ところで、働き場所や住み場所を転々とする人のことを「苦労人」「落ち着かない者」という意味をこめて「渡り鳥」と呼ぶことがあり、この場合の類義語として「根無し草」がある。
木枯らし紋次郎や、寅さんのような根なし草・渡世人が日本人は大好きなのだろう。
一方で、高級官僚が役所を退職した後、天下りで公社、公団、特殊法人、第三セクターなどを渡り歩いて退職金を稼ぐこともまた「渡り鳥」と呼ばれるが、いつまで経っても自粛されない。これも日本の風俗なのかもしれない。
■渡り鳥の種類
渡り鳥の種類については、日本を基準とした場合、以下のような分け方となる。
○冬鳥
ツグミ、ジョウビタキ、ユリカモメ、マガモ、オオハクチョウ、マナヅル、オオワシなど。
右表は渡り鳥・マナズルの飛来地。
山口県周南市(旧熊毛町)の八代盆地にマナズルを見に行ったことがある。
○旅鳥
○夏鳥
■股旅もの
前述の通り、日本の曲で「渡り鳥」をテーマにした曲は実に多い。しかし、その大半は渡世人のことを言っている。
「股旅もの」という言葉がある。辞書によると、『小説・演劇・映画などで、各地を流れ歩く博徒などを主人公にして義理人情の世界を描いたもの。昭和初頭から使われるようになった語』とある。
彼の作品から映画や歌にもなった「沓掛時次郎」、「番場の忠太郎」(瞼の母)、「駒形茂兵衛」(一本刀土俵入り)など、多くの有名な渡世人を生んでいる。
少し死語に近づきつつあるが、「判官びいき」とか、「強気を挫き弱気を助ける」という言葉がもてはやされ、世の中から少し外れたアウトローたちに人気が集まった。「暴力団」や「愚連隊」というのは怖いが、それと同義語の「やくざ」という言葉に日本人は何となく親しみを感じている。それは、「強気を挫き弱気を助けてくれる」という庶民の期待と支えがあったからだろう。
■長谷川伸の作品から
その作品を元にしたヒット曲の中から、「渡り鳥」の歌詞を使ったものを。
島津亜矢/旅笠道中(原曲は1935年、歌:東海林太郎)【渡り鳥かよ俺等の旅は】
上原敏/流転(1937年)【泣くな 夜明けの渡り鳥】
橋幸夫/沓掛時次郎(1961年)【旅から旅へと渡り鳥】
三波春夫/一本刀土俵入り(1960年)【西に東に渡り鳥】
■藤田まさと
彼は、静岡県牧之原市出身の作詞家。日本ポリドールで勤める傍ら作詞活動を行い、1935年「旅笠道中」「明治一代女」の大ヒットで一躍人気作詞家となった。
戦前はこのほか「麦と兵隊」(1938年)、「大利根月夜」(1939年)、戦後も「岸壁の母」(1954年)、「まつのき小唄」(1965年)、「傷だらけの人生」(1970年)、「浪花節だよ人生は」(1974年)などのヒット曲がある。
■渡り鳥の歌
涙の渡り鳥(原曲は1933年、歌:小林千代子)
川野夏美/涙を抱いた渡り鳥(原曲は1964年、歌:水前寺清子)
■渡り鳥男・小林旭
「ギターを持った渡り鳥」は、1959年公開の小林旭主演の日本の映画作品。また、小林旭が歌った、同映画の主題歌の題名。本作品はペギー葉山の歌謡曲『南国土佐を後にして』をもとにした映画作品がヒットしたことを受けて制作された。
本作のヒットを受け、以降1962年まで合計8作の『渡り鳥シリーズ』が制作された。
「北帰行」はその8作目、「渡り鳥北へ帰る」の主題歌として使われた。
小林旭/ギターを持った渡り鳥(1959年)
小林旭/北帰行(1961年)
こまどり姉妹/ソーラン渡り鳥(1961年)