自慢話から始まります。
過去に自分がどれだけ功績を上げたかなど、アドバイスそっちのけで、いかに自分が素晴らしかったかという自慢話をこんこんとします。
何を言うにしても「自分」というものが前面にでてきます。部下へのアドバイスがなぜか自分についての話が中心となっていきます。聞いている方の部下は、「また始まった」とうんざりすることになります。
また、飲みに行けば、そこでも過去の手柄話ばかり聞かされます。いつものことなので部下たちは適当に聞いている振りをするだけで、誰もまともに取り合う者はいません。
自慢話をすればするほど、虚勢を張っていると見抜かれ、見下され不安が強いんだなとわかってしまうにもかかわらず、不安に駆られた人物は、自慢話をやめることができません。
人からどう見られているかを人一倍気にしているくせに、実際に人からどう見られているかは気付きません。
何を言うにしても「自分」というものが前面にでてきます。部下へのアドバイスがなぜか自分についての話が中心となっていきます。聞いている方の部下は、「また始まった」とうんざりすることになります。
また、飲みに行けば、そこでも過去の手柄話ばかり聞かされます。いつものことなので部下たちは適当に聞いている振りをするだけで、誰もまともに取り合う者はいません。
自慢話をすればするほど、虚勢を張っていると見抜かれ、見下され不安が強いんだなとわかってしまうにもかかわらず、不安に駆られた人物は、自慢話をやめることができません。
人からどう見られているかを人一倍気にしているくせに、実際に人からどう見られているかは気付きません。
そこが、自分のことにしか眼中になく、他者の視点を取り込めないがゆえに、自己中心的な視点しか取れない、病的に自己愛が強い人物の病理的なところといえます。
とある。自分も気を付けなければならない。
前述の呉座勇一の交流の歴史学)中世の自慢話 武勇伝を語る武士たちによると、自慢話は、何も近代だけの話だけではなく、中世にもあったことを伝えている。
とはいえ、他人に自分の手柄話を語りたくなるのは人情である。平氏滅亡後の建久2(1191)年8月1日、源頼朝の屋敷で宴会が行われ、大庭景能という老武者が、1156年に起こった保元の乱での武勇伝を他の武士たちに語った。
それによると、景能は保元の乱において日本一の弓の名手といわれた源為朝と遭遇してしまった。しかし為朝の弓が馬上で射るには長すぎることに気がついた景能は「為朝は騎射は苦手なのでは」と判断し、素早く馬を駆けめぐらしたところ、為朝の矢は景能の胴ではなく膝に当たり、命拾いしたという。景能は「おまえたち、年寄りの話だと思ってバカにしないで良く覚えておけよ。武士は騎馬に熟達していなければダメだぞ」と結んでいる。
「説教」と「昔話」と「自慢話」の三つを見事に兼ね備えている。
この話を載せている歴史書『吾妻鏡』は、「一同感心した」と記しているが、何せ35年も前の話なので、景能以外に体験者がいない。「なるほど」「勉強になります」とあいづちを打つしかなかったのではないだろうか。この宴会で酒や肴を用意したのは景能であったから、なおさらである。
さて、この時代の武士はしばしば子孫に教訓を書き残している。これを置文というが、置文には自慢話が書かれることがある。先祖の偉業を語り継ぐことも子孫の役目だからである。現在の埼玉県東松山市正代を本拠地としていた小代行平が置文に書き残した自慢話は何とも微笑ましい。
ある時、源頼朝が伊豆山神社に参拝した。行平も護衛の一人として参加したが、頼朝が神社の石橋を下りる際、行平の肩をポンと叩き、「おまえのことを気の置けない家臣だと思っているぞ」と言ったというのである(『小代文書』)。
頼朝は平家打倒のため伊豆で挙兵した折も、一人ずつ武士を呼んで「今まで黙っていたが、お前だけを頼りにしている」と全員に語った男だから、同じようなことを行平以外の武士たちにも言っていたと思う。
しかし行平はこの他愛もない出来事を、合戦での功績に匹敵する名誉なこととして誇らしげに書き記している。鎌倉幕府の研究者である細川重男氏は、頼朝と行平の関係をアイドルとファンのそれにたとえている(『頼朝の武士団』洋泉社)。この種の自慢話は罪がなく、許せる気がする。
中世の武士は家の名誉を高めるため、先祖や自身の活躍を好んで語った。彼らの自慢話の一部が史料の形で今に伝わっているわけで、中世史研究者としては、中世武士の自慢好きに感謝すべきなのかもしれない。
自慢話は誰でもしたいものだよね。程度の問題だけだと思う。
自慢(話)の曲を
海援隊 /あんたが大将(1977年) 【自慢話が長すぎる】
かまやつひろし/我が良き友よ(1975年)【女郎屋通いを自慢する】
高田みづえ/私はピアノ(1980年)【いつも自慢のふたりだった】
水前寺清子/いっぽんどっこの唄(1966年)【俺の自慢のひとつだぜ】
石川さゆり/秋田民謡「ドンパン節」【自慢言うなら負けないぞ】