欧米の人たちに中国、韓国と日本の違いが分からないように、スカンジナビア諸国やノルディック諸国と言われるが、国の違いと、人の区別がつかない。
ノルウェーのことで知っているのは学校で習ったことや、音楽などの知識だけだ。
1.ヴァイキングと、フィヨルド(写真)
2.高福祉で国民の満足度が高い国
3.小説「人形の家」のイプセン
5.そして、クラシックではグリーク
そんな程度だ。
とは言うものの、彼の曲は、有名なヘンリク・イプセンの戯曲『ペール・ギュント』への付随音楽と、ピアノ協奏曲イ短調しか知らない。
彼は、生地・ベルゲンの自然と海をこよなく愛し、死後遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれた。
生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。
彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目された。
彼の民族音楽からの深い影響は組曲「ペール・ギュント」1曲目、「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器であるハリングフェーレ(写真)の共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができる。
また、従妹でソプラノ歌手のニーナ・ハーゲルップ(1845年 - 1935年、写真左)と出会い、1867年(当時19歳、彼女は22歳)に結婚。
後の歌曲は、ほとんどニーナ夫人のために作曲されたという。
1901年(当時58歳)、次第に健康状態が悪化。『抒情小曲集』第10集を出版。1905年のノルウェー独立を見届けたあと、1907年、ベルゲンで没した。
●ペールギュント
『ペール・ギュント』は「近代演劇の父」と呼ばれる、イプセン(1906年、78歳で没、写真)が1867年に書いた作品である。元は上演を目的としないレーゼドラマとして書かれたが、その後イプセンはこれを舞台で上演することになった。本来は舞台向きでないこの作品の上演に当たって、イプセンは音楽によって弱点を補うことを考えた。
そこで1874年に、当時作曲家として名を上げつつあった同国人のグリーグに、劇音楽の作曲を依頼した。
グリーグは自分の作風が小品向きであり、劇的でスケールの大きな舞台作品には向かないと考えていて、一旦は依頼を断わろうともしたが、報酬と、民族的な題材への作曲に興味を引かれたこともあり、作曲を引き受けた。作曲は同年に開始したが難航し、翌1875年に完成した。
『ペール・ギュント』の舞台上演は1876年2月24日、クリスチャニア(現オスロ)の王立劇場で初演が行われた。音楽の指揮はヨハン・ヘンヌムによる。上演は、イプセンの狙い通りに音楽のおかげもあって成功を収めたが、一方で近代性を備えた風刺的なイプセンの戯曲に対してグリーグの音楽がロマンティックに過ぎることへの批判もあった。(Wikipedia参照)
<あらすじ>
主人公であるペール・ギュントは、夢見がちで怠惰な性格。落ちぶれた豪農の息子であり、母オーセと二人で暮らしていた。街ではかつて彼の恋人であったイングリットの結婚式が行われており、婚礼の場に突如現れたペールは彼女を奪って逃げ去る。しかしすぐに飽きてしまった彼は、彼女を棄てて放浪の旅に出るのだった。
旅の最中、山の魔王の娘と結婚させられそうになるペールだったが、命からがら逃れ、心清らかな女性ソルヴェイグと穏やかに暮す。しかし、その暮らしは長くは続かなかった。
ペールはソルヴェイグに「近くても遠くても、――待つんだよ」と言い残し故郷へ戻る。帰郷したペールは母オーセの元を尋ねるが、彼女は臨終の間近だった。
母の死を看取った後、ペールは富を築きながら様々な冒険を重ねる。しかし、美しい踊り子アニトラに裏切られ全財産を失うなど、彼の冒険は決して穏やかとは言えないものだった。
遍歴を重ね年老いたペールは、人生の最後を故郷で過ごそうと海路帰国の途に着く。その途中でペールは、すっかり年老い盲目になったソルヴェイグと再会する。なんと彼女は白髪になるまでずっと彼を待ち続けていたのだった。「あなたは私の一生を美しい歌にしたわ」と言う彼女に心を打たれ、今までの自分の所業を悔いるペール。そんな彼をソルヴェイグはそっと膝に抱き、子守唄を歌う。深い愛情によって全てを赦されたペールは、彼女の美しい歌声を聴きながらゆっくりと息を引き取り、物語は幕を閉じる。
◆『序曲――婚礼の場で』
物語の幕開けを華々しく飾る軽快なメロディーが特徴的な一曲で、イングリットの婚礼の場面を表している。煌びやかな雰囲気の後には『ソルヴェイグの歌』の旋律がゆるやかに奏でられる。
◆『花嫁の略奪――イングリットの嘆き』
花嫁の略奪に対する客人の怒りが激情的に表され、中間部では略奪され棄てられたイングリットの嘆きの歌が広がっていく。切々とした嘆きから次第に感情が露になり、イングリッドの激しく揺れ動く心情が描かれている。
◆『山の魔王の宮殿にて』
特徴的な主題が繰り返されながら、しだいに音量が増大して甲高い不気味な音楽へと変化していく。おどろおどろしい雰囲気から、魔物たちがペールを迫害していく様子が臨場感たっぷりに描かれる。
◆『オーセの死』
母オーセの死を看取る場面を表しており、弦楽器によってゆったりと悲しい旋律が歌われる。愛する息子に見守られながら眠るオーセを描いたような、安らかな和音が静かに響いて曲が終わる。
◆『朝の気分』
ペールがモロッコで朝を迎えながら、新しい人生を歩む決意を固める場面。日の出を表す朝の清々しい様子がフルートによって奏でられ、森のざわめきが情感豊かに表されている。
◆『アラビアの踊り』
頻繁に現れる賑やかな旋律がペールをもてなす踊り子たちを表し、中間部のとりわけ美しい旋律がアニトラの求愛を描いている。他の曲たちと一風変わった東洋的な雰囲気が特徴の一曲。
◆『アニトラの踊り』
『アラビアの踊り』と対をなす一曲。扇情的な踊りでペールを誘惑するアニトラの様子が、弦楽器の旋律に乗せて官能的に描かれている。
◆『ソルヴェイグの歌』
ペールを待ちわびるソルヴェイグの心情を表した歌。ペールの言葉を信じてじっと待ち続ける彼女の健気な想いが、どこか物悲しい旋律によってゆったりと表現されている。
◆『ペール・ギュントの帰郷――嵐の海の夕べ』
荒れ狂う海の様子が緊張感をもって表されている。冒頭に現れる2つのモチーフを中心に曲が広がり、船の難破した様子が表情豊かに切迫したテンポでもって描かれている。
◆『ソルヴェイグの子守唄』
この物語の終わりを告げる曲。深い愛情でペールを包み込むように、ソルヴェイグの赦しが木管楽器のソロによって伸びやかに歌われる。賛美歌を思わせる清らかな旋律はペールを天上の世界へ誘うようでもある。
●ピアノ協奏曲イ短調作品16
グリーグのピアノ協奏曲イ短調作品16は、彼が完成させた唯一の協奏曲。1868年、作曲者が25歳のときにデンマークのSollerodに訪問している間に作曲された、初期の傑作である。
数あるピアノ協奏曲の中でも、非常に人気の高い曲であり、またグリーグの代表的な曲である。第1楽章の印象的なティンパニのクレッシェンドに導かれて登場する冒頭のピアノの流れ落ちるようなフレーズは、「悲劇」をイメージさせるBGMとしてテレビなどでもしばし使われるなど非常に有名である。これは、フィヨルドの注ぐ滝の流れを表現したものともいわれる。(Wikipedia参照)